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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第24章「特別性のゴール」24-6本文
第24章24-6恐れからの 救済
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兄弟の神聖さを前にして世界は静まります。
平安が穏やかにその上に広がり、完全なる祝福に包まれたその世界にはもはや夜の闇の中であなたにつきまとう葛藤の痕跡は一つも残っていません。
その人は、あなたを恐れの夢から救う 救済者です。
その人が癒すのは、あなたの犠牲の感覚と、自分の持っているものがいずれ風に吹き飛ばされて塵と化すだろうというあなたの恐れです。
その人の中にこそ、神はここに在り、今あなたと共に在るとあなたに保証するものがあります。
その人が本来のその人である限り、神は知ることのできる存在であり、あなたにもいずれ知られることになると、あなたは確信していいのです。
神は決して、ご自身の被造物から離れ去ることは出来ません。
そして、まさにその通りだというしるしはあなたの兄弟の中にあり、その人の聖性を通してあなた自身についての疑念が全て消え去るようにと、あなたにその人が与えられています。
その人の中に神の創造した姿を見なさい。
その人の父は、あなたが自分も父の一部として父に創造されたという事を認識するのを、その人の中で待っているからです。
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あなたがいなければ、神の中に欠乏があり、天国も不完全で、子には父がいないということになります。
宇宙も実在も有り得ないという事になってしまいます。
神の意志は一なるものであるため、神が意志するものは全一であり、神の一部です。
命あるもので神の一部ではないものは何一つなく、存在するもので神の中で生きていないというものはありません。
あなたの兄弟の聖性があなたに教えるのは、神はその人と一つであり、あなたとも一つであるということであり、そして、あなたはその人から分離してなく、父からも分離していないので、兄弟が所有しているものはあなたのものでもあるということです。
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この宇宙のどこにも、あなたから失われているものは一つもありません。
神が創造したものの中で、神ご自身が永遠にあなたのものとして、愛を込めてあなたの前に置かなかったものも一つもありません。
そして神の心の中にある想念で、あなたの心の中に不在なものは一つもありません。
神の意志は、あなたが自分に対する神の愛を分かち合う事であり、神と同じくらい愛を持って自分自身を眺める事です。
神は、世界の始まる以前に愛を持ってあなたを想い、今なおその愛をもってあなたを知っています。
神は、我が子についてのご自身の心を、状況の移り変わりと共に変えるという事はしません。
神が住まい、あなたも神と共に住まうところである永遠においては、そういった状況というものは何の意味も持つことはありません。
今もあなたの兄弟は神が創造したがままの存在です。
そして、これこそが、神が創造しなかった世界からあなたを救うことになるのです。
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世界とは、ただ神の子の癒しのためだけにあるということを、忘れてはなりません。
それだけが 聖霊がこの世界を見る目的で、したがって、それだけがこの世界が持つ目的です。
あなたが、この世界の時間と全ての外観をもって、神の子の癒しだけを達成させたいものと見るようになるまでは、父についてもあなた自身についてもあなたが知るということはないでしょう。
なぜなら、あなたはそれまでは、この世界をその目的以外の事のために使うので、暴力と死というこの世界の法則から免れる事は出来ないからです。
それでもあなたは、あらゆる点において、あらゆる形態や状況において、そのような法則を超越したものであることが定められています。
つまり、そこに存在していないものを知覚したくなるという全ての誘惑を超越していて、神の子が自らを本性とは違ったものとして見ている事から生じる「神の子が苦痛を被る事が有り得る」という信念の全てを超越したものだということです。
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兄弟を見つめて、その人の中でこの世界を支配しているかのように見える法則が完全に逆転されるのを見なさい。
その人の自由の中に、あなたの自由を見なさい。
なぜなら、自由とはそうしたものだからです。
その人の特別性に、その人の中にある真理を覆い隠されてはなりません。
なぜなら、あなたが一つでもその人を死の法則に縛りつけたのであれば、あなたもその法則から逃れられないからです。
そして、あなたがその人の中に一つでも罪を見れば、それはあなた達双方を地獄につなぎとめます。
しかし、兄弟の完璧な無罪性を見れば、あなた達双方を解放するでしょう。
なぜなら、聖性は極めて公平なものであり、あらゆるものに下されるただ一つの審判をもって、双方を眺めるからです。
そして、その審判は下されますが、それは審判者によってではなく、生きとし生けるものの中で神の実存を分かち合っている神を代弁して語る声を通して下されるのです。
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見える目が見る事が出来るものは、神の無罪性です。
あらゆるものの中にその目が見るのは、神の麗しさです。
あらゆるところにそれが捜し求めるのは神であり、あらゆる光景のあらゆる場所のあらゆる時間に、神が在るという事を見出します。
あなたの 救済と世界の 救済のための完全な枠組みであるあなたの兄弟の聖性の中に、神についての輝かしい記憶が置かれていて、神の中にあなたの兄弟が住み、神と共にあなたもそこに住んでいます。
兄弟とあなたから キリストの顔を隠す特別性のベールで、あなたの目を疑わせてはなりません。
そして、あなたが見るべく定められている心眼を、神への恐れによってこれ以上あなたから隠しておいてはなりません。
キリストは、兄弟の聖性の中に顕れられるものです。
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それなら、その人の 身体かその人の聖性か、どちらを見たいのかを選択しなさい。
そして、あなたが選択したものをあなたは見ることになります。
しかし、真理があなたの決断となるまで、あなたは無数の状況において、また果てしなく続くように見える時間の中で、選択し続ける事になります。
なぜなら、兄弟の中の キリストを更にもう一度否定する事で、永遠が取り戻されるわけではないからです。
そして、もしその人が 身体に過ぎないのであれば、あなたの 救済とは一体どこにあるというのでしょう。
その人の聖性以外の一体どこに、あなたの平安があるというのでしょう。
そして、神は、神ご自身が兄弟の聖性の中に永遠に配した神の一部の中でなければ、一体どこに存在するでしょう。
最後にはあなたに認識され理解される形で提示されたあなた自身についての真理をあなたが見る事が出来るようにと、神はご自身をそこに置きました。
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兄弟の聖性は、秘蹟であり、あなたに対する祝祷です。
その人の誤りが、その人自身からも、その人を真に見るあなたからも、神の祝福を取り上げる事は出来ません。
その人の間違いが遅れを取らせる因になる事はあり得ますが、そもそも始まった事もないので終わる必要もない旅を、あなた達が共に終わりに出来るように、あなたにはそうした間違いを取り去る力が与えられています。
かつて一度も存在したためしがないものは、あなたの一部ではありません。
しかし、あなたはそれがあなたの傍らに立っているその人の一部ではないと悟るまで、それを自分の一部だと思い続けるでしょう。
その人はあなた自身の鏡であり、そこにあなたは自分たち二人に対して自らが下した審判を見ます。
あなたの内なる キリストは、その人の聖性を見ます。
あなたの特別性は、その人の 身体を見て、その人自身を見ることはありません。
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あなたの解放に長い時間がかからないように、その人の本性のままに見なさい。
もう一つの選択があなたに差し出されるのは、いかなる目的も達成もない無意味な放浪だけです。
兄弟が眠っている間、すなわちあなたに与えられた任務が達成されて兄弟が過去から甦るまでの間は、機能が果たされていないための虚しさがあなたにつきまとうでしょう。
自分自身に有罪宣告をしたその人と、その人に同じ事をしたあなた自身を、共に有罪宣告から救うようにと、あなたにその人が与えられています。
そして、あなた達双方が、神の子の中に神の栄光を見ることになるでしょう。
あなたは、その人を 身体と誤解して、その人に対して何の力もない法則に縛り付けていたのです。
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こうした法則はあなたのためのものではない事を、あなたは喜んで実感したくはないでしょうか。
それなら、その人をそれらの囚人と見なしてはなりません。
神の一部を統治するものが、他の全ての部分も支配しないはずはありません。
あなたは、その人を支配していると見なす法則のもとに、自分自身を置くことになります。
それゆえに、あなたを苦痛から救い出し、幸せにするためにご自身の一部を与えた神の愛がいかに大きなものであるのは、考えてみなさい。
そして、ご自身のどの部分も等しく愛と思いやりをもって愛している神の意志の前ではあなたの特別性は消滅するという事を、決して疑ってはなりません。
あなたの内なる キリストは、あなたの兄弟を真に見ることが出来ます。
あなたは、 キリストが見ている聖性に敵対する決断をしたいのでしょうか。
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特別性とは、あなたが自分自身に与えた機能です。
それは、自分で自分を創造し、自分を維持しようとし、何も必要としないうえに、 身体を越えたいかなるものともつながっていないあなた一人を表しています。
その目に映るあなたは、自らをそれ自身の内側に完全に保持するだけの力を備えた一個の分離した宇宙であり、その全ての入り口は侵入を防ぐために閉ざされ、全ての窓は光を遮るために閉じられています。
常に攻撃されて常に怒り狂い、そうした怒りはどうみても十分正当化できるとして、あなたは緩めることなど思いもよらない警戒心と怠ることなど考えた事もない不断の努力をもって、このようなゴールを追求してきました。
そして、何のためにこの厳しい決意の全てがなされたのかと言えば、特別性が真理であるという事をあなたが望んだというだけのことでした。
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今あなたに求められている事は、それよりずっと僅かな警戒心で、努力も時間をほとんど費やすことなしに、神の力に支えられ、成功の約束を与えられ、別のゴールを追及する事だけです。
それでもあなたは、二つのゴールの中でこのゴールの方が難しいと感じています。
自己の「犠牲」ということならば、あなたは理解し、この代価が大き過ぎるとも見なしません。
ところがあなたは、ほんの僅かな意欲も、神への会釈も、自分の中の キリストへの挨拶も、気の滅入るほど退屈で背負いきれないほどの重荷だと受け止めています。
しかし、神が確立したままの真理に自らを捧げる事には、何の犠牲も求められてはなく、どんな労苦も必要とされず、天国の全ての力と真理そのものの威力が与えられて、そのための手段がもたらされ、ゴールの達成は保障されています。
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兄弟の聖性よりも 身体を見る事の方が易しいと信じているあなたは、何がこのような審判を下したのかしっかり理解しなさい。
ここに、特別性の声がはっきり聞こえていて、それが キリストに敵対する審判を下し、あなたに達成できる目的と達成できない目的を、あなたの前に並べて見せます。
あなたがそれを同盟者にして行う事には、この審判が必ず適用されるという事を忘れてはなりません。
なぜなら、特別性は、あなたが キリストを通じて共に何をするかについては、何も知らないからです。
キリストにとっては、この審判は全く何の意味もなしません。
なぜなら、父の意志することだけが可能であって、その代わりに見る事の出来るものは キリストには何もないからです。
キリストには葛藤がないことから、あなたの平安が生まれます。
そして、 キリストの目的から、努力せずに得られる達成と休息のための手段がもたらされます。
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