奇跡講座テキスト編17章17‐4 二つの絵

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編17章「癒しと神聖な関係」17-4本文

 

17章17‐4 二つの絵

ACIM-Text- chapter17-4-1

神はあなたを幸せにするために、あなたとの関係を結ばれたのであって、あなたが何をしようと、それが神のその目的を分かち合っていなければ、真実では有り得ません。

何にせよ、それの目的はこうだと神が定めなら、それを果たすことが唯一の機能となります。

神があなたとの関係を創造した理由からすれば、関係をもつということの機能は、永遠に「幸せにする」ということです。

「そしてそれ以外の何ものでもありません」

この機能を果たすために、神が自ら創造したものと関わってくれるように、あなたも自分が創造したものと関わることになります。 

なぜなら、神の創造したものは何一つ幸せからかけ離れたものはなく、神の創造したものは一つ残らず、創造主にならって幸せを広めようとせずにはいないからです。

何であれこの機能を果していないものは、真実では有り得ません。

 

ACIM-Text- chapter17-4-2 

この世界では創造することは不可能です。

しかし、幸せにするということは確かにできます。

私が繰り返し述べたように、 聖霊はあなたから特別な関係を奪ったりせず、ただそれを変化させてくれるでしょう。

そして、それはそうした関係に神が与えてくれた機能を、 聖霊が回復させてくれるというだけのことです。

あなたがそのような関係に与えた機能は、幸せにするということではなかったのは明らかです。

しかし、聖なる関係は神の目的の代用となるものを作ろうとするよりも、むしろその目的を分かち合おうとします。

あなたが関わってきた特別な関係は、ことごとく神の意志に取って代わるものであり、あなたの意志と神の意志とは異なっていると錯覚しているので、神の意志の代わりに自分の意志を讃えているわけです。

 

ACIM-Text- chapter17-4-3

あなたは、この世界でさえも本当に真実の関係を結んできました。

しかし、自分ではそうした関係に認識していません。

それというのも、真実の関係の代用になるものを自分にとってなによりも重要なものとしてしまったので、真理は絶えずあなたに呼びかけているにも関わらず、あなたはそれの代用品で答えてしまうからです。

あなたが関わった特別な関係には、ことごとく基本的な目的があり、そのような関係であなたの心を完全に満たして、真理の呼びかけが耳に入らないようにしようとしているのです。

 

ACIM-Text- chapter17-4-4

分離に対する神の答えとして 聖霊が創造されたわけですが、ある意味で特別な関係は、 聖霊に対する 自我の答えです。

なぜなら、 自我は何が創造されたのかは理解していなかったとはいえ、脅威を感じてはいたからです。

自我が、分離状態を 聖霊から護るために展開した全防衛体制は、神からの贈り物に対する反応でした。

しかし、神は自ら授けられたものでそのような状態を祝福したし、その祝福のおかげで分離状態は癒されたのです。

このように、祝福されるということには、それ自体にあらゆることについての真実が含まれています。

その真実とは、 聖霊はあなたと親密な関係にあるということです。

なぜなら、その 聖霊のおかげであなたと神との関係は回復されるからです。

聖霊は分離以来誰からも離れてなどいないのだから、神との関係が中断されたためしはありません。

そして、 聖霊を通じて、あなたの聖なる関係は全て、神があなたのために意図していることに役立つようにと、大切にしまわれています。

 

ACIM-Text- chapter17-4-5

自我はいつも脅威には敏感であり、その 自我を受け入れたあなたの心の部分は、 自我の理由をそれが見ているがままに保存しようと必死になります。

全く正気を逸しているとは気づきもしません。

それ故に、あなたが正気を回復するには、それが本当に何を意味するのか悟る必要があります。

正気を逸した者は自分の思考体系を護ろうとしますが、そのやり方は実に気違いじみています。

そして、その防衛法はどれもこれも全て、自分で護るつもりになっているものと同じくらい気違いじみています。

分離状態にある者は、どの部分であれ、どんな「理由」であれ、そのような状態から生じたものが何であれ、まともだといえるものは何一つありません。

そうした状態を「護ること」もその中にはいっており、全体がそうであるように、正気の沙汰とは言えません。

特別な関係はその主な防衛法だからです。

そして、正気とは言い難いに相違ないのです。

 

ACIM-Text- chapter17-4-6

あなたが今、特別な関係で護ろうとする思考体系は妄想的な体系に過ぎない、と気づくのは少しも難しいことではありません。

少なくとも、 自我が正気でないとは、漠然と認識しています。

しかし、特別な関係は今でもなんとなく「違う」とあなたには思えます。

しかし、それについては、私達が 自我の思考体系の他の面であなたがいくぶん諦める気になりかけていることをたくさん見てみた時より、もっと綿密に見たと言えます。

この一つが残っている間は、あなたは他のことも諦めようとはしないでしょう。

この分が、他のと違っているわけではいないからです。

この分を保持するなら、あなたはその全思考体系を持ち続けることになります。

 

ACIM-Text- chapter17-4-7

防衛法はどれも皆、防衛しようとするものを確かに防衛する、と気づくことは極めて重要です。

そうした防衛法が効果的だという基本的な根拠は、それが防衛するものを自ら提供するということです。

防衛の対象となるものは、その防衛法の中に保管してあり、防衛法が効果を発揮するにつれて、それをあなたにもたらしてくれます。

防衛法はどれも贈り物をすることで効果を発揮し、そうした贈り物はいつでも、いわば防衛法で護ろうとする思考体系の縮小図のようなもので、しかも金色の額縁に入れてあります。

その額縁はとても手の込んだもので、どれにもみな宝石の飾りや深い彫刻がほどこされ、ぴかぴかにしてあります。

それの目的は額縁自体に価値をもたせて、その中味から注意をそらせることです。

しかし、中の絵なしに額縁を手に入れることはできません。

ですが、防衛法は効果を発揮して、あなたにはそれができると思わせるのです。

 

ACIM-Text- chapter17-4-8

特別な関係は、 自我の使う防衛法のどれよりも一番印象的で、見た目には素晴らしい額縁を持っています。

自我の思考体系がここに掲げてあるわけですが、本当に重々しくて手の込んだ額縁にはめてあり、そのこれ見よがしの作りのために、中の絵そのものはほとんど見えなくなっています。

そのような額縁には、いろいろと奇抜で断片的に愛だと錯覚させるようなものがたくさん織り込まれており、犠牲行為や自己強化といった夢と組み合わせて、自滅的な金色の糸が織り交ぜてあります。

血の輝きはルビーのように光り、涙はダイヤのようにかどを切り落としてあり、捧げ物が供えられるほの暗い光の中で、かすかに光っています。

 

ACIM-Text- chapter17-4-9

絵そのものをよく見なさい。

額縁に気を取られたりしないようにしなさい。

このような贈り物は、あなたを地獄につき落とすために渡さます。

もし、受け取られたら自分は確かに地獄行きだと信じるでしょう。

中の絵を除いた額縁をもらうことはできません。

その額縁には何の矛盾も見えないので、あなたはそれを大事にするでしょう。

しかし、そのような額縁は、矛盾している贈り物を包んでいるものに過ぎません。

額縁は贈り物ではありません。

そうした表面上でさえ、その思考体系全体を含んでおり、あらゆる面において完成されているので、このような思考体系のうわっつらにだまされたりしないようにしなさい。

こうして煌く贈り物の中に死が横たわっています。

催眠術にでもかけられたような気持ちにさせる額縁の輝きに、見とれたままにならないようにしなさい。

その中の絵をよく見て、それが示しているのは死だということを悟りなさい。

 

ACIM-Text- chapter17-4-10

だからこそ、真理を防衛するためには聖なる瞬間が本当に重要です。

真理そのものを防衛する必要はありませんが、あなたには、絶対に自分で死の贈り物を受け取らないように防衛する必要があります。

真理そのものであるあなたが、真理にとって実に危険な想念を受け入れたりすれば、真理を破滅の危機にさらすことになります。

それ故に、真理を完全な姿に保つため、あなたは今こそ防衛体制をとらなければなりません。

天国の勢力も神の愛も、 キリストの涙も キリストの永遠なる霊の喜びも、あなたが自分自身を攻撃しようとするのを防衛するために整列しています。

それというのも、あなたはこうして勢ぞろいした存在の大切な部分なので、自分を攻撃すれば全員を攻撃することになり、全ての人自分たちを愛しているので、全員揃ってあなたを救う必要があるわけです。

 

ACIM-Text- chapter17-4-11

聖なる瞬間は、いわば天国の縮小図のようなもので、天国からあなたに送られたことは確かです。

これもまた絵で、額縁に入っています。

しかし、もしあなたがこの贈り物を受け取るなら、その額縁は少しも目に入りません。

なぜなら、この贈り物は、あなたがその絵自体に心を全て集中させる気がある時にのみ受け取れるからです。

聖なる瞬間は永遠なるものの縮小図とも言えます。

それは、時間を超越した状態の光景が時間という額縁にはめてあるものです。

もし、その光景に焦点を合わせれば、額縁がその光景を絵だと思わせただけのことだと気づくでしょう。

額縁を外したら、その光景はそれが象徴しているものそのものに見えます。

自我の全思考体系が、 自我の贈り物の中に見えるのと同様、天国の全景は、永遠の世界から借りてきてあなたのために時間の枠にはめてあるこの一瞬に見られます。

 

ACIM-Text- chapter17-4-12

二つの贈り物があなたの目の前に差し出されています。

どちらも完全に揃っており、部分的に受け取ることはできません。

どちらもがあなたの手に入る全てものを描写していますが、かなり違う見かたがしてあります。

絵と額縁を比べてみて、それぞれの価値を比較することはできません。

比較しなければいけないのは、絵そのものだけ、そうしないと全く比較する意味がなくなります。

絵自体が贈り物だということを覚えておきなさい。

そして、これに基づいてのみ、あなたは本当に自由に選べます。

その絵を両方ともよく見なさい。

ひとつは、小さな絵です。大きすぎて不釣り合いな額に囲まれ、その重々しい影の下になってとても見え難いです。

もう一つは、あっさりした額に入れて光の中に掛けてあり、その絵そのものが素晴らしく見えます。

 

ACIM-Text- chapter17-4-13

いい絵を、それに似合わない額縁に合わせようとし、組み合わせられないものを必死で組み合わせようとして今でも躍起なっている者は、これから述べることを受け入れて喜びなさい。

つまり、こうした二つの絵はそれぞれが象徴するものに、本当によく似合う額縁がはめてあるということです。

一つには、焦点をずらして見えなくなるような額がはめてあります。

もう一つは、全体がはっきり見えるような額に入っています。

暗闇と死の描写は、それを包み込むようにしているものの中で、よく見れば見るほど納得がいかなくなります。

暗闇では額縁の表面で輝いているように見えた無意味な小石に過ぎないものが、光にさらされるとどれもくすんで活気がなくなり、絵をみる邪魔にならなくなります。

そして、ついにあなたは絵そのものを見ることになり、額縁に保護されない状態では、それには何の意味もないとやっと分ってきます。

 

ACIM-Text- chapter17-4-14

もう一つの絵は、あっさりした額に入れてあります。

というのも、時間は永遠なるものを抑えることはできないからです。

邪魔になるものは何もありません。

天国と永遠なるものとの描写は、見れば見るほど納得がいくようになります。

今こそ、本当に比較してみて、ついに両方の絵を変化させることが起こり得ます。

両方をそれぞれに関連させて見ると、その一つひとつに相応しい場が与えられます。

薄気味悪いような絵が、光にさらされると恐ろしくは見えません。

ただそれが、単なる絵だという事実がやっとはっきりするだけのことです。

そして、目の前にあるものをあるがままに見て、それは自分が真実だと思っていたものの絵、それだけのことだと認めるでしょう。

この絵以外には何も見るものはないからです。

 

ACIM-Text- chapter17-4-15

光を描写した絵は、はっきりしているし間違えようのないほど対照的で、それを越えたところにあるものへと変化させられます。

あなたは、これを見つめるにつれて、それは絵ではなくて実在だと気づくでしょう。

これは思考体系をかたちに現したものではなく、思いそのものです。

それを象徴するものが、そこにあります。

額縁は静かに消えていき、神があなたの記憶に甦り、全く何の価値もなく完全に意義を失ったあなたの小さな絵と引き換えに、創造の全てを自分に差し伸べてくれていることを思い出します。

 

ACIM-Text- chapter17-4-16

神が自らに相応しい場につき、あなたも自分に相応しい場につくと、あなたは関わり合うことの意味を再び実感できるようになり、それが真実だと分かります。

心の中で父に全てを任せる気になって、一緒に父のもとへと平安の内に上りましょう。

父に力と栄光を捧げ、それがどこにあるのか何の錯覚も抱かずにいれば、私達は全てのものを得ることになります。

力と栄光は、父が全てを司る立場にいることなので、私達の内にあります。

父が授けてくれたものは、神自身のものです。

それは父のそれぞれの部分で、全体の中にあるのと同じように輝いています。

あなたと父との関係の真実の姿は全て、私達がお互いにどう関わり合っているかに見られます。

聖なる瞬間は全ての関係に同じように輝きます。

その一瞬には確かにどの関係も一つになるわけだからです。

ここには癒しだけがあり、既に完成されていて、何の言うこともありません。

ここに神が在り、神が在るところには、完全に完成されたものだけがあるはずです。

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編17章「癒しと神聖な関係」目次

17-1  空想を真理へと運ぶ

17-2 赦された世界

17-3 過去からの影

17‐4 二つの絵

17-5 癒された関係

17-6 ゴールを定める

17-7 信を求める呼びかけ

17-8 平安の条件 

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

 

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