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奇跡講座(奇跡のコース)ワークブック編 特別解説12 「自我とは何か」本文
特別解説12.自我とは何か
自我とは偶像崇拝です。
身体の中に生まれ、苦しみと身体の死によって生命が尽きることを運命付けられている、制限され分離した小さな自己の現れです。
自我とは、神の意志を敵と見なし、神を否定する形をとった意志です。
自我とは、強さが弱さであり、愛が恐れに満ち、生命が本当は死であり、神に反対するものだけが真実であると示そうとする「証拠」です。
自我とは狂気です。
あらゆるところにあるものの向こう側に、全てであるものから離れ、無限なるものから分離して、恐怖の中で自我は立っています。
その狂気の中で、自我は自分が神自身を打ち負かした勝者となり、その恐るべき自律の中で、自我は神の意志は滅ぼされたと「見」ています。
自我は、処罰される夢を見て、自分を殺そうとしている敵を攻撃することによって、自我が自らの安全を確保する前に、敵である夢の中の登場人物が自我を殺そうとしていると夢見て怯えて震えています。
神の子には、自我などありません。
現に自分が神の中に留まっているというのに、神の子がどうして神が狂気に陥っているとか神が死んだと知ることができるというのでしょうか。
自分が永遠の喜びの中に生きているというのに、どうして神の子に悲しみや苦しみを知ることができるというのでしょうか。
自分を取り巻くあらゆるものが永遠に続く平安、永遠に葛藤から自由で心乱されることのない、最も深い静寂と安らぎであるというのに、神の子に、どんな恐れや処罰、どんな罪と罪悪感、どんな憎しみと攻撃を知ることができるというのでしょうか。
現実を知るということは、自我と自我の思い、自我のなしたこと、自我の活動、自我の法則、そして、自我の信念、自我の夢、自我の希望、自我の自分の救済の計画とそれを果たすために必要な代償だと自我が信じるものを見ないということです。
苦しみの中で、自我の救済計画を信仰する代価はあまりにも大きなものなので、自我の闇の神殿においては神の子の磔刑が毎日捧げられ、そして、自我の病んだ信奉者たちが死のために用意を整えている祭壇の前には血が流れ出すに違いありません。
しかし、一本の赦しのユリの花が闇を光へ、幻想への祭壇を生命そのものの神殿へと変えることでしょう。
そして、神が自らの住処であり、喜びであり、愛であり、完全に神のものであり、完全に神と一体のものである我が子として創造した聖なる心たちに、永遠に平安が回復されることになります。
奇跡講座ワークブック編 特別解説12 「自我とは何か」対応レッスン
レッスン331 私の意志はあなたの意志なので、葛藤はありません。
レッスン332 恐れはこの世界を束縛します。赦しは、この世界を解放します。
レッスン334 今日、私は赦しが与えてくれる贈り物は私のものであると宣言します。
レッスン335 私は、自分の兄弟の罪のなさを見ることを選択します。
レッスン336 赦しは、各々の心は一つにつながっているということを、私にわからせてくれます。
レッスン337 私の罪のなさは、私をあらゆる害悪から守ります。
レッスン339 私は、自分が頼むものが何であれ受け取ることになります。
レッスン340 今日、私は苦しみから解放されることができます。
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