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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第2章「分離と贖罪」より2-7本文
第2章 2-8 最後の審判の意義
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あなたが魔術と奇跡を混同していることを正せる方法の一つは、自分で自分を創造したのではないということを思い出すことです。
自己本位になると、このことを忘れがちになり、事実上、魔術を信じることが避けられない立場に自分を置いてしまいます。
あなたに創造する意思を与えたのは創造主であり、自ら創造したときもそれと同じ意思で表現しました。
創造的能力は心の中にあるので、あなたが創造するあらゆるものは当然、意志の問題となります。
また、自分ひとりで作り出すものは何であれ、自分から見れば真実であるということに結論付けかねませんが、神の心の内ではそうではありません。
こうして基本的に区別することが、直接、 最後の審判の本当の意味に繋がります。
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あなたの考えによると、 最後の審判こそが最も脅威を抱かせるような想念の一つだと考えています。
こう考えるのは 最後の審判というものを理解していないからです。
裁くということは神の行うことではありません。
それは分離の後持ちこまれたのであり、全体的な計画の中に組み込まれた数ある学びの為の手立ての一つとなったのです。
ちょうど分離が何百万年にも渡って起こったように、 最後の審判も同じくらい長くかかるでしょう。
もしかすると、もっと長引くかもしれません。
しかし、その長さを奇跡が大幅に縮めることはできます。
奇跡は時間を完全に無くすための手立てではありませんが、それを縮めるための手立てだからです。
もし、充分な人数が本当に奇跡を行う気持ちになれば、このプロセスは事実上計り知れないほど短縮されます。
しかし、最も重要なことはあなた自身が恐れから速やかに自由になることです。
もし、他の人の心に平安をもたらそうとするなら、まず自分が葛藤から脱しなければならないからです。
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最後の審判は神から下される処置だと一般に思われています。
実際には、私の兄弟たちが私の力添えを得て取りかかることです。
それは刑罰を割り当てることではなく、むしろ最終的な癒しとなるものであり、これはいかにあなたが罰の方が当然の報いだと思ったとしてもそれは変わりません。
罰することは、心が正しい状態にあることとは全く反対の概念であり、 最後の審判が目指すのは、あなたに正しい心の状態を回復させることです。
最後の審判とは、正しく評価するプロセスだと言っても差し支えないでしょう。
それは単に、誰もがみな最終的には、何に価値があり何に価値がないかを理解するようになるという意味に過ぎません。
その後で、選ぶ能力を理性的に導くことができます。
しかし、こうした区別がつくまでは、自由意志と閉じ込められた意志の間で迷い続けざるを得ないでしょう。
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自由になるための第一歩は、必然的に間違ったものを真実であるものから選り分けることです。
これは建設的な意味での分離のプロセスであるといえ、ヨハネの黙示録が持つ「世の終わりの日」の本当の意味を反映しています。
究極的には、誰もがみな自分自身の創造したものを眺めた上で、良いものだけを保つために選ぶようになります。
それは、ちょうど神が自ら創造したものを眺めて、良いものだと見通していたのと同じです。
この時点で、心は自らが創造したものの真価に気付き、始めて愛と共に見ることができるようになります。
それと同時に、心が誤って創造したものとの繋がりを認めなくなるのは必然的であり、その信じられていないものはもう存在しなくなります。
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「 最後の審判」という言葉が恐怖を感じさせるのは、それを神の上に投影してしまったからだけではなく、「最後」という言葉と死と結びつけて考えるためでもあります。
これは逆さまに逆転した知覚の著しい例です。
もし、 最後の審判が持つ意味を客観的に調べれば、それは実際には、命へと続く道への戸口であるということは極めて明白です。
恐れを抱きながら暮らすものは誰一人、本当に生きているとは言えません。
あなたの 最後の審判をあなた自身に対して向けることはできません。
なぜなら、あなたが自分を創造したのではないからです。
しかし、自分で作り出したあらゆるものに対しては、それを有意義にいつでも適用でき、その上で創造的で良いものだけを自分の記憶に留めることができます。
あなたの心が正しい状態にあれば、それがこうするようにと指図しないではいられません。
時間の目的とは、単にこのように見極めることを成し遂げられるように「あなたに時間を与える」ことです。
それは、あなたが完全に創造したものを、自分で完全に見極めるということです。
あなたの記憶の中にあることの全てが愛に満ちているなら、恐れを抱き続ける理由はなくなります。
こうなることこそ贖罪におけるあなたの機能です。
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