奇跡講座マニュアル編14. 世界はどのように終わるのでしょうか

奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編14 本文

 

14. 世界はどのように終わるのでしょうか

ACIM-Manual 14-1

始まってもいないものに、本当に終わりがあり得るでしょうか。

この世界は、始まったときと同じように、幻想のうちに終わります。

とはいえ、その終わりは慈悲という幻想です。

完全な 赦しという幻想、誰ひとり除外せず限りなく優しい幻想が、この世界を包み、あらゆる悪を見えなくして全ての罪を覆って、罪悪を永遠に終わらせるでしょう。

こうして、罪悪が作り上げた世界は終わりを告げます。

なぜなら、その時にはそれには何の目的もなくなったので、それは消え去っているからです。

幻想を生み出した父とは、幻想には目的があるとの信念です。

すなわち、幻想が何か必要なことに役立つとか、望むことを満たしてくれるとの信念です。

それらが目的のないものだと見てとられたら、もう消えてなくなります。

それらが無用であるものだと認識されたら、消えてなくなります。

全ての幻想を終わらせるには、こうした方法しかないのではないでしょうか。

それらは真理のもとへと運ばれており、真理はそれらに目もくれませんでした。

真理はただ無意味なものを見過ごしただけです。

 

ACIM-Manual 14-2

赦しが完了するまでは、この世界にも確かに目的があります。

それは、 赦しの発祥の地となり、そこに 赦しが成長し、より力を増し、全てを包み込むようになります。

ここで 赦しが育まれるというのも、ここで必要とされていることだからです。

それは、罪が作り出され、罪悪が実在するように見える場所で生まれた、優しい救い主です。

ここに、救い主の住む家があります。

それは、ここでこそ、まさに救い主が必要とされているからです。

その救い主が、自らこの世界の終わりをもたらします。

その存在の呼びかけに神の教師たちは応え、その言葉を受け取るために、静かにその存在の方を向きます。

世界は、そこにある全てのものがその存在の審判で正しく裁かれた時、終わります。

世界は、聖性の祝福を受けて終わるでしょう。

罪の想念が一つも残らなくなったとき、世界は過ぎ去ります。

破壊されることも、攻撃されることもなく、触れられることさえないでしょう。

ただ、在るかのように見えることをやめるだけのことです。

 

ACIM-Manual 14-3

確かにこうしたことは遥か先の未来のことのように思えます。

「罪の想念が一つも残らなくなった時」というのは、事実、長期にわたって目指すゴールであるかのように見えます。

しかし、時は静止し、神の教師たちがゴール達成するその時を待ち続けています。

神の教師のうちの誰か一人が、自分自身のために贖罪を受け入れるやいなや、罪の想念は一つ残らずなくなるでしょう。

一つの罪を赦すことの方が、全ての罪を赦すよりも容易だということはありません。

難しさには順序があるという幻想は、神の教師が通り越し、そして後にしなければならない障害です。

一人の神の教師が、罪をひとつ完全に赦すことで、救いを完了させられます。

あなたにはこれが理解できるでしょうか。

できないでしょう。

これは、ここにいる者には、それが誰にとってであれ無意味なことです。

とはいえ、それが最後のレッスンであり、それによって一体性が回復します。

これはこの世界の思考の全てに逆行しているものですが、天国もまた、この世界の思考に逆行するものです。

 

ACIM-Manual 14-4

この世界が終わるのは、この世界の思考体系が完全に逆転した時です。

それまでは、この世界の思考の断片の数々が、依然として道理にかなっているように見えることでしょう。

この世界の終わりをもたらすという最終的なレッスンは、この世界を後にして、その狭い領域を超えて進む心構えがまだできていない者たちには把握できるものではありません。

では、この締め括りのレッスンのために神の教師が果すべき機能とは何でしょうか。

その人に必要なのは、ただどうすればそれに近づけるかを学ぶことだけであり、それに向かって進もうと意欲を持つだけでいいのです。

もし神の声が、それがその人に学ぶことのできるレッスンだと言うなら、自分は学ぶことができる、とその声を信用するだけでいいのです。

その人は、それを難しいとか容易いとか自分で判断することはありません。

その人の教師がそれを示してくれるので、それをどのようにして学ぶのかもその教師が教えてくれることをその人は信頼します。

 

ACIM-Manual 14-5

この世界は、悲しみの場所であるので、喜びのうちに終わることになります。

喜びが訪れたなら、世界の目的は過ぎ去っています。

この世界は、争いの場所であるので、平安のうちに終わることになります。

平安が訪れたなら、この世界に何の目的があるでしょうか。

この世界は、涙の場所であるので、笑い声のうちに終わることになります。

笑い声が聞こえるところで、誰が泣き続けていられるでしょうか。

そして、完全な 赦しだけが、こうしたことの全てをもたらし、世界を祝福します。

この世界は始まった時と同じように終わるのではなく、祝福されて去っていきます。

地獄を天国に変えることが、神の教師たちの機能です。

なぜなら、その人たちの教えることは、天国が反映されているレッスンだからです。

さあ今、真の謙遜さで座り、神があなたにさせようとすることならあなたはやり遂げることが出来るのだ、と悟りなさい。

傲慢にも、神ご自身のカリキュラムを、自分には習得できないなどと言ってはなりません。

神の言葉によれば、そうは言っていません。

神の意志は成されます。

そうでないはずは有り得ないのです。

だから、そうであることを感謝しなさい。

 

奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編の目次

マニュアル編(教師のためのマニュアル)目次

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

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