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奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編27 本文
27. 死とは何でしょうか
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死とは、全ての幻想を派生させる中心的な夢です。
産まれてきて年をとって活力を失い最後には死んでいくものが生命だと考えるのは、狂気ではないでしょうか。
私たちは、以前にもこの質問をしたことがありますが、ここでもう少し念を入れて考慮する必要があります。
この世界のあらゆるものは、ただ死ぬだけのために生まれてくるというのが、この世界における一つの不動にして不変である信念です。
これが「自然界の摂理」であって、それは疑問視するべきことではなく、生命あるものの「自然な」法則として受け入れられるべきことだと見なされています。
周期的に巡りめぐるもの、移り変わる不確なもの、頼りにならないものや不安定なもの、一定の軌道の上を一定の形で盛衰するもの、こうしたことは全て神の意志であるとされています。
そして、誰一人として、こうしたことを慈悲深い創造主が意志することができるのかと尋ねる人はいません。
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このような宇宙を神が創造したと見て取るなら、そのような神を愛に満つる存在だと考えるのは不可能でしょう。
全てのものは過ぎ去り、失望や諦めのうちに終わり、土に帰ると定めたような存在については、恐れる以外ないからです。
その存在は、あなたの小さな生命を一本の糸で繋ぎとめてはいても、その糸は情け容赦なく断ち切られるかもしれません。
ひょっとしたら、今日がその日かもしれません。
もし、待ってくれるとしても、いずれは終わる時が来るのは確実です。
そのような神を愛する人は、愛というものを知りません。
それというのも、その人は、生命が実在するとものであるということを否定したからです。
死が生命の象徴となっています。
その人の世界は、今や戦場と化し、矛盾が支配し、対立するもの同士が果てしない戦いを繰り広げています。
死が存在するところには、平安は有り得ません。
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死とは、神に対する恐れの象徴です。
そのような概念は、まるで太陽を遮るために掲げられた楯のように神の愛を自覚させないままにします。
その象徴の陰鬱さだけで、それが神と共存できないことを示すのに十分です。
そこには、荒廃の腕に抱かれて葬られている神の子の肖像を掲げ、そこでは蛆虫がその人を食いつくすことで、少しの間でも長らえようと待ちかまえています。
しかし、蛆虫もまた、確実に滅ぼされる運命にあります。
そのように、全てのものは死によって生きています。
貪り食うことが、自然界の「生きるための法則」です。
そこでは、神は狂っていて、恐れだけが実在するということになります。
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死につつあるものの一部でありながら、死すものから離れて生き続ける部分が存在するという奇妙な信念は、愛ある神を宣言しようにも、信頼できる根拠を立て直すことにもなりません。
もし、何にとってであっても死が実在するとするなら、生命は存在しないことになります。
死は、生命を否定するものです。
しかし、もし生命に実在性があるなら、死が否定されます。
ここには少しの妥協も有り得ません。
あるのは、恐れの神か、愛の神か、そのどちらかしか有り得ません。
世界は多くの妥協を試みていて、これからも何度でも妥協しようとするでしょう。
その一つたりとも、神の教師たちは受け入れられないものです。
なぜなら、そのどれ一つとして神に受け入れられないものだからです。
神は、恐れを作り出さなかったので、死も作り出しませんでした。
その両方とも、神にとっては同じように無意味です。
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死の「実在性」は、神の子は 身体であるという信念に堅く根ざしています。
そして、もし神が 身体を創造したとすれば、死はまさしく実在することになります。
ただし、神は愛に満つる存在ではないということになります。
実相の世界での知覚と幻想の世界での知覚との間にある対照性が、これほど際立って明白なところは他にありません。
もし、神が愛であるとすれば、死とはまさしく神の死です。
そして、今や神自身に創造されたものは、神を恐れ、竦まざるを得ません。
神は、父ではなくて、破壊者となります。
創造主ではなくて、復讐者となります。
神の想念は恐ろしいものであり、神の姿は恐怖を抱かせます。
そして、神の創造したものを見ることとは、死ぬことになります。
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「そして、最後に亡ぼされるのは死である」。
これは、もちろん、その通りです。
死についての概念がなければ、世界は存在しません。
全ての夢は、この夢と一緒に終わります。
これこそが 救済の最終的なゴールであり、それは全ての幻想の終わりです。
そして、全ての幻想は、死の中が生まれます。
一体何が、死から生まれてきながら、生命を持つことができるでしょう。
しかしまた、神から生まれていながら、死ぬことができるものなどあるでしょうか。
死にしがみつきながら、なおも愛は実在するものと考えようとする虚しい試みの中で、世界が助長している矛盾や妥協や儀式といったものは、心が伴わない魔術であり、何の効果もない無意味なものです。
神は在るものであり、神の中では創造された全てのものは永久不滅のはずです。
そうでなければ、神とは正反対のものが存在することになり、恐れは愛と同じように存在するということになるということが、あなたにはわからないでしょうか。
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神の教師よ、あなたに唯一の課題は、次のように言うことができます。
死が関与している妥協策を一つたりとも受け入れてはなりません。
残虐性を信じてはなりません。
そして、攻撃によりあなたか真理が隠されることのないようにしなければなりません。
死ぬように見えるものは、間違って知覚されて幻想のもとへ運ばれたものです。
今や、幻想が真実へと運ばれるに任せることが、あなたに課せられた任務となります。
移り変わる形の「実在性」のようなものによって欺かれないという態度を、断固として貫きなさい。
真理は不動であって、揺らぐこともなければ、死や消滅へと沈んでいくこともありません。
ところで、死の終わりとは何でしょう。
それはただ、神の子は今もこれからも永遠に無罪だと悟ることです。
ただこれ以外の何ものでもありません。
しかし、これ以下のものではないということを、自分に忘れさせてはなりません。
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