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奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編4-4
4-(4) 柔和さ
ACIM-Manual4-(4)-1
何らかの危害というものは、神の教師たちとって不可能です。
その人たちは危害を及ぼすことは出来ないばかりか、危害に及ぼされることも有り得ません。
危害とは、裁きがもたらすものです。
それは、不正直な想念の後に続いて生じる不正直な行為です。
そうしたことは、兄弟に有罪の判決を下すことであり、したがって自分自身にも有罪判決を下すことになります。
それは、平安の終わりであり、学びを否定することです。
それは、神のカリキュラムが不在であり、正気を逸した状態がそれにとって代わっていることを実証しています。
神の教師が誰しも学ぶべきこと、しかもその人の訓練段階の比較的早い時期に学ぶべきことは、危害性は自分の機能についての自覚を全く消し去るということです。
そんな状態は、その人を混乱させ、怯えさせ、怒らせ、疑い深くさせます。
そして、 聖霊の教えようとすることを、学習不可能にしてしまいます。
また、危害は実際には何一つ達成できないと悟っている者たちでなくては、決してその神の教師に耳を傾けることはできません。
危害からは何ひとつ得られるところはありません。
ACIM-Manual4-(4)-2
したがって、神の教師たちは本当に柔和な者たちです。
その人たちは柔和さからくる力強さが必要です。
それというのも、本当の柔和さの中でこそ、 救済の機能が容易になるからです。
危害を及ぼそうとするような者たちには、柔和さは不可能なものです。
危害ということに何の意味も認めない者たちには、柔和さはただ自然なものであることに過ぎません。
正気の者にとって、これ以外のどんな選択に意義があるというのでしょう。
そして、天国への道を知覚している時に一体誰が地獄を選ぶでしょう。
それに、一体誰が、頼もしく全てを包み込む無限の強さである柔和さを選ぶ代わりに、危害から生じざるお得ない弱さのほうを選ぼうとするでしょうか。
神の教師たちの力は、その人たちの柔和さの中に見出せます。
というのも、その人たちは、自分たちの邪悪な想念が生じたのは、神の子から来たのではなく、その創造主から来たのでもないと理解したからです。
こうして、その人たちは自からの想念を自分たちの源である神と一つにさせました。
したがって、常に神自身のものであったその人たちの意志には、それそのものとして存在する自由があるのです。
マニュアル編4.神の教師たちの特性
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