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奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編15 本文
15. 最後には一人ひとりが審判されるのでしょうか
ACIM-Manual 15-1
まったくその通りです。
神の 最後の審判から逃れられるものは一人もいません。
一体誰が、真実から永遠に逃げられるでしょう。
しかし、 最後の審判は、それが恐れを連想しなくなるまで訪れることはありません。
いつの日か、誰もがそれを喜んで受けるようになるので、まさにその日こそ、それが与えられます。
自分に対する審判を受け取る時、その人は世界中のあらゆるところで自分の無罪性が宣言されて世界を解放するのを耳にするでしょう。
これが審判であり、この中にこそ救いが内包されています。
これが、その人を自由にする審判です。
この審判こそ、その人と共に全てが解放される審判です。
永遠なるものが近づくと時間は止まり、世界中が静まり返り、誰もがみな神の子に対するこの審判を聞くでしょう。
聖なる者よ、あなたは永遠にして自由であり全一なる者。神の胸の中で永久に安らかなる者。
今や、世界はどこにあり、悲しみはどこにあるというのでしょう。
ACIM-Manual 15-2
神の教師よ、これが自分自身に対するあなたの審判でしょうか。
これが全く真実だと、あなたは信じられるでしょうか。
いや、それは今はまだ、出来ません。
しかし、これこそ今でもあなたのゴールであり、あなたがここにいる理由です。
あなたの機能は、この審判を耳にして、これが真実であると認識できるように自分自身を準備することです。
このことを完全に信じる一瞬があれば、あなたは信じることを越えて確かさへと移行します。
時間を越えたほんの一瞬があれば、時の終わりをもたらし得るのです。
裁かずにいなさい。
なぜなら、あなたが裁くのは自分自身だけであり、それに従ってこの 最後の審判を遅れさせることになるからです。
神の教師よ、この世界に対してのあなたの審判はどのようなものでしょうか。
あなたは傍らに退き、自分の内なる審判の声に耳を傾けることを、もう学んだでしょうか。
それとも、まだ依然として 聖霊からその役割を横取りしようとしているのでしょうか。
静かにすることを学びなさい。
そうすれば、 聖霊の声は静けさのうちに聞こえてくるからです。
そして、 聖霊の審判は、誰であれ、傍らに退き静かに耳を傾けて 聖霊を待つ全ての者に訪れるのです。
ACIM-Manual 15-3
あなたは、悲しい思いをすることもあれば、怒りを感じる時もあり、またある時は、当然自分に与えられるべきものが与えられていないと感じ、自分が最善をつくしたことが感謝されないばかりか軽蔑されていると感じることがあります。
こうした愚かな思いは放棄しなさい。
それらは、あまりに卑小で無意味なことで、これ以上一瞬たりともあなたの聖なる心を占領するべきものではありません。
神の審判は、あなたを自由にするためにあなたを待っています。
世界からの贈り物をあなたがどう審判しているかは別として、この世界はあなたが自分の物にしたいと思うような何を差し出せるというのでしょう。
あなたは、審判されることになっており、それは公平かつ誠実な審判です。
神には何の偽りもありません。
神が約束することは確実です。
ただそれだけを覚えておきなさい。
最後には受け入れられるのは神の審判であり、ただそれだけであると神の約束は保証しています。
その最後の時を早めることがあなたの機能です。
神の審判を大切に自分の胸に抱き、それを安全に保つために全世界に差し出すことがあなたの機能です。
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