奇跡講座(奇跡のコース)ワークブック編レッスン150本文
レッスン121 《赦しは幸せの鍵です。》
ここに、平安を探し求めてきたあなたに対する答えがあります。
ここに、意味をなさないかのように見えるこの世界の中で意味を見出すための鍵があります。
事あるごとに現れてはあなたを脅かし、静けさと平安がいつかは見つかるという希望まで疑わしくする危険のように見えるものの中にあっても、安全へと至る道が、ここにあります。
ここにおいて、すべての問題に答えが与えられ、不確かなものの終わりが確実となります。
赦そうとしない心は恐れに満ちており、愛が愛として存在できる余地を与えず、愛が世界の喧噪を離れて高く飛翔するために、その翼を広げれる平安の場所を与えません。
赦そうとしない心は、悲しんでおり、苦痛から解放や安らぎを得られる望みもありません。
それは、苦しみながら不幸の中に留まり、闇の中で目を凝らし、何も見えないにも関わらずあたりには危険が潜んでいると確信しています。
赦そうとしない心は疑念によって引き裂かれ、自分についても、自分が見るすべてのものに関しても混乱しています。
それは恐れと怒りに満ち、虚弱さゆえに虚勢を張り、前に進むことを恐れながら留まることを恐れ、目覚めることも眠ることも恐れています。
あらゆる物音を恐れていますが静寂はそれ以上に恐れ、闇におびえているのに、光の到来にはもっと恐怖を抱いています。
赦そうとしない心には、自らの破滅以外に何が知覚できるでしょうか。
赦そうとしない心には、自分のすべての罪が実在するという証拠以外に、何を見ることができるでしょうか。
赦そうとしない心は間違いを見ず、罪だけを見ます。
それは見えない目で世界を眺め、自分自身による投影が浮かび上がり、自分という生命の真似事を攻撃するのを見て、悲鳴を上げます。
生きたいと望みながら、それでいて、死んだ方がましだと願っています。
赦しを欲していますが、しかし、その望みはないと見ています。
逃げ去りたいと望むのに、あらゆるところに罪人を見ているので、逃げるすべもありません。
赦そうとしない心は絶望しており、さらなる絶望以外の何かをもたらす未来の展望を持ちません。
しかし、それなのに、自分がこの世界に下した裁きは覆せないものと見なし、自分で自分をこの絶望に追いこんだということが分かりません。
自分の目に見えているものがすべてで、その裁きが正しいことを証言するので、自分は変わることは出来ないと考えます。
自分は知っていると考えているので、尋ねることはしません。
自分が正しいと思っているので、疑問を持ちません。
赦しは習得されるものです。
罪を犯すことの出来ない心に内在しているものではありません。
罪とは、あなたが自分自身に教えた概念なので、赦しもあなたによって学ばれなければなりません。
あなたの中のもう一方の自己を代表している内なる教師から学ばなければなりません。
その内なる教師を通して、あなたが自分で作り出したと考えている「自己」をどのようにして赦すかを学び、それを消滅させます。
このようにして、あなたは自分の心を、あなたの真の自己であり、決して罪を犯すことはできないキリストとひとつの状態に戻します。
赦そうとしない他の心の一つひとつがあなたに提供するのは、あなた自身の赦そうとしない心に、自分のその心を赦す方法を教える機会です。
どの心も、あなたを通して地獄から解放されるのを待っており、今ここでの天国を切望してあなたに頼っています。
そうした心は望みを失っていますが、あなたがその希望となります。
そして、その心にとっての希望となったあなたは、あなた自身の心にとっての希望となります。
赦そうとしない心は、自分が地獄からすでに救われていることを、あなたからの赦しを通して学ばなければなりません。
そして、あなたは救済を教えながら、救済を学ぶでしょう。
しかし、あなたの教えることも学ぶことも、どちらもあなたから生じるものではなく、あなたに道を示すために与えられた内なる教師から生じるものです。
今日、赦すことを学ぶための練習をします。
もしあなたにその意欲があるなら、今日の学びにより、幸せの鍵を手にすることが出来るようになり、それをあなた自身のために使うことが出来るようになります。
私たちは朝と夜のそれぞれ10分間を、赦しの与え方と赦しの受け取り方を学ぶために捧げます。
赦そうとしない心は、与えることと受け取ることは同じであることを信じません。
それでも、今日私たちは、あなたが敵だと考えている人と、友人と見なしている人に対する赦しの練習を通して、与えることと受け取ることはひとつであることを学ぼうと努めます。
そして、その両方を一つのものと見ることを学ぶにつれ、あなたはこのレッスンをあなた自身にまで当てはめるようになり、彼らの脱出にはあなたの脱出も含まれていたことが分かるようになるでしょう。
長めの練習時間は、あなたが嫌いな誰かについて考えることから始めます。
それはあなたをいらいらさせる人や、出来れば出会いたくないと思える人、あなたが積極的に嫌っている人、あるいは、ただ無視しようとしている人などです。
あなたの怒りがどのような形をとるかは問題ではありません。
おそらく、あなたはすでにその人を選んだに違いありません。
その人で構いません。
それでは目を閉じ、心の中にその人を思い浮かべ、しばらくその人を見つめましょう。
その人の中のどこかになんらかの光を知覚しようと努めてみなさい。
それまであなたが気づいたことのない小さな輝きです。
あなたがその人について抱いている醜い人物像から透けて輝いている小さなきらめきのようなものを見つけようと努めてください。
その人物像の中のどこかに光が見えてくるまで見つめてください。
それから、光がその人を包み、その人物像を美しく好ましいものにするまで、その光を広げていきます。
この変化した知覚をしばらく見つめ、それからあなたが友と呼ぶ人に心を向けます。
以前は「敵」であった人の周りに見ることを学んだその光を、この友へと移行させてみなさい。
その人を、今、あなたにとって友以上の存在として知覚しなさい。
その光の中で、その人の神聖性があなたの救済者をあなたに見せてくれるからです。
その救済者は救われていて、救うことができ、癒されていて、全一です。
それから、あなたがその人の中に見ている光をその人から与えてもらいなさい。
そして、あなたの「敵」と友をひとつにつながらせ、彼らに、あなた自身の与えたものを使ってあなたを祝福してもらいます。
今、あなたは彼らと一つであり、彼らもあなたと一つです。
そうして、今、あなたは自分自身によって赦されました。
一日を通して、自分の心を含めたあらゆる赦そうとしない心に幸福をもたらす上で、赦しが果たす役割を忘れてはなりません。
そして一時間ごとに、自分に向かって次のように教えなさい。
赦しこそが幸せへの鍵です。
私は、自分が死にゆくものであり、誤りを免れない者であり、罪深い者だという夢から目覚め、自分が完璧な神の子であると分かるようになるでしょう。
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