奇跡講座テキスト編2章2-2 防衛としての贖罪

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第2章「分離と贖罪」より2-2本文

 

2章 2-2 防衛としての贖罪

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あなたは私が頼むことなら何でもできます。

私は奇跡を成すようにと頼みました。

奇跡とは自然なものであり、矯正的であり、癒しであり、普遍であることを明らかにしておきました。

奇跡にできないことは何一つありません。

しかし、疑ったり恐れたりしていたのでは、それを成すことは不可能となります。

何かを怖がるとすれば、自分を傷つける力がそれにあると承認していることになります。

自分の胸の思いをよせるところには、自分の宝もあるということを思い出すようにしなさい。

あなたは自分が価値あると見なすものを信じます。

もし、恐れを抱いているなら、間違って評価していると言えます。

そうなると、自分の理解力では間違って評価するようになることは免れず、また全ての思考に同じような力があると考えると、それが心の平安を乱してしまうのは必然的です。

だから聖書では「あらゆる人知を越える神の平安」について述べています。

この平安はどんな種類の誤りにも全く揺るがぬものです。

それは、神に属さない何かの力があなたに影響を及ぼすはずがないとして、それを否認します。

これこそ適切な否認の使い方と言えます。

それは何かを隠そうとしてではなく、誤りを正すために否認するということです。

誤りを全て光へもたらした上で、誤りと闇とは同じであるが故に、誤りを自動的に正すのです。

 

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真に否認することは強力に保護するための手立てと言えます。

あなたは、間違いが自分を傷つけることが可能だと信じていることを否認することができます。

そして、そうすべきです。

このように否認することは隠す手段ではなく、訂正する手段となります。

あなたの正しい心はこれに基づいています。

間違いを否認することは真理のためには強い防衛となりますが、真理を否認することは結果的に誤って創造し、 自我を投影することになります。

正しい心に仕えるうちに、間違いを否認することで心を自由にし、意思の自由を確立し直すのです。

意思が本当に自由なら誤って創造することは有り得ません。

それは、ただ真理のみを認めるからです。

 

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あなたは間違っていることを防衛できるのと同様に、真理のために防衛することができます。

そのための手段は、ゴールとするものの価値をしっかり定めた後だとより分かりやすくなります。

何の為にするのか、それが問題です。

誰もがみな、自分の宝を守るのであり、また自動的に守ろうとするでしょう。

本当の問いは、何を宝として蓄え、それをどれほど大事にしているかです。

いつもこうした問いを考慮した上で行動に移すことを一旦習得したら、その手段をはっきりとさせることは容易になるでしょう。

そうした手段は、あなたが求めさえすればいつでも応じられるようにしてあります。

しかも、この一歩を必要以上に長引かせようとしなければ、時間を省くことができます。

正しく焦点を合わせれば、それを測り知れないほど短くすることができるでしょう。

 

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贖罪こそ破壊的に使えない唯一の防衛法だと言えます。

なぜなら、それはあなたが作り出した手立てではないからです。

贖罪の原理は贖罪が始まるずっと前から実質的にありました。

その原理は愛であり、贖罪が愛のなすわざでした。

分離以前には愛のなすわざは必要ではありませんでした。

空間と時間に対する「思い込み」など存在しなかったからです。

贖罪とそれを完了するのに必要な条件が計画されたのは、分離以後のことです。

そして、その分離の後、誤って使われることのない完全で申し分のない防衛法が必要となりました。

その上、拒否することでこの防衛法が攻撃するための武器に変わることがあってはなりません。

しかし、他の防衛法ではこれが当たり前の特徴です。

こうして、贖罪は両刃の剣ではない唯一の防衛法となるのです。

贖罪はただ癒すことができるだけです。

 

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贖罪が空間と時間の信念があるところに造られたのは、そうした信念自体が必要だと思うことに限度を設けた上で、最終的には学びを完了させるためです。

贖罪はその最終的なレッスンとなります。

学ぶこと自体は、それが行われる学びの場のように一時的なものです。

学ぶ為の能力は、もはや変化する必要がなくなれば何の価値もありません。

永遠に創造し続ける者には、何も学ぶべきことはありません。

あなたは自分の知覚力を向上させるために学ぶことができ、ますますよい学習者になれます。

こうして、あなたは一なる子としての身分にある者とより一致していくでしょう。

しかし、一なる子としての身分そのものは完全な創造であり、完全さは度合の問題ではありません。

ただ、違いがあると信じる間は、学ぶことに意義があると言えます。

 

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進化とは進歩のプロセスであって、そこではある段階から次の段階へと進んでいるように思えます。

あなたは、前に歩み続けることによって、以前に踏み誤ったことを訂正するのです。

時間という視点から見ると、このプロセスは実に不可解です。

なぜなら、前進する度に元に戻っていることになるからです。

贖罪は、あなたが先へ進むに従って、過ぎ去ったことから自分を自由の身にできる手立てです。

それは、過去の間違いを元通りにしてくれるので、あなたは復帰するための進歩どころか、元来た道を辿り直し続けるようなことをする必要がなくなります。

この意味において、贖罪は時間を省きますが、贖罪が奉仕しているその奇跡と同じように、時間を完全に失くすということはしません。

贖罪が必要である限り、時間も必要です。

しかし、完了した計画としての贖罪は時間と独特の関係を持っています。

贖罪が完了するまでは、そのさまざまな段階は時間の中で進みますが、完全な贖罪というものは時間の終りにあります。

その時点に、復帰するための橋が造られています。

 

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贖罪は誠心誠意従うと決断することです。

あなたはまだ、こうすることは敗北であると結び付けて考えるかもしれませんが、これは分離した全ての神の子たちがどうしても思い違いをすることです。

攻撃することが出来ない防衛こそが最善の防衛であるとは信じがたいかもしれません。

しかし、「柔和な人は地を譲り受けるであろう」という言葉が意味するのはこのことです。

柔和な人たちは持前の力強さで、文字通り地を引き継ぐことでしょう。

両方向で防衛することは本質的に弱いところがあるというのは、まさに両刃を持っているからであり、不意に自分に向いて不利な立場になりかねないからです。

この可能性を制御できるのは奇跡だけです。

奇跡が贖罪という防衛力であなたを真に擁護するのです。

自分は安全であると確信が持てるようになるにつれて、あなたは自分が兄弟であり神の子でもあると分かるようになり、他の人たちを擁護するという生まれながらの才能を自分のものとするでしょう。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第2章「分離と贖罪」目次

2-1   分離の起源

2-2   防衛としての贖罪

2-3   神の祭壇

2-4   恐れからの解放としての癒し

2-5   奇跡を行う者の機能

2-5-A  奇跡を行う者たちの特別の原則

2-6   恐れと葛藤

2-7   原因と結果

2-8    最後の審判の意義

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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