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10-5 神を否認すること (その2)
ACIM-Text- chapter10-5-8
病気の神に癒しを期待しないで、愛の神にのみそれを期待することです。
癒しとは神を承認することだからです。
あなたが神を承認すると、神はあなたを承認するのをやめたというためしはないと分かるし、神があなたを承認しているから、自分が実在すると分かってきます。
あなたは病気ではなく、死ぬこともできません。
しかし、自分自身を病気になったり死んだりするようなものと混同することは有り得ます。
ただしそれは、神を冒涜することになるということを思い出しなさい。
それはあなたが神とその創造とを愛を持たず見ているという意味であり、それに神を自身の創造したものから分離させることできません。
ACIM-Text- chapter10-5-9
永遠なるもののみが愛されます。
なぜなら、愛が死ぬことはないからです。
神に属するものは永久に神のものであり、あなたは確かに神に属しています。
神は自身を苦しませるようなことをするでしょうか。
それに、何であれ神自身にとって受け入れられないようなものを、神の子に差し出すようなことをするでしょうか。
もし、あなたが自分自身を神が創造したそのままに受け入れるなら、あなたには苦しむことできなくなります。
けれども、こうするには、あなたが神を自分の創造主として承認しなければなりません。
そうしなければ罰されるという訳ではありません。
それは単に、自分の父を承認するとは、あなた自身をあるがままに承認するということだからです。
あなたの父が創造したあなたは、全く罪がなく、苦痛を全然知らず、どのようにも絶対に苦しむことはありません。
もし、神を否定すれば、あなたは自分の心に罪や苦痛や苦しみをもたらすことになります。
あなたの心には神が与えた力があるからです。
あなたの心は世界を創造できます。
しかし、その心は自由だからです。自ら創造するものを否定することもできます。
ACIM-Text- chapter10-5-10
あなたはどれほど自分自身を否定しているか悟っていません。
それに神はあなたを愛しているからこそ、あなたがそれをするままにさせたくないと、どれほど思っているのかということも悟ってはいません。
けれども、神はあなたに干渉しないでしょう。
神はもし、神の子が自由でないとすれば、神の子だとは分かることができないからです。
あなたに干渉するとは自らを攻撃すということになりますが、神は正気を失ってはいません。
神を否定するなら、あなたが正気を失っていることは確かです。
自分の正気を逸した状態を神に共有してほしいとでもいうのでしょうか。
神は神の子を愛するのをやめるようなことは決してしなく、神の子が神を愛さなくなるようなことも絶対にありません。
神の子はそうした状況に創造されたのであり、いつまでもそのように神の御心の中に留まることになります。
これが分かれば心は正常です。
それを否定するのは心が正常でない状態にあるということです。
神はあなたを創造する際に自らをあなたに与えたのであり、神の贈り物は永遠です。
あなたは神に自分自身を拒むつもりでしょうか。
ACIM-Text- chapter10-5-11
あなたが神に捧げるものから、神の国は神の子に戻してもらえます。
神の子は自分のために創造されていたものや、自ら父の名において創造したものを受け入れないと拒絶することなので、神の贈り物から自分自身を遠ざけてしまいました。
天国は神の子の帰りを待っています。
そこは神の子の住み処として創造されたからです。
そこ以外の所や、他の状況のもとにいたのでは、あなたの気持ちは我が家に居るように休まることはありません。
あなたのために創造された喜びを自分自身に拒まないようにしなさい。
あなたの惨めな状態は自分で自分のために作り出したからです。
神はあなたに、自分で作り出したものを取り消す手段を与えてくれています。
耳をしっかり傾ければ、自分が何なのか、それをどのようにすれば思い出せるか分かってきます。
神が自分の子供たちは全く罪がないと分かっているとすれば、その子供たちが罪を犯していると見て取るのは、神を冒涜することになります。
もし、神が自分の子供たちは苦痛を全然知らないと分かっているのなら、苦しみをどこかに見て取るのは神を冒涜することになります。
ACIM-Text- chapter10-5-12
神が自分の子供たちは完全に喜びに満ちていると分かっているとすれば、憂うつな気分でいるのは神を冒涜することになります。
このような幻想全部、それに他にも神を冒涜することは色々な形であらわれるでしょうが、どれも皆創造をあるがままに受け入れるのを拒否することです。
神が神の子を完全に創造したのなら、あなたも神の子の実在を知るには、そのように神の子を見るようにならなければいけません。
そして、あなたは、神の子としての身分にあるものとして、自分の実在を知るためには、自分自身を完全に創造されたものと見なければなりません。
ACIM-Text- chapter10-5-13
神が創造しなかったものは何も知覚してはなりません。
さもないと、あなたは神を否定していることになります。
神の父権こそ唯一の父権であり、それはあなたのものであるというのも、ただ神がそれをあなたに与えられたからです。
自分で自分にする贈り物など無意味ですが、あなたが自分で創造したものに贈る物は神のに似ています。
そうした贈り物は神の名において与えられたからです。
だから、あなたが創造したものは、神のと同じように実在的なものです。
けれども、本当の神の子を知るには、本当の父権が承認されなければなりません。
あなたは正常に機能しないようなものを自分で作り、そのようなものを自分が本当に創造したものだと信じています。
というのも、病気になった姿などを知覚し、それが神の子たちだと信じるからです。
ただ神の父権を受け入れさえすれば何でもあなたのものになります。
その父権があなたにあらゆるものを与えたからです。
それで神を否定すると、自分自身を否定することになるわけです。
ACIM-Text- chapter10-5-14
傲慢であれば愛を否認することになります。
なぜなら、愛は分かち合い、傲慢さは与えるべきものも与えずにおくからです。
その両方があなたに望ましく思える限り、選択という概念を、たとえそれが神の概念でないにしても、あなたは持ち続けます。
こうしたことは永遠においては真実ではないとはいえ、時間においては確かに本当なので、時間があなたの心の中で続く間は選択があるでしょう。
時間そのものもあなたが選んだことです。
永遠を思い出す気があるのなら、永遠なるものだけを見つめなければなりません。
もし、あなたが自分自身、束の間のことに心を奪われるにまかせるなら、時間の中に生きています。
いつものように、あなたの選択はあなたが何を重んじるかで決まります。
時間と永遠が両方とも真実では有り得ません。
互いに否定しあっているからです。
あなたが時を超越したものだけを真実として受け入れるなら、永遠なるものを理解し始め、自分のものとするでしょう。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第10章 「病気の偶像」目次