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奇跡講座(奇跡のコース) ワークブック編レッスン59本文
レッスン59
次の見方が今日の復習のための見方です。
1.(レッスン41)《神は私がどこに行こうとも私と共に在ります。》
「神」がいかなる時も常に私と共に在るのに、私が一人であるということがあり得るでしょうか。
完璧な確実性が「神」の中にあるというのに、いったいどうして私が自分自身について疑いを抱き、不安になったりすることがあり得るでしょうか。
「神」が絶対的な安らぎの中で私の中に休息しているというのに、私が何かによって心をかき乱されることなどあり得るでしょうか。
愛と喜びが「神」を通じて私を取り囲んでいるというのに、いったいどうして苦しむことができるでしょうか。
私は、自分自身についての幻想を大切にすることのないようにしたいと思います。
私が行くところであればどこにでも「神」が在るので、完璧があります。
2.(レッスン42)《神は私の強さです。ヴィジョンは神の贈り物です。》
今日は、見るために私自身の目に頼らせないでください。
『私が』見ているという哀れな幻想を、「神」によって与えられている心眼(ヴィジョン)と交換する気持ちを私に持たせてください。
「 聖霊」の心眼(ヴィジョン)が「神」の贈り物であり、「神」はそれを私に与えてくれたのです。
今日という日が永遠を私が理解する助けとなるように、今日はこの贈り物に助けを求めさせてください。
3.{レッスン43)《神は私の源です。私は神から離れては見ることはできません。》
「神」が私に観てほしいと望んでいることを私は観ることができます。
私にはそれ以外のものは何も見ることはできません。
「神の意志」でないところには幻想が横たわっているだけです。
私が「神」から離れて見ることができると思うときに私が選択するのはこれらの幻想です。
私が 身体の目を通じて見ようとするときに選択するのはこれらの幻想です。
しかし、「 聖霊」の心眼がそれらの幻想に代わるものとして私に与えられています。
このヴィジョンを通じて私は観るという選択をします。
4.(レッスン44)《神は光であり、その光の中で私は見ます。》
私は闇の中では観ることはできません。
「神」が唯一の光です。
したがって、私が真に観ることができるとすれば、「神」を通して観なければなりません。
私は見るとはどのようなことであるかを定義しようとしてきましたが、間違っていました。
今、「神」は光であり、その光の中で私は観るという理解を私は与えられました。
私に心眼を歓迎させてください。
そうすれば、心眼は私に幸せな世界を観せてくれるでしょう。
5.(レッスン45)《神は意識そのものであり、その意識で私は考えます。》
私には「神」と分かち合っていない思いはありません。
私には「神」を離れた思いはありません。
なぜなら、私には「神の意識」を離れた意識はないからです。
「神の意識」の一部としての私の思いは「神の思い」であり、「神の思い」は私の思いです。
奇跡講座(奇跡のコース)ワークブック編レッスン59の効果的学習方法
レッスン59の取り組み方の解説
解説を確認するにはこちら→復習Ⅰ 序文(レッスン1~レッスン50までの復習)
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