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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第31章「最後の心眼」31-2本文
第31章31-2 キリストと共に歩む
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昔からのレッスンは、新旧の対立によって克服されるのではありません。
真理を知らしめるためにそれが打ち負かされるのではなく、真理の魅力の前で敗北させるために、それに戦いが挑まれるのでもありません。
備えるべき戦闘は存在してはおらず、新しいレッスンをもたらすために費やすべき時間も、立てるべき計画もありません。
真理に対抗して繰り広げられている往古の戦いは確かにあったとしても、真理はそれに応じることはありません。
そのような争いにおいては、自分で自分を傷つけない限り、誰が負傷したりするでしょう。
真理においては、その人に敵は一人もいません。
そして、その人が夢に襲撃されたりするでしょうか。
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あなたの本性についての真理とあなたとの間に立ちはだかっているかのように見えるものについて、もう一度検討してみましょう。
それを放棄するには段階があるからです。
最初のステップはあなたの下す決断を要します。
しかし、その後は、真理があなたに授けられます。
あなたは自分で真理を確立したいと思っています。
そして、何かについて決めなければならないと思う度に、あなたは自分の願望により二つの選択肢を設定します。
そのどちらの選択肢も真実ではありません。
その上、その二つは何の違いもありません。
しかし、あなたがその二つを素通りして、それらとは真に違う選択である唯一の選択ができるようになるには、その前に私達はその両方を見てみる必要があります。
ただし、このことが自分に隠されるようにとあなたが作り出した夢の中で見るのではありません。
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あなたがどちらかを選ぼうとしているそれは選択ではなく、ただ、選択が自由だという幻想を与えるにだけのものです。
なぜなら、それはどちらを取っても一つの結果しかもたらさないからです。
したがって、それは実のところ選択でも何でもありません。
先導者と追従者とが別々の役割で現れ、それぞれにあなたが失いたくない利点を持っているかのように見えます。
したがって、両者が溶け合ってひとつにになることの中に、満足と平安の希望があるように見えます。
あなたは、自分はこの二つの役割に分割されていて、いつまでもそれら二つの間で引き裂かれたままだと見ています。
そして、どの友であれ、どの敵であれ、その一人ひとりが、あなたが自分自身をこのことから 救済するのを助けるための手段となります。
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おそらく、あなたはそれを愛と呼んでいます。
ことによると、遂に正当化された殺害だと考えているかもしれません。
あなたは自分が先導者の役割につきたい時、自分がその役割を与えた相手を憎悪します。
そしてまた、あなたが自分の追従者を出現させて、先導者の役割を放棄したい時には、先導者の役割を引き受けない相手をやはり憎悪します。
そして、あなたが兄弟を作り出したのはこのためであり、これがその人の目的であると考えることを学んだのです。
兄弟がその目的にしたがってなければ、その人はあなたから与えられた機能を果たしていません。
こうして、その人は死に値するということになります。
その人には目的がなく、あなたにとっての有用性もないからです。
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そして、その人の方はどうでしょうか。
その人はあなたに何を望むのでしょうか。
ここには、死があるのと同じく容易に生命があります。
なぜなら、あなたは自分が選ぶものを兄弟のためにも選択するからです。
あなたはその人に対して二つの呼び掛けをします。
そして、その人もあなたに同じことをします。
この二つの呼び掛けの間にこそ、選択が存在します。
なぜなら、その二つからは、異なる結果が生まれるからです。
その人があなたにとって先導者か追従者かは問題ではありません。
いずれの場合も、あなたは死を選択したからです。
しかし、その人の呼び掛けが求めているのは、死か生命か、あるいは憎しみか 赦しや助けかということであれば、結果は異なってきます。
一方の呼び掛けを聞けば、あなたはその人達から分離して、道に迷います。
しかし、もう一方の呼び掛けを聞くのなら、あなたはその人とつながり合い、あなたの答えの中に 救済が見出されます。
あなたがその人の中に聞く声は、あなた自身の声に他なりません。
その人はあなたに何を求めているのでしょう。
よく聞きなさい!
その人はあなたに訪れることになるものを求めています。
なぜなら、あなたは自分自身を表す形象を見て、自分が望むものを要請する自分の声を聞くからです。
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答える前に、まず次の言葉について考えなさい。
私が兄弟に与える答は、私が求めているものである。
そして、私がその人について学ぶ事は、私が自分自身について学ぶ事である。
それから、一瞬の間、静かにして待ち、これまでに聞いたと思った全ての事を忘れ、私達がどれほど知らないかを思い出しましょう。
この兄弟は、私達を導くのもなければ、私達の後に従うのでもありません。
ただ、全く同じ道を私達の傍らで歩んでいるのです。
その人は、私達と同じです。
私達がその人に認める度合いに応じて、その人は私達が望むものに近くもなり、遠のきもします。
私達は、その人が真に浴することのない恩恵を得ることはなく、その人が前進しなければ私達は後退します。
怒りではなく、愛をもってその人の手を取りなさい。
なぜなら、その人の進歩の中に、あなた自身の進歩を認めることが出来るからです。
そして、あなたがその人を自分の傍らで安全に保たない限り、私達は別々に道を歩んでいくことになります。
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その人は、神の愛においてあなたと対等であるからこそ、あなたはあらゆる外観から救われ、あなたに呼び掛ける キリストに答えることになります。
静まって、耳をすましなさい。
かつての想念を思うのはやめなさい。
あなたに呼び掛けているこの神の子について、あなたが学んできた惨憺たるレッスンは忘れてしまいなさい。
キリストは先導者も追従者も見ることなく、全ての人を等しい優しさで呼び掛け、その全員に対する一なる答えだけを聞きます。
キリストには一なる声だけが聞こえるので、神が彼をひとり子としたときに彼自身が差し出した答えと異なる答えを聞くことは出来ません。
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一瞬の間、深く静まりなさい。
今までに学んだことについての想念は一切持たずに来て、あなたが作り出した形象の全てを脇に置きなさい、
あなたの反対や意図がなければ、古きものは新しきものの前で崩れ去っていきます。
あなたが貴重だと思い、保護する必要があると思っていたものが攻撃されることはありません。
一度も発せられたことのない呼び掛けを聞きたいというあなたの願望が、襲撃されることもありません。
あなたが静かに耳を傾け、自分が真に望むものについての真理を学ぼうとしてやってくるこの神聖な場所では、いかなるものもあなたを傷つけることはありません。
これ以上のことを学ぶことが、あなたに求められる事はありません。
しかし、その真理が聞こえる時、あなたは理解するでしょう。
あなたはただ、自分の望みもせず、真実であったこともない想念を抱かずに、そこに来るだけでよいということを。
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全ての外観について、あなたの兄弟を 赦しなさい。
それらは、あなたが自分の中にある罪深さについて、自分自身に教えてきた古いレッスンであるに過ぎません。
その人からの呼び掛けだけを聞きなさい。
その人は慈悲を求め、また、あなたとその人自身の本性についてその人が思い描く全ての恐ろしい形象からの解放を求めて、呼び掛けています。
その人はあなたと一緒に歩くのを恐れ、少し後ろか少し前にいる方が自分にとって安全だろうと考えています。
もしあなたもその人と同じよう考え、その人が後退する時にだけ前進し、その人が先に進む時には後戻りするとしたら、あなたは進歩することなど出来るでしょうか。
というのも、それをすれば、あなたは旅のゴールを忘れてしまうからです。
そのゴールとは、どちらが先導するのでもなく後に従うのでもなく、一緒に歩むということを決断するということに過ぎません。
したがって、それはあなた達が共に歩む道であり、一人で行く道ではありません。
そして、この選択において、学びの結果が変更されます。
なぜなら、あなた達双方にとって、 キリストが再生したからです。
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これを生じさせるには、自分の偉大な同伴者が誰であり、彼が何を求めているのかについての、あなたの古くからの考えを抱かずに過ごす一瞬だけで充分です。
そしてあなたは、その人の目的はあなたの目的と同じであることを知覚するでしょう。
その人はあなたが望んでいるものを求め、あなたが必要としているものと同じものを必要としています。
おそらく、それはその人にとっては異なる形をとるでしょうが、あなたは形態に対して応えるのではありません。
その人は求め、あなたは受け取ります。
なぜなら、あなたはただ一つの目的のみを抱いてやってきたからです。
それは、自分は兄弟愛をもって兄弟を愛していることを学ぶという目的です。
そして、兄弟なのだから、真理においてその人があなた自身と同じであるように、その人の父はあなたの父と同一であるに違いありません。
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一緒に居れば、あなた達が共に継承している賜物が思い出され、あなた達の両方によって受け入れられます。
一人では、それはどちらに対しても否定されます。
依然として先導するか、後に従うかのどちらかに拘っているうちは、あなたが自分の傍らには誰もおらず一人で歩いていると考えるということは明らかではないでしょうか。
これはどこにも到ることのない道です。
なぜなら、一人で歩いている限り光が与えられることはあり得ず、したがって、あなたには自分がどこに向かって進んでいるのかが見えないからです。
そうして、あなたが闇の中を一人、前や後によろめきながら進んでいる間、混乱と果てしない疑惑の感覚がつきまといます。
しかし、それらも、その旅が何であるか、およびそれがどのような旅となるべきかについての外観に過ぎません。
というのも、あなたの傍らには、その道を確信し、確かな足取りで一歩ずつ進めるようにと光を掲げている存在がいるからです。
目隠しは実際にあなたの視覚を遮ることは出来ますが、道そのものを暗くすることは出来きません。
そして、あなたと共に旅する存在は、光を持っているのです。
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