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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編18章5 幸せな夢 本文
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一度も全く実在していないものを取り消すために、今、自分自身を準備しなさい。
もしあなたがすでに真理と幻想の違いを理解していたなら、贖罪には何の意義もなくなるでしょう。
聖なる瞬間も、神聖な関係も、聖霊の教えも、そして救いを達成するために使うすべての手段なども、何の目的もないものとなるでしょう。
なぜなら、こうしたことはみな、あなたの恐怖に満ちた夢と幸せな夢を交換させる計画のいくつかの側面にすぎないのです。
その幸せな夢からは、あなたは容易に叡智へと目覚めます。
あなたには前進しているのか後退しているのかその区別もできないのだから、自分自身をこの計画の責任者にしてはなりません。
あなたは自分が最も大きく進歩のいくつかを失敗ぱかりしたと判断したこともあれば、最も深く後退したときのいくつかのことを、成功だと評価したこともあります。
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聖なる瞬間に接近しようする前に、決して、自分の心からすべての恐れや憎しみを取り除いておこうとしてはなりません。
それこそ聖なる一瞬の機能なのです。
聖霊の助けを頼まずに、自分の罪責感を見過ごそうとなど絶対にしてはなりません。
それこそ聖霊の役目です。
あなたの役割はただ、すべての恐れや憎しみを全部取り除いてもらいたいし、赦してもらいたいというささやかな意欲を、聖霊に捧げることだけです。
聖霊の理解とつながったあなたのささやかな信頼心の上に、聖霊は贖罪におけるあなたの役割を組み入れ、必ずあなたがそれを容易に果たせるようにしてくれます。
そして聖霊と共に、あなたは堅固な岩のような信頼心の足場に、天国にまで届く階梯を築きます。
しかも、あなたは、その階梯を使って一人で天国に昇るのでもありません。
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あなたがその手はずを整えるわけではないにせよ、聖なる一瞬が起こるたびに、あなたの神聖なる関係は再生し、祝福され、その神聖な関係を通じて、何千人もの人々があなたと一緒に天国へ昇っていくでしょう。
あなたが自分でこれを計画できるでしょうか。
あるいは、このような役目にふさわしいように、自分自身を準備できるでしょうか。
だが、あなたにはそれができます。
なぜなら神がそれを意図しているからです。
そのうえ神はそのことについて御心を変えるようなことはありません。
神はそのための手段と目的の両方とも持っています。
あなたはその一つを受け入れたし、もう一つはこれから与えてもらえます。
これほどの目的に手段がないということなどありえません。
神は自分の目的を分かち合う者には、だれにでもその達成の手段を与えるのです。
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幸せな夢は実現します。
その理由は、それが夢だからではなくて、ただ幸せなものだからです。
したがってそれは愛に満ちているに違いありません。
そうしたメッセージが伝えようとする意味は「御心が行われますように」であって、「自分は他のことも望む」という意味ではありません。
手段と目的を一致させるという仕事は、あなたにとうてい理解できない仕事です。
あなたは聖霊の目的を自分の目的として受け入れたということさえ十分に理解していません。
そしてその目的を達成するためには、単に神聖とはいえない手段を持ち込もうとしかねないだけです。
目的を変えるにはささやかな信念を要するだけが、手段を受け取ってそれを使うために必要とされているすべてなのです。
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あなたのきょうだいを自分自身のごとくに愛することは、夢ではありません。
それに、あなたの聖なる関係も夢ではありません。
その中でまだ残っている夢の要素は、それが特別な関係だということだけです。
しかし、それも、ここで特別な役目を持っている聖霊には、とても役に立ちつものです。
そんな関係も幸せな夢となり、それを通じて、聖霊は愛とは幸せではなくて恐れだと信じている無数の人々に、喜びを広めることができます。
聖霊があなたの関係に与えた役目を自分のために受け入れることによって、それを聖霊に果たさせなさい。
そうすれば、何であれ、それを聖霊が思い通りのものにするのに、必要なものが足りなくなるようなことはありません。
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あなたの関わる関係の神聖さが何かに脅かされていると感じたときには、即座に立ち止まり、恐れに負けずに、その瞬間を自分の望む聖なる瞬間のほうに取り替えてもらいたい意欲を、素直に聖霊に差し出しなさい。
聖霊は絶対に失敗することはありません。
しかし、忘れてはならないことは、あなたの関係は一つのものであり、それゆえ何であれ一人の平安を脅かすものは、同時にもう一人にとっても同等の脅威にならざるえないということです。
その祝福を一つにつなげることから生じる力は、今や自分もきょうだいも、一人だけが恐れを感じたり、恐れに一人で対処しようとしたりするのは不可能だという事実にあります。
決して、一人で対処する必要があるとか、可能であるなどと信じてはなりません。
しかし、まさにこんなことが不可能であると同様、聖なる一瞬があなた方どちらか一人にだけ起こるということも同様に有り得ません。
そしてその一瞬は、どちらか一人の要請によって、両者に起こるのです。
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脅威を知覚した時点で、どちらかまだ相手よりも正気を保っている者は、自分が相手にどれほど恩恵をこうむっているかとか、その相手にどれほど感謝するべきかということをです。
そして、自分が自分と相手の両方に幸せをもたらすことによって、それで自分の心の負債を返済できることを喜ぶべきです。
より正気である者はこのことを思い出し、次のように言うべきです。
この聖なる一瞬を自分のために切に願います。
そうすれば、自分の愛するきょうだいとそれを分かち合うことができます。
きょうだい抜きには私がその瞬間を訪れるのは不可能で、きょうだいも、私抜きではきょうだいもその瞬間は訪れません。
しかし、今、私たちが、それを分かち合うことは絶対にできます。
だから、私はこの一瞬を聖霊に差し出す瞬間として選びます。
聖霊に祝福が私たちに降りてきて、私たちを平安のうちに保ってくれるでしょう。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第18章「過ぎ行く夢」目次