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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第18章「過ぎ行く夢」より
第18章6 身体を越えて(1~4)
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あなたの外側には何も存在していません。
このことが、あなたは、究極的には学ばなければならないことです。
それこそ、神の国があなたに取り戻されたという認識だからです。
なぜなら、神はこれだけを創造したのであって、そこから去ったことはないし、それをご自身から分離したまま放置したこともないからです。
神の国は神の子の住み処であり、その神の子は自分の父のもとから去っているのではないし、離れたところに居るのでもありません。
天国とは、場所でもなければ状態でもありません。
それは単に、完全なる一体性を自覚することであり、それ以外には何も存在しないという叡智、すなわちこの一体性の外側には何もないし、内側にもほかには何もないという叡智そのものにすぎないのです。
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神はご自身の叡智以外に、何を与えることができるでしょうか。
それ以外に与えるといっても、他に何があるというのでしょう。
あなたには何か他のもの、それも自分自身の外側にある何かを、与えたり手に入れたりできるという信念により、あなたに天国と自分が誰であるかについての自覚を失わせてしまいました。
そしてあなたは自分でまだ気づいてもいない奇妙なことをしでかしたのです。
自分の罪責感を自分の心から、 身体に移してしまったのです。
しかし、 身体はそれ自体、何一つできないのだから、それには罪はありません。
自分の 身体を憎んでいると思うあなたは、自分自身を欺いています。
あなたは自分の心のほうを憎んでいます。
なぜなら、心に罪責感が入り込んでいるからです。
それにより、あなたの心は自分のきょうだいの心と離れていようとしますが、それは心には為し得ないことなのです。
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心と心はつながっていますが、 身体はそうではありません。
ただ心に 身体固有の性質を割り当てると、分離は可能であるかのように思えます。
そうすると心がばらばらで内密的で孤立しているように見えています。
心を分離させつづけているのはその心の中の罪責感であり、その罪責感がからだに投影されます。
そして、 身体は苦しんで死んでいくことになります。
なぜなら、心のなかの分離状態を保ち、その心の真のアイデンティティを知らせずにおくために、 身体が攻撃されるからです。
心は攻撃できないが、空想を作り出して、 身体にそれを行動にうつすように仕向けることもできます。
ところが、満足をもたらすように見えているのは、決して 身体のすること自体ではありません。
心は、自らの空想を 身体が実際に行動にうつしていると信じていない限り、心の罪責感をますます 身体に投影して、その 身体を攻撃しようとします。
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こうなると、心が妄想的になっていることは明白です。
心は攻撃することなどできないにも関わらず、できると言い張り、それができるとの証明をするために、自らの為すことを 身体を傷つけるために使用します。
心というものは攻撃することはできなくとも、自らを欺くことは確かにできます。
そしてこれが、心が 身体を攻撃したと信じているときしていることのすべてです。
心は罪責感を投影することはできますが、投影を通してそれを失うということはありません。
そして心は明らかに 身体の役目を間違って知覚することが有り得るとしても、 聖霊が定めた以外のものにその機能を変えるということはできません。
身体というものは愛によって作られたものではありません。
しかし愛は 身体を咎めることはなく、神の子が作ったものを尊重して、その人を幻想から救うための手段とすることで、 身体を慈しみながら使うことができるのです。
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