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奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編20 本文
20.神の平安とは何でしょうか
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この世のものではない平安があると言われてきました。
それは、どのようにして認識されるのでしょうか。
それは、どのようにして見いだせるのでしょうか。
そして、それを見いだした後、どうすればそれを保っておけるのでしょう。
こうした質問は、それぞれこの道での別々の段階を反映しているので、その一つひとつを考えてみましょう。
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まず始めに、どうすれば神の平安を認識できるのでしょうか。
神の平安には、先ず、一つのことによって認識されます。
それはつまり、それがこれまでの全ての体験とはあらゆる側面で全く異質である、ということです。
それは、以前に起こったことは何一つ心に呼び起こされることがありません。
過去から連想させるものは、全く何も伴いません。
それは、全く新しいものです。
確かに、この事と過去の全ての事との間には対照性はあります。
しかし、不思議なことに、それは真の相違による対照性ではありません。
過去はただ過ぎ去り、その代わりに永遠の静けさがあります。
ただそれだけのことです。
最初に知覚された対照性は、ただ過ぎ去っていきました。
静けさが広がり、それが全てを包み込んでいます。
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こうした静けさは、どうすれば見つかるでしょうか。
ただその条件を探し求める人なら、その静けさを見つけることのない人は誰一人いません。
怒りがあるところには、神の平安は決して訪れません。
なぜなら、怒りは平安が存在しているということを否定せざるを得ないからです。
どんな形であれ、そしてどんな状況であれ、怒りが正当化できると見なす人は、平安は無意味だと宣言しており、平安は存在するはずなどないと信じているに違いありません。
この状態では、平安を見いだすことはできません。
したがって、 赦しこそが、神の平安を見いだすのに必要条件です。
それだけではなく、 赦しがあれば、そこには必ず平安もあります。
いったい攻撃以外の何が、争いにつながるでしょう。
そして、平安以外の何が、争いの対極でしょう。
ここに、最初の対照性が、明白に、はっきりと表われています。
しかし、平安が見出された時には、争いは無意味です。
そして、その時、葛藤の方が、存在していない非実在のものと知覚されます。
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一旦神の平安を見いだしたなら、それはどのように保たれるのでしょうか。
どんな形であれ戻ってくる怒りは、またしても重い幕を下ろすことになります。
そして、平安など存在するはずがないという信念が確実に戻ってきます。
また争いが、唯一の現実として受け入れられてしまいます。
この時こそあなたは、もう一度剣を置く必要があるのですが、自分ではそれをまた手に取っていることに気づいていません。
しかし、それを持っていなかった時にはどんな幸せが自分のものだったか、そのことを微かにでも思い出すにつれて、自分を守るためにまた剣を手にしたに違いないのだと分ってきます。
そこでしばらく静まり、次のことを考えてみなさい。
自分の望むものは葛藤だろうか、それとも神の平安の方がよりよい選択だろうか、どちらのほうが自分にとってより多くを与えるだろうか、と。
穏やかな心は小さな贈り物ではありません。
あなたは、死を選ぶより、むしろ生きることを望むのではないでしょうか。
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生きることは喜びですが、死はただ涙を流すだけです。
あなたは、自分で作り出したものからの逃げ道を、死の中に見ています。
しかし、あなたには見ていないことがあります。
それは、死を作ったのは自分自身であるということです。
そして、死は終焉の幻想に過ぎないということです。
死が逃げ道であるはずがないのです。
生命そのものの中に問題が存在している訳ではないからです。
生命には、対極というものはありません。
なぜなら、それは神そのものだからです。
生と死は、背中合わせのように思えますが、その理由は、あなた自身が死は生命を終わらせると自分で決めたからです。
世界を 赦しなさい。
そうすれば、あなたは神が創造した全てに終わりはなく、神が創造しなかったものは何一つ真実ではないということを理解するでしょう。
この一文の中に、私たちの奇跡のコースが集約されています。
この一文の中に、私たちの練習が進むべき唯一の方向が示されています。
そして、この一文の中に、 聖霊のカリキュラム全体がそっくりそのまま正確に明記されています。
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神の平安とは何でしょうか。
それは、神の意志には全くその対極がないという単純な理解であり、それ以外の何ものでもありません。
神の意志に相反していながら、それでも真実である想念というものはありません。
神の意志とあなたの意志の間の違いは、実在するものであるかのように見えるだけです。
真理においては、葛藤は存在していませんでした。
なぜなら、神の意志とはあなたの意志でもあるからです。
今や、神自身の強力な意志が、神からあなたへの贈り物です。
神は、それをご自身のためだけに取っておこうとはしません。
なぜ、あなたは自分の卑小な儚い想像の産物を、神から離して取っておこうとするのでしょうか。
神の意志はひとつであり、存在する全てです。
これは、あなたが受け継いでいる賜物です。
太陽と星を越え、あなたが思い浮かべることの可能な全ての想念も越える全宇宙が、あなたに属しています。
神の平安が、神の意志のための条件です。
神の平安を達成しなさい。
そうすれば、あなたは神を思い出すでしょう。
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