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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編10章 「病気の偶像」より10-4本文
10章10-4 病気の最後
ACIM-Text- chapter10-4-1
魔術は全て、和解できないものを和解させようとする試みです。
宗教は全て、和解できないものは和解させられないと再認識することです。
病気と完全な姿とは両立しません。
神があなたを完全に創造したとすれば、あなたは確かに完全です。
もし、あなたが自分は病気になることが有り得ると信じるなら、神より他のものを神にしていることになります。
神は、あなたが作り出した病気の神と戦ってはいませんが、あなたは戦っています。
そのような病気の神は、神に逆らうという決断を象徴しており、あなたはそのような病気の神を神の意志と和解させられないので、病気の神に恐れを抱くわけです。
もし、その病気の神を攻撃すると、そのような神を自分にとって本物にすることになります。
しかし、その病気の神が、あなたにとってどのような形で現れようと、またどこに見えると思えるにせよ、自分はそのようなものを崇拝しないと拒否すれば、実在しない状態において作り出された病気の神は、その状態へと消え去るでしょう。
ACIM-Text- chapter10-4-2
実在は、限り無き心にのみ分かり始めます。
それは、いつでも受け入れられるようになってはいますが、受け入れるかどうかはあなたの気持ち次第です。
実在を知るには、当然、実在性のないものをそのままに判断するという気持ちを要します。
価値の無いものを見過ごすには、正しく評価するあなたの能力によって、単にそれを正確に判断した上で、手放すだけのことです。
叡知は幻想で一杯の心には分るはずがありません。
なぜなら、真理と幻想は両立しないからです。
真理はなに一つ欠けたところのない全体を表し、心の一部分によって分かり得るものではありません。
ACIM-Text- chapter10-4-3
神の子としての身分にある者たちの何人かが病気だと見て取ることはできません。
そういう風にその身分そのものを見て取るとは、それを全然見ていないということだからです。
神の子としての身分は一つであるとするなら、全ての点において一つです。
一つである姿を分割することはできません。
もし、あなたが他の神々を知覚するなら、あなたの心は分離しており、その分離を制限することできないでしょう。
それは、自分の心の一部を神の意志から取り去ったことを示すからです。
その部分が制しきれなくなっていることを意味しています。
そして、制しきれなくなるとは理性を失うということであって、そうなると心は確かに理性的に判断することできなくなってしまいます。
心を間違って定義しておいて、あなたはそれが間違って働いていると見て取っているからです。
ACIM-Text- chapter10-4-4
神の法則があなたの心を平安に保ってくれます。
その平安こそ神の意志であり、それを維持するために神の法則は定められているからです。
神の法則は自由の法則ですが、あなたの法則は束縛の法則です。
自由と束縛とは両立しないので、双方の法則を一緒に理解することはできません。
神の法則は、ただあなたの為になるように役立つだけであり、そうした神の法則以外にはどんな法則もありません。
他のものは全て単に法則がないので、大混乱しています。
しかし、神が創造したものは、全てを神自身、神の法則で護ってくれました。
その法則のもとにないものは、何一つ存在しません。
「大混乱の法則」とは無意味な言葉です。
創造は申し分なく法則に即しています。
ところが、大混乱に陥っている状態には神が在ることはないので、そこに意義はありません。
あなたは自分の平安を、自ら作り出した神々に「与えた」と言いますが、そのような神々はそれを受けようと姿を表しはしません。
それ故に、与えることはできません。
ACIM-Text- chapter10-4-5
あなたには自由を放棄する自由はありません。
ただ、それを否定するという自由があります。
神が意図しなかったことをあなたがすることは不可能です。
神が意図しなかったことは起こらないからです。
あなたの神々が大混乱をもたらすのではないのですが、あなたは自分でそうだろうと考えて、そのような神々からのものとして受け入れています。
これは全く起こっていません。
神の法則以外には何もあったためしがなく、これからも神の意志以外には何も無いでしょう。
あなたは神の法則を通して、また、神の意志によって創造されたのであり、このような風に創造されたことであなたは創造主と定められました。
あなたが自分で作り出したものは、あまりにもあなたに相応しいものではないので、ただそれをあるがままに見てみる気になりさえすれば、まずそのようなものを望むはずがありません。
全く取るに足らないものだと分るでしょう。
そして、あなたの心眼で自動的にそのようなものを越えて、あなたの中とまわりにあるものを見つめるようになります。
実在は、あなたが間に置く障害物を突破することはできませんが、自分でそのようなものを取り除けるなら、実在があなたを完全に包むことでしょう。
ACIM-Text- chapter10-4-6
あなたは神に護られているということを体験したなら、偶像を作ること思いもよらないことになります。
神の御心の中には奇妙な心像などなく、神の御心にないものがあなたの心の中にあるはずもありません。
あなたの心は一つであり、その心は神に属するからです。
それは、神に属するからこそあなたのものでもあるということです。
というのも、神にとっての所有権とは、分かち合うことだからです。
それに、そうしたことが神に当てはまるとすれば、あなたにとっても当てはまります。
神の定義することがまさに神の法則となります。
それによって宇宙をあるがままの姿に確立したからです。
あなたが偽物の神々を自分自身とあなたの実在との間に置こうと試みても、真理には少しも影響を及ぼしはしません。
平安はあなたのものだというのも、神があなたを創造してくれたからです。
そして、他には何一つ創造しありませんでした。
ACIM-Text- chapter10-4-7
奇跡は、偽の神々をみな捨てさった神の子が行うことであり、その神の子は自分の兄弟達にも、同じようにするようにと呼びかけます。
それは、信頼に基づく行為と言えます。
自分の兄弟にそれができると気づくことだからです。
そして、その兄弟の心の内なる 聖霊に呼びかけることであり、その呼びかけは一つになることで強められます。
奇跡を行う者は神の声を聞いたので、病気の兄弟が自ら病気だと信じていても、それに同調しないで、その兄弟のそのような信念を弱くして、その人の中の神の声を強めます。
一つの心にある力がもう一つの心の中に光を注ぎ込むことができます。
神の明りは全部同じ火花で点されたからです。
その火花はあらゆるところにあり、永久不滅のものです。
ACIM-Text- chapter10-4-8
そうした火花だけしか残っていないことが多いのは、偉大な光線が覆い隠されているからです。
しかし、神がその火花を消さずに保っているので、偉大な光線が完全に忘れられてしまうことは絶対にありません。
もし、あなたが小さな火花を見さえすれば、それより大きな光が分るようになります。
なぜなら、その光線があるのが見えていないだけだからです。
その火花を知覚することで癒されますが、そのより大きな光を知ることで創造することができるようになります。
しかし、元の状態に戻るには、まず小さな光を認める必要があります。
なぜなら、分離状態とは、いわば極めて重要なものから小さなものへと身を落としたようなもからです。
しかし、今でもその火花そのものは、大きな光と同じように純粋です。
それは、創造のために残こされた呼びかけだからです。
それを心から信じなさい。
そうすれば、神自らあなたの信頼に答えてくれることでしょう。
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