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奇跡講座テキスト編18章7 自分は何もする必要はない 本文
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あなたは未だに、 身体が力の源だと信頼しすぎています。
あなたが何を計画するときにも、なんとかして 身体の快適さや保護や楽しみをえられるようにと工夫せずにいることがあるでしょうか。
これでは、あなたの解釈によると、 身体が手段ではなくて目的とされており、これは常に罪に魅力を感じていることを意味します。
罪を自分のゴールにしているうちは、だれ一人自分自身のために贖罪を受け入れるものはいません。
かくしてあなたは、唯一の責任を果していないことになります。
贖罪は、苦しみや破壊することを好む者からは歓迎されないのです。
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あなたがかってやったためしのないことが一つあるとすれば、それは 身体のことをすっかり忘れてしまうということです。
時にそれがあなたの視界から薄れかけたことがあるかもしれませんが、完全には消えたことはありませんでした。
あなたに求められていることは、こうしたことがほんの一瞬だけ、これが起こることでしかないが、贖罪の奇跡は、この一瞬の中で起こるのです。
その後で再び 身体を見ることになるとしても、それはもはや以前と同じではありません。
そして 身体を意識しない一瞬を過ごすたびに、そのあとは違った見方で 身体を見させてもらえます。
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ただの一瞬も、 身体は全く存在しないのです。
それをいつも思い出されたり、予想されたりはしますが、決して、ちょうど今、実感することはありません。
身体に伴う過去やこれからのことが、 身体が実在するかのように思わせるにすぎません。
時間が全面的に 身体を支配するわけですが、それというのも、罪は決して、完全に今ここに在ることではないからです。
どんな一瞬においても、罪責感に引き付けられる思いというものは苦痛以外のなにものでもないと実感したとすれば、それを避けようとしたでしょう。
今、それにはなんの魅力もありません。
その魅力はすべて想像したこと、したがって過去に思いついたことか、あるいはこれから先、思いつくことに違いありません。
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ただの一瞬、過去も未来も見ないでいる気持ちにならないかぎり、聖なる一瞬をためらわずに受け入れることは不可能です。
あなたはそれを将来のこととして準備しようとせずにはいられません。
あなたがそう切望するやいなや解放感を味わえます。
多くの者が一生を準備に費いやし、実際に成功の一瞬を達成しています。
この奇跡のコースの教えは、その人たちが時間をかけて習得したこと、それ以上のことを教えようとはしていませんが、その時間を短くしようとしているのは確かです。
あなたは自分の受け入れたゴールに向かい、とても長い道のりに沿って歩もうとしているかもしれません。
罪と戦いながら贖罪に達しようとするのは非常に難しいことです。
憎まれたり軽べつされたりしたものを神聖にしようとする企てには、莫大な努力が費やされています。
身体に無関心になる境地を目指して、生涯を瞑想に明け暮れたり、長い時間を黙想に費やしたりする必要はありません。
そうした試みはすべて、目的が目的であるから、究極的には成功します。
しかし、その手段は退屈なうえにかなりの時間を浪費することになり、それというのもそんな手段はどれもみな、今の自分はゴールに値しないし不完全だと思い、その状態から将来、解放されることを目指すためのものだからです。
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あなたの道は、それらとは違います。
目的においては同じでも、そのための手段が異なったものになります。
聖なる関係は時間を短縮するための一つの手段です。
きょうだいと一緒に過ごす一瞬が、あなた方双方に全宇宙を取り戻してくれます。
あなたにはまさにその準備が整っていす。
あなたは、今、ただ何もする必要はないということを思い出すだけでいいのです。
今は単にこのことに専念するほうが、自分は何をすべきか考えるよりはるかに有益でしょう。
誘惑に負けまいとあがいたり、罪に屈服するまいと戦ったりしている者がやっと心に平安を感じるとき、また、瞑想に捧げられていた心にやっと光がさし込むとき、あるいは、ゴールが誰かに達成されるとき、それは常に次のようなひとつ幸せな認識が共に訪れます。
「自分は何もする必要はない」と。
Acim-Text-18-Ⅶ-6
ここに、だれもがみないつの日か、自分なりのやり方で、自分なりの時間をかけて、見いだすようになる究極的な解放感そのものがあります。
あなたにはその時間は必要ありません。
時間はあなたのために短縮されているというわけは、あなたがきょうだいと一緒にいるからです。
これこそ、この奇跡のコースの教えが時間を短縮するために用いる特別な手段です。
もしあなたが、他の人たちに首尾よく役立った手段の方を使うことに固執し、自分のために作られたものをおろそかにするのなら、この教えを役に立てていないことになります。
ただ一つこの準備だけをして、他のことは何もしないということを実践して、私のために時間を短縮してほしいのです。
「自分は何もする必要はない」というのは、献身を誓う声明のようなものであり、本当にひたむきな忠誠を意味します。
それをただの一瞬信じなさい。
そうすれば、一世紀にもおよぶ瞑想や誘惑との戦いにより与えられる以上のものを、あなたは成し遂げることができるでしょう。
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何かをするためには 身体を必要とします。
だからもし、自分は何もする必要はないと認識するなら、あなたは自分の心のなかに 身体を重要視する気持ちを退けたのです。
ここに、何世紀もの努力をそっと後にし、あなたが時間から速やかに逃れられる扉が手の届くところに開かれています。
これが、今すぐに、罪がすっかり魅力を失う道に通じます。
なぜなら、ここでは時間は否定されるので、過去も未来もなくなっているからです。
何もする必要のない者は、時間は必要ありません。
何もしないとは休息することであり、 身体の活動が注意を要求しなくなる場を自分のなかに作ることです。
この場に 聖霊が訪れ、そこに留まるのです。
あなたが忘れたときにも、また、 身体の活動が再びあなたの意識を満たすようになるときにも、 聖霊はそこにとどまり続けます。
Acim-Text-18-7-8
そうしたときにも、いつもこの休息の場はあり、そこへあなたは戻ることができます。
そしてあなたは、外側に荒れ狂う嵐よりも、その嵐のなかの中心部にある静かけさのほうを、より意識するようになるでしょう。
そこであなたは何もするわけではないこの静かな中心は、あなたと共にあり続け、あなたがあわただしくあれこれせざるを得ないような時、そんなさなかにも安らぎを与えてくれるでしょう。
なぜならこの中心部から、いかにして 身体を罪なく使う方法が、あなたに指示されるからです。
身体が不在になっているこの中心部こそが、あなたの自覚において 身体と罪なきものとして保つものなのです。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第18章「過ぎ行く夢」目次