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奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編4-(9)本文
4-(9) 信義
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神の教師に、どれほどの信義が見られるかが、このカリキュラムにおけるその人の進歩の目安です。
その人は、未だに生活のある側面だけを選んで自らの学びの対象とする反面、他の側面は切り離しておこうとしているでしょうか。
もし、そうだとすれば、その人の進歩は限られていて、その人の信頼はまだしっかり確立されてはいません。
信義ということは、神の言葉は、全ての物事、そのうちのいくつかではなくて全てを正してくれるという、神の教師による信頼です。
通常、その人の信義は、始めのうちはいくつかのある問題点に関してだけ向けられることから始まり、しばらくは用心深く限られたものに留めておこうとします。
全ての問題を手放し、一なる答えに委ねるということは、この世界の思考を完全に覆すことです。
そして、このことだけが信義そのものです。
それ以外のものは、真にその名にふさわしくはありません。
しかし、いかに僅かな信義であれ、そのどれもが達成するだけの価値があります。
準備が整った状態とは、奇跡のコースのテキストでも述べているように、熟達そのものではありません。
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しかし、真の信義さは逸脱するようなことはありません。
首尾一貫しているので、完全に正直です。
揺らぐことはないので、信義に満ちています。
恐れの不在に根差しているので、柔和です。
確信しているので、喜びに溢れています。
そして、自信があるので、寛容です。
すなわち、信義はそれ自体の中に、神の教師の他の属性を兼ね備えています。
それは、神の言葉と神の子についての神による定義を受け入れている、ということを意味しています。
本当の意味での信義が常に向けられている対象とは、神と神の子です。
信義は、神と神の子の方を見て、見つかるまで探し続けます。
そこには当然、防衛しない態度が自然に備わっていて、喜びがその状態です。
そして、見つけたからには、全ての信義に値するべきものの上だけに、静かな確信をもって留まり続けます。
マニュアル編4.神の教師たちの特性
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