〔奇跡講座テキスト編18章6 身体を超えて(1~4)〕の続き
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Acim-Text-18-6-5
あなたは分離の道具になっているものを、救いの手段と解釈し直されたうえで、愛の目的のために使ってもらう気はないでしょうか。
復讐するという空想の数々から解放されるというこの変化を歓迎し、支持するつもりはないでしょうか。
身体についてのあなたの知覚によると明らかに病むことがあり得ますが、しかしこれを 身体に投影してはなりません。
破壊できないものを破壊的にしたいという願望は、実際にはまったく何の結果ももたらしません。
神が創造したものは、神の意志であるから、神の望むとおりのものでしかあり得ません。
あなたは神の意志を破壊的なものにすることはできません。
あなたは自分の意志と神の意志とが衝突していると空想を作り出すことはできますが、ただそれだけのことです。
Acim-Text-18-6-6
身体が攻撃するよう指図しておいて、自分が 身体にさせたいと願ったまさにそのことについて 身体を咎め、 身体に罪を着せるというのは、狂気の沙汰です。
空想を実演するのは不可能です。
なぜなら、あなたの望んでいるのは未だに空想そのものであり、そんな空想は 身体が何をするかとはなんの関係もないからです。
身体は空想を夢見ることなどなく、空想はからだを有用なものになり得るというのに、ただ不利なものしてしまうだけです。
空想はあなたの 身体を自分の「敵」にしています。
すなわちそれを弱くて傷つきやすいうえ、当てにならず、自らつぎ込んだ憎悪に値するものにしてしまったのです。
こんなものがいかほどのあなたの役に立ったでしょうか。
あなたはこんな自分の憎んでいるものと一体感をもっています。
それは、復讐の道具であり、自分の罪責感の根源だとみなしているものです。
あなたは、こうしたことを、もとよりそれ自体に何の意味もないという物体に対して行い、それを神の子の住み処だと宣言しておいて神の子に対立させたのです。
Acim-Text-18-6-7
これこそ、あなたが作り上げた神のもてなし役そのものです。
しかし、神もその最も神聖なる神の子も、憎しみがひそかにみなぎるところや、復讐や暴力や死の種を蒔かれたところには、入ることはできないのです。
あなたが自分の罪責感に仕えさせるために作ったこんな物体が、あなたと他の人の心とのあいだの立ち塞がっているのです。
心と心はたしかにつながっていますが、あなたは心たちと一体感をもっていない。
あなたは自分自身を、あまりにも遠く離れた、誰も近寄れない独房に監禁され、外部との接触が不可能な身だとみなしています。
あなたは自分で作ったこんな牢獄を憎んでおり、それを破壊したいと思っています。
しかし、そこから逃れて、そこを自分の罪責感が押し付けられていない無傷の状態にしていくことは、あなたが望んではいません。
Acim-Text-18-6-8
ところが、ただそれをすることによってのみ、あなたは逃れることができるのです。
復讐の念を宿すところはあなたの家ではありません。
あなたが自分の憎しみをため込むために確保した所は、牢獄でもなくて、ただ自分自身の幻想にすぎないのです。
身体というものは、心の永遠の特性である普遍的な意思の疎通に、限界を押しつけているようなものです。
しかし、意思の疎通は内面的なものです。
心は心そのものに到達するのです。
それは、互いに通じ合おうとするいくつかの異なる部分でできているのではありません。
それは外に出ていくこともありません。
心そのものの内側には何の制限もなく、その外側には何も存在しないのです。
心はあらゆるものを含んでいます。
それはあなたを完全に含に包み込んでおり、すなわち、あなたがその中にあり、それは同時にあなたの内側にあるのだ。
それ以外のものは、どこにも、そして永遠に絶対に存在しないのです。
〔奇跡講座テキスト編18章6 身体を超えて(9~14)〕に続く
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第18章「過ぎ行く夢」目次