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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編18章1 実在の代用
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代用するということは代わりのものを受け入れることです。
これが実際なにを意味するか良く考えれば、それは 聖霊があなたに与えあなたのために達成してくれるゴールと、どれだけかけ離れているか、あなたはすぐに見てとることができるはずです。
代用するとは、つまり一なる子のある一つの側面を好むことで、他の側面を放棄し、二つのうちの一つを選択することです。
こうした特別な目的のために、どちらかひとりのほうがもっと価値があると判断した上で、もうひとりが彼と置き換えられます。
ある関係のなかでこの代用が起こったとき、その関係は断片化され、それに伴ってそれの目的も分裂します。
断片化するということは除外することであり、代用することは、 自我が分離状態を保つためにつかう最強の防衛法なのです。
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聖霊は決して代用を使いません。
自我が、ある人を別の人の代わりとして見て取る状況で、 聖霊はその二人は一つに結ばれた不可分のものだと見ます。
その二人は一つだと 聖霊には分っているので、その人たちのあいだを隔てるような判断はしません。
ひとつに結ばれている彼らは、同一の存在であるがゆえ、ひとつのものだと言えるのです。
代用するというプロセスにおいては、明らかに、彼ら二人を異なるものと知覚されています。
神が結びつけたものと、 聖霊が一つと見なすものの間には、いかなるものも割り込むことはできません。
しかし 自我が破壊するために支援している断片化された関係には、あらゆるものが入り込んで邪魔するように思えます。
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代用することが不可能な唯一の感情は愛です。
怖れとは、愛に取って代わろうとしたものなので、その定義からして、必然的に代用するものです。
怖れとは断片化された感情であると同時に断片化させる感情です。
それはいろいろな形で現われるように見え、その一つ一つが、満足するためにはそれぞれに異なった行動表現を必要とするように見えます。
こうしてかなりむらのある変わりやすい行動を引き起こすように見えますが、それ以上に重大な影響が見られるのは、そんな行動を生み出す断片的な知覚の仕方そのものです。
誰一人として完全だとはみなされていません。
身体は、その中の特定のある部分のみが強調された形で重視されていて、怖れの特殊なかたちの表現するのに受け入れるか拒否するかをということを、比較する際の目安にします。
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神は怖れであると信じているあなたは、ただ一つの代用を作りだしただけのことです。
それがいろいろな形をとるようになったというのも、それが真理に幻想を代用し、全一性を断片化に、と入れ替えるという代用だったからです。
それは分裂し、さらに細分化し、それをさらに分割し、それをまた分割することを何度も何度も繰り返したので、かつては一つであったし、本質は今でもそのままひとつだと知覚するのはほとんど不可能です。
真理を錯覚へともたらし、無限のものを時間へともたらし、生命を死へと運んでしまった、その唯一の誤りだけが、あなたの犯した唯一の誤りなのです。
あなたの世界はすべてこれに基づいています。
あなたが見ているものはことごとくそれを反映し、あなたが関わった特別な関係はどれもこれも、その一部分だといえます。
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あなたは、実在が自分の見ているすがたとどれほど大きな違いがあるか聞いたら、きっと驚くでしょう。
あなたはあの一つの誤りの重大さに気づいてはいないのです。
その誤りは実に果てしなく広がり、まったく途方もないほどになったので、それからは完全に非実在的な世界が出現せざるを得ませんでした。
それ以外の何が生じ得たでしょうか。
あなたがその断片化した側面に目を向け始める時、それらだけでも怖れを抱かせるのに十分です。
しかし、あなたが見てきたものは、何一つ原初の誤りの巨大ことができるものは何もないでしょう。その誤りは、あなたを天国から追い出し、叡智を打ち砕いて何のつながりのない無意味な知覚の断片に、あなたにさらなる代替を作り続けることを余儀なくさせたかのように見えたでしょう。
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こうしたことが、誤りを外に見ようとした最初の投影です。
この世界はその誤りを隠すために現われたのであって、過ちを投影するためのスクリーンとなって、あなたと真実であるものとを仕切るものとなりました。
真実は内に向けて拡張するものであって、そこでは何かを失うという考えには意味がなく、増大することのみが可能です。
ありとあらゆることが前後も上下も逆さまになっているような世界がこうした間違った投影から現われたことを、あなたには本当に奇妙だと思うでしょうか。
それが必然の成り行きでした。
なぜなら、真実がここに運ばれてきたとしても、それはただ内面の静かなところに留まり、この世界をでっち上げた狂った投影には一切関与せずにいるということしかできないからです。
そんな投影を、罪とは呼ばず狂気の沙汰だと呼びなさい。
それは確かに狂気だけのことだったし、今も狂気でありつづけているのですから。
そこに罪悪感を投入してはなりません。
なぜなら、罪悪感は、それが実相の中で達成されたと示唆するようなものであるからです。
そして何よりもまず、それを怖れてはなりません。
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原初の誤りが歪曲された形でよみがえってきて、あなたを怖がらせるように思えるときには、「神は怖れではなくて愛である」とだけ言うといいでしょう。
そうすればそんなものは消え去ります 。真実があなたを救ってくれます。
真実はあなたを置き去りにはしていないし、狂気の世界に入り込むために出向いてあなたから離れたわけではありません。
内側は正気そのもので、正気を逸した状態はあなたの外側にあります。
あなたがその反対だと信じているだけのこと、真実が外側にあり過ちと罪責感は内側にあるものと。
あなたの取るに足らない愚かな代用品は、まるで風に吹かれてあてどなく舞い続ける羽根のように、正気を失いかけて狂気の方向へ多少巻き込まれており、何の実質も伴なっていません。
融合したり合併したり分離したり、全く意味のないことを繰り返しながら、次から次へと移っているだけで、そんなことをどうこう判断する必要は少しもありません。
そんなものを一つひとつ判断してみてもむだなのです。形がわずかに異なっているのは、全く大した違いではありません。
どれも問題にはならないでしょう。この問題にならないということが共通点で、他には何もありません。だがこんなことはどれもこれも全部同じだとするのに、他に何が必要でしょうか。
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すべてを手放すのがいいでしょう。
風に吹かれて舞いながら、落ちそうになったりくるくると回ったりしながら、あなたから遠く離れた彼方へと風に吹かれて消え去るまで。
そして自分の心のなかに、何ものにも動じない落ち着きを取り戻せば、その聖なる静けさのうちには生きとし生ける神が在り、あなたはその神のもとを離れたためしなどなければ、神があなたを置き去りにされたためしもありません。
聖霊はあなたの手をそっと握って、あなたが自分自身の外にむかって狂気一色の旅路を歩んだその道を一緒に引き返し、あなたの内なる真実と安全なところへとやさしく連れ戻してくれます。
そのうえ、あなたが自分の外側に置いた正気を逸した投影や的外れの代用品など、すべて真実へともたらそうとします。
かくして 聖霊は狂気沙汰の過程を逆にして、あなたに理性を回復させてくれます。
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あなたときょうだいの関係においては、 聖霊があなたの要望ですべてのことを担当しており、あなたの取るべき過程を内面に向けて、あなたが分かち合う真実なるものに定めました。あなたの外側にある狂った世界では、何一つ分かち合われず代用されるだけであって、実際のところ分かち合いと代用には共通点などまるでありません。
あなた自身、心のなかではきょうだいを申し分のないほどの愛で愛しています。
これこそ聖なる地、ここでは何も代用できないし、あなたのきょうだいのうちなる真実のみがとどまることができるのです。
ここでこそあなたは神のうちに心を一つにしており、神と共にあるも同然です。
最初の過ちは、ここには入り込んでいないし、これからも絶対に入らないでしょう。ここに光り輝く真理があり、これに 聖霊はあなたの関係をゆだねたのです。
聖霊にそれを、あなた自身、おいてもいいと思えるところに持ってきてもらうがいいでしょう。
あなたのきょうだいに関しては 聖霊をほんの少しでいいから信頼することです。そうすればあなたがどんなものを天国の代用にしようとも、あなたを天国から引き離しておけるものはないということを、 聖霊が見せてくれるのに役立ちます。
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あなたの内面ではなにも分離してはいないし、何を代用しようと、あなたをきょうだいから離しておけるようなものはありません。
あなたの実在は神が創造なさったものであり、それには何の代用もないのです。
あなたは本当にしっかりと真理のうちに結ばれており、そこにはただ神が在ります。
そして神はあなたの代わりに何か他のものを受け入れるようなことは絶対にしないでしょう。あなたたち二人を同じように、また一つのものとして愛しています。
そして神があなたを愛してくれるように、あなたも愛します。
あなたは錯覚のなかで一緒になっているのではなくて、実に神聖で申し分ない思考そのもののなかで結ばれているので、ふたりが手に手を取って立っている聖なる場所に錯覚が残って、そこを暗くすることはできないのです。
私のきょうだいよ、神はあなたと共に在ります。平安と感謝のうちに神に加わりましょう。
そして神の賜物を我々の最も神聖で、申し分のない実在として受け入れ、その実在を神と分かち合いましょう。
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天国はあなたの関係を通して、神の子としての身分全体に戻されるわけですが、それはその関係のなかで全員がそろって美しく、あなたの愛につつまれ無事でいるからなのです。天国は静かに入ってきました。
すべての錯覚は穏やかにあなたのうちなる真実へともたらされたうえで、愛があなたの上に輝きあなたの関係を真実で祝福しているのですから。神と神の創造したものがすべて一緒に入ってきました。
真実なるものに照らされているあなたの関係はなんと素晴らしく、なんと神聖なのでしょう。天国はそのようすをながめ、あなたがそれを自分のものにしたことを喜んでいます。
そして神自身も、あなたの関係が創造されたときのままであることを喜ばしく思っています。
あなたのうちなる宇宙はあなたと共にあり、きょうだいも一緒にいます。
そして天国はこうした関係で結ばれたものを、その創造主と一緒に愛を込めて見つめています。
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神に呼ばれた者は、どんな代用品にも耳を貸さないでいなければいけません。
そんなものからの呼びかけは、天国をこなごなにした最初の過ちを犯したときの反響にすぎません。
それを聞き入れた者たちの心の平安はどうなったでしょうか。
私と共に天国へ戻ってほしいのです。
あなたのきょうだいと手に手を取ってこの世界を抜け出し、もう一つの世界を通って、素晴らしさと喜びに満つる天国へ。
あなたはすでに壊れていて見込みのないものを、さらに弱めたりもっとばらばらに壊したりするつもりだとでもいうのでしょうか。
こんなところで幸せを捜したいというのでしょうか。
それより、むしろ壊れているものを癒し、別れ別れになったり、病気になったりしたために荒廃したものを、もとのように完全にするために心を一つにしたいとは思わないでしょうか。
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あなたはきょうだいと一緒に、この世において最も聖なる役目を果すようにと呼ばれています。
これこそ唯一の限りない役目であり、神の子としての身分にありながらも打ち砕かれてばらばらになった者一人ひとりに、癒しと心を一つにするという安らぎを差し伸べることになります。
こうしたことがあなたの聖なる関係のなかで、あなたに差し出されています。それを今こそ受け入れてほしいのです。
そうすれば自ら受け入れたがごとくに与えるようになるでしょう。
神の平安は、あなたがきょうだいと心を一つにすることになる心あたたまる目的と一緒に与えられています。
あなたときょうだいを結びつけてくれた聖なる光は、あなたたちが受け入れるにつれて拡張するに違いありません。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第18章「過ぎ行く夢」目次