奇跡講座テキスト編10章10-3 病気の神

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編10章 「病気の偶像」より10-3本文

 

10章10-3 病気の神

ACIM-Text- chapter10-3-1

あなたは神を攻撃してはおらず、神を愛しているということは確かです。

あなたは自分の真実の姿を変えられるでしょうか。

誰一人、自分自身を破滅させようと意図できるものはいません。

あなたが自分自身を攻撃していると思うなら、それはこれが自分だと思っている姿を嫌っているという確かなしるしです。

そして、その姿だけを自分で攻撃することは有り得ます。

あなたが思う自分の姿は、極めて憎悪に満つるものかもしれず、このような奇妙な心像があなたにさせることは非常に破壊的になることもあります。

けれども、そうした破壊的なことは、そのような心像が本当でないのと同じで真実ではありません。

とはいえ、偶像を作る者たちは確かにそうした偶像に価値を与えようとします。

偶像は何の価値もないものです。

しかし、それの崇拝者は病気になっている神の子たちです。

神は、そうした神の子たちを病気から解放し、神の御心に戻すつもりでいます。

その神の子たちを助けるのにあなたに必要な力を制限するようなことはしません。

あなたにその力を授けてくれたからです。

そうした力こそあなたの救済であり、その力に恐れを抱かないことです。

 

ACIM-Text- chapter10-3-2

あなたを通して顕れる神の力なくして、病気になった神の子供たちを慰められる存在があるでしょうか。

その存在が、神の子としての身分のどこに属するものに受け入れられるか、それは重要ではないということを思い出しなさい。

それは、常に全ての人のために受け入れられることになり、あなたの心がその存在を迎え入れるなら、神の子としての身分にある全員にその存在の記憶が蘇るってきます。

あなたの兄弟たちを、ただ本人たちのために神を受け入れることによって癒しなさい。

あなたたちの心は別々のものではなく、神には唯一の神の子があるだけであり、癒しのための経路をただ一つ持っているだけです。

神は自分の子供たち全員と意志の疎通の絆を持ち続けられ、その絆が全ての人を一つの心にさせるうえ、神とも心を一つにさせます。

こうしたことに気づくと、全ての人を癒すことになります。

それは、誰も分離していないので、誰ひとり病気ではないと自覚することだからです。

 

ACIM-Text- chapter10-3-3

神の子は病気になることがあると信じると、神の一部は苦しむことが有り得ると信じることになります。

愛は苦しむはずがありません。

なぜなら、それは攻撃することできないからです。

したがって、愛を思い出すなら、それには傷つけられることのない状態が伴うことになります。

神の子の面前では、たとえその人が自分は病気だと信じているとしても、それに同調しないでおくようにしなさい。

あなたがその人の内なる神を受け入れることで、当人が忘れている神の愛を承認することになります。

それは、あなたがその人は神の大切な部分であると認めることであり、その当人に自分自身についての真実、自分では否定しているその真実に気づかせるのです。

あなたは、その人が神を否認するのをあなたが強め、それ故にあなたが自分を見失うようなことをするでしょうか。

それとも、その人に自らの完全さに気づかせた上で、共にあなたたちの創造主を思いだそうとするのでしょうか。

 

ACIM-Text- chapter10-3-4

神の子が病気になっていると信じるなら、その人が崇拝するのと同じ偶像を崇拝するということになります。

神は偶像崇拝ではなく、愛を創造したのです。

偶像崇拝の形態は、全て創造の下手な模倣です。

しかし、それは分離され過ぎているために、創造は力を分かち合い決してその力を奪われないことが分からなくなり、心は正常に機能しなくなっていると心に教えています。

病気とは偶像崇拝です。

それは、あなたから力を取り上げられると信じることだからです。

しかし、これは不可能なことです。

なぜなら、あなたは全ての力そのものである神の一部だからです。

病気の神は偶像に違いなく、それの作り主が想像した神の像に似せて作り出されたものです。

そして、まさにそのように自我は神の子を見て取ります。

病気の神であり、自ら創りあげたものであり、うぬぼれが強く、非常に邪険なうえに、極めて傷つきやすいものである、と。

このような偶像をあなたは崇拝するでしょうか。

このような像を絶えず注意を怠らずに心に保とうとするでしょうか。

このようなものを失うのを本当に恐れているのでしょうか。

 

ACIM-Text- chapter10-3-5

自我の思考体系がもたらすそのような当然の結末を冷静に見た上で、差し出されたものが真にあなたの望むものかどうかを判断しなさい。

自我があなたに差し出すのはこのような偶像だからです。

これを得るためには、あなたは自分の兄弟の神性を攻撃し、そのために自分の神性を見失うことも厭いません。

そのうえ、自ら進んでその神性を隠したままにするつもりでいます。

それは、あなたが危険から自分を救ってくれるものと思うその偶像を護るためだとします。

しかし、それがあなたを救うという危険そのものがそもそも存在していません。

 

ACIM-Text- chapter10-3-6

神の国には偶像崇拝者などいません。

しかし、ただ神が創造した全てのものに対する深い感謝の念があります。

それは、各自が神の大切な部分であると心静かに知っています。

神の子は偶像など知りませんが、父を知っているのは確かです。

この世界において健やかであることは、天国で重んぜられることに相対するものです。

あなたは自分自身を重んじていないので、私の愛以外のものをあなたに与えるということは私の功徳にはなりません。

あなたが自分を重んじないときに病気になります。

しかし、私があなたを尊重することであなたを癒せます。

神の子の価値は一つだからです。

「私の平安をあなたに与える」と述べた時、私は本気で言いました。

平安は神から私を通じてあなたに達します。

自分で求めようとはしないかもしれませんが、その平安はあなたのためにあります。

 

ACIM-Text- chapter10-3-7

ある兄弟が病気だとすれば、それはその人が平安を求めていないからです。

したがって、すでにそれが自分のものだとは分かっていません。

平安を受け入れるとは、幻想を否認することであり、病気は幻想であるということは確かなことです。

けれども、神の子は誰でも、単に自分自身の中にある幻想を完全に否定することによって、神の国のどこに幻想があろうが、それを否定する力を持っています。

私はあなたを知っているので、あなたを癒せます。

あなたのために、あなたの価値も知っています。

そして、この価値があなたを完全なものとします。

完全な心は偶像崇拝を為さず、矛盾する法則というものを知りません。

私はあなたを癒すつもりでいますが、それは単に私はただ一つメッセージを携えており、そのメッセージは真実だからです。

あなたが、私を信頼しそのメッセージを信頼することで、あなたは完全なものになれます。

 

ACIM-Text- chapter10-3-8

私は神のメッセージをごまかして伝えるようなことはありません。

あなたも自分がいつも受け入れるだけのものを受け取れると分るようになるにつれて、こうしたことが分かってきます。

今、あなたは全ての人のために平安を受け入れた上で、あなたは神の声を聞いたので、全ての幻想から完全に解放される機会を全ての人に差し出すこともできます。

しかし、神以外のどんなものをも神としないようにしなさい。

さもないと、その声が聞こえないでしょう。

神はあなたが作る自我の神々を妬んだりしませんが、あなたは妬んでいます。

そのようなものを守ったり、それに仕えたりするつもりでいます。

なぜなら、そのような神々が自分を作ってくれたと信じているからです。

というもの、そのようなものが自分の父親だとも思っているわけですが、それは自らそのようなものを神と取り替えるために作り出したという恐ろしい事実をそのような神々に投影しているからです。

けれども、そのような神々が自分に話しかけていると思える時こそ、神に取って代われるものは何も無く、あなたが神の代わりにしようとしたものは何であれ、どれも実在しないものだということを思い出しなさい。

 

ACIM-Text- chapter10-3-9

では、極めて単純にいえば、あなたは無価値なものを恐れていると信じるかもしれませんが、本当は実在しないものに恐れを抱いているからです。

そして、あなたがそれに気づけば癒されます。

あなたは、自分で耳を傾ける気がある自我の神の言い分を聞くでしょう。

自分で病気の神を作り、そうすることで自分自身その神の言うことを聞くことができるようにしました。

しかし、あなたはその神を創造した訳ではありません。

そのような神は父の意志ではないからです。

したがって、それは不朽のものではなく、あなたが永遠なるものだけ受け入れたいという気持ちを示すと、すぐにあなたのために元通りなかったものとされます。

 

ACIM-Text- chapter10-3-10

神には、唯一の一人子があり、唯一の神が在るだけです。

あなたは神と共に実在を分かち合っています。

なぜなら、実在は分離されてはいないからです。

神はさておき、他のものを神々だとして受け入れるのは、自分自身より他の偶像を優先させるということです。

あなたはどれほど自分の神々に耳を傾けているか認識しておらず、どんなにそのような神々のために絶えず警戒しているか認識してはいません。

けれども、そのような神々が存在するのは、ただあなたが神として祀り立てているからです。

敬意を払うのなら、それに値するものに払いなさい。

そうすれば、平安はあなたのものになるでしょう。

それこそあなたが自分の本当の父から受け継いだものです。

あなたは父を作ることは不可能でく、自分で作り出した父親があなたを作り出したのでもありません。

幻想であるものは敬意を払うに値しません。

そのようなものを尊敬するのは、実在しないものを尊敬することになるからです。

さらに、そのようなものを恐れるには及びません。

なぜなら、実在しないものが恐ろしいはずなどないからです。

あなたが愛を恐れることを選んだというのは、それが全く悪意の無いものだからですが、こうした恐れのために自ら進んで、自分が本当に役立てるのにそれを断念したり、自分にとって申し分ない援助をしてくれる存在に見切りをつけたりしてきました。

 

ACIM-Text- chapter10-3-11

神の祭壇においてのみ、あなたは平安を見いだすことができます。

そして、この祭壇は神があなたの中におかれたており、そこにあります。

神の声は今でもあなたに戻るようにと呼びかけており、あなたは神以外のどんなものをも神としなくなった時に、その声を聞き入れるでしょう。

あなたは自分の兄弟たちのために病気の神に見切りをつけられ、事実、あなた自身のためにそれに見切をつけるには、まず兄弟たちのためにそうする必要があります。

というのは、もし、あなたがどこかにそのような病気の神をみるとすれば、それを受け入れたということだからです。

そのうえ、それを受け入れたなら、それに頭をさげて崇拝するようになります。

それは、その病気の神を神に取って代わらせたからです。

病気の神のほうを取ったので、どちらの神を真実だとするか、それは自分で選べるとあなたが信じていると分かります。

これは実在と何の関係もないことがはっきりしているとはいえ、同様に、あなたが実在だとして知覚すること全てには関係があるというのも明らかです。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第10章 「病気の偶像」目次

10-0 序論

10-1 神のうちなる我が家にて

10-2 忘れるとの決断

10-3 病気の神

10-4 病気の終わり

10-5-1 神を否認すること(その1)

10-5-2 神を否認すること(その2)

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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