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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編18章4 ささやかなる意欲 本文
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聖なる瞬間はあなたが神聖であろうと決心した結果です。それが答えです。
その一瞬をもたらしたいという切なる願いと意欲がその訪れに先行します。
あなたがそのために行う心の準備は、自分はなにより増してその一瞬を望むと認識するところまでです。
あなたがそれ以上のことを何かする必要はありません。
実のところ、あなたはこれ以上は何もできないと悟ることこそ必要です。
聖霊が求めていないものを渡そうと試みることはやめなさい。
さもないと、あなたは 聖霊に 自我を付け加えることになり、その二つを混同してしまいます。
聖霊はほんのわずかしか求めてはいません。
その 聖霊のほうで、偉大なことや意力を付け加えてくれます。
聖霊はあなたとつながり、聖なる瞬間を、あなたの理解をはるかに越えた素晴らしいものにしてくれます。
あなたが自分のすべきことはごくわずかだと悟れば、 聖霊は本当に多くのものを与えることが可能になるのです。
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あなた自身の善意を信用してはなりません。
それだけでは十分だとはいえないのです。
しかし、ほかにどんなことが思い浮かぼうとも、その意欲だけは無条件に信用することです。
このことだけに心を集中して、それを取り巻く影などに動揺させられないほうがいいのです。
だからこそあなたはきたのです。
もしもそうした影を持たずにこられるのなら、あなたには聖なる一瞬は必要ないでしょう。
その一瞬が起こるときに伴う状態を、自分で達成せねばならないと思い込むような傲慢さをすてて、それに臨むのです。
聖なる瞬間の奇跡は、その一瞬をあるがままにさせようとするあなたの意欲の中にあるのです。
そしてまた、その意欲があるとすれば、自分自身を本来のあるべき姿そのままに受け入れることになります。
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謙虚でいるために、決して、あなたが卑小さに満足したままでいる必要はありません。
ただ、あなた自身から生じるのではない偉大さとくらべてみて、それ以下の状態で満足したりしないということは必要です。
あなたにとって聖なる瞬間が難しいのは、自分はそれに値いしないという、あなたの固定観念を信じて疑わないからです。
そうするとこれは、あなたが自分の望みどおりの自分のままでいようとする決意以外の何ものでもありません。
神はご自身にふさわしくないような住み処など創造しなかったのです。
だから、もしあなたが、神はご自身の意思するところに入り込めないと信じているなら、自分で神の意志を邪魔しているに違いありません。
意欲の強さはあなたから生じる必要などなく、ただ神の意志からくる力が必要なだけなのです。
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聖なる瞬間は、あなたのささやかな意欲だけで起こるのではありません。
それは、あなたのわずかな意欲と、神の意志の無限なる力とが結合された結果として起こるのが常なのです。
あなたは、神を迎えるために自分自身を準備する必要があると思い込んできたのですが、それは間違いです。
神聖性を迎える準備を傲慢にも自分で整えようとすれば、平安への条件を確立するのは自分の役目だ、などと信じずにはいられないでしょう。
そうした条件は神がすでに確立しています。
平安の条件が平安の条件であるためには、あなたの意欲を待つ必要はありません。
あなたの意欲を必要とするのは、単に、その条件がどんなものなのかをあなたに教えられるようにするためです。
もし、あなたが自分はこれを学ぶにふさわしくないと主張するなら、あなたは学ぶ者を何か別のものに変えなければならないと信じることによって、このレッスンを妨害していることになるのです。
あなたが自分で学ぶ者を作ったのではないし、その人を違うようにすることもできはしません。
あなたはまず自分なりの奇跡を作り出しておいて、それから、自分のために奇跡が為されるのを期待しようというのでしょうか。
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あなたは単に質問するだけでいいのです。
答えは与えられています。
自分で答えようとしてはなりません。ただ与えられているままに答えをそのまま受け取りなさい。
聖なる瞬間にそなえ準備するにあたって、自分自身で神聖になろうとして、それを受けとるための準備を整えておこうと試みてはなりません。
それはあなたの役割と神の役割を混同することに他なりません。
贖罪は、自分でまず贖わなければならないと思っている者のところには訪れることはできず、ただ贖罪ためにほんの少しでも道をあけようという意欲だけを差し出す者にのみ訪れます。
清めは神のみからのものであり、したがって、あなたのためのものです。
神のために自分自身を準備しようとせず、次ぎのように考えてほしいのです。
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神のもてなし役である私は、神にふさわしい者です。
私の中にご自身の住み処を定めた神は、それを御自分の思い通りに創造しました。
その住居は永遠なのだから、私がそれは神のために用意する必要はありません。
必要なのはただ、私には準備ができているという自覚を取り戻させようとする神の計画を、私が邪魔をしないことです。
私は神の計画に何一つ付け加える必要はありません。
ただ、それを受け取るためには、自分の計画をその代替にはしないという意欲が必要です。
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これだけがすべてです。
それ以上何かを付け加えると、あなたの求められているわずかなものを取り去るだけです。
あなたは自分で罪責感を生じさせたことを思い出しなさい。
そして、その罪責感から逃れるためのあなたの策とは、贖罪を罪悪のもとへと運び、救いを恐ろしいものにすることだったのです。
だからもし、あなたが自分自身を愛のために準備しようとするなら、ただ恐怖心を増すことになるだけです。
聖なる瞬間のための準備は、それを与える 聖霊のものです。
聖霊の役目は解放することなので、 聖霊に自分の身を委ねることです。
その 聖霊の役目を、あなたが勝手に引き受けたりしてはなりません。
あなたの役割はいかにささやかで、 聖霊の役割がいかに大きいかが学べるように、 聖霊が求めるものだけを 聖霊に与えなさい。
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これが聖なる瞬間を実に容易で自然なものにします。
それを難しくしてしまうというのはあなたです。
なぜなら、あなたは自分ですべきことがもっとあるはずだと言い張るからです。
多くを受け取るのに、ほんの少し渡すだけでいいという考えは、あなたには受け入れるのが難しいでしょう。
そして、自分が貢献する割合と 聖霊が貢献する割合との差が極端に差が大きいとしても、それは個人的に侮辱されているわけではないと理解するのは、あなたにとってかなり困難でしょう。
あなたは未だに、自分の理解するということが、真実なるものにたいして力強く貢献し、それを本来のすがたにするものと信じ込んでいます。
しかし、あなたには何も理解する必要はないということを、私たちはすでに強調してきました。
救いは、まさに、あなたが今すぐ与えることができないものは何一つ要求していないからこそ、容易なのです。
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自分にとって自然で容易なことをことごとく不可能にするのは、あなたが自分で決めたことだということを忘れてはなりません。
もし、あなたが聖なる一瞬など自分には難しいことだと信じているとすれば、その理由は、あなた自身が、何が可能かを決める最終決定者になっており、すべてを知っている存在にその役目を譲りたくと思い続けているからです。
奇跡には難しさの順序があるとする信念自体が、全面的にこのことに基づいています。
神が意図することはことごとく、可能であるばかりか、すでに起こっています。
だからこそ、過去は過ぎ去ったことです。
それは実在においては全然なにも起こっていません。
それが起こったと思っているあなたの心の中でのみ、過去を取り消すことが必要なのです。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第18章「過ぎ行く夢」目次