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奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編11 本文
11.どうすれば、この世界において平安が可能となるでしょうか
ACIM-Manual 11-1
この質問は、誰もが聞かずにはいられない質問です。
確かに、ここでは平安は不可能のように思えます。
しかし、神の言葉は、それだけでなく不可能とも思える他のいくつものことも約束しています。
その言葉は平安を約束しています。
他にも、死はないこととか、復活は必ず起こること、再生とは人が受け継いでいる賜物であること、も約束しています。
あなたの見ている世界は、神の愛している世界であるはずがありません。
ところが、その言葉は神がこの世界を愛していると保証しています。
神の言葉は、平安がここで可能だと約束して来ました。
そして、神が約束することは不可能であるはずがありません。
しかし、もしその神の約束を受け入れようとするのなら、この世界を違ったように見る必要があるということも真実です。
この世界のありようは、単なる事実に過ぎません。
あなたは、これが何であるべきかを選ぶことはできません。
しかし、それをどのように見たいかは選べます。
実際のところ、あなたはこれを確かに選択する必要があります。
ACIM-Manual 11-2
またしても、ここで判断するという問題に突き当たります。
今度は、自分の判断と神の言葉のどちらにより真実である可能性があるか、自分自身に聞いてみなさい。
その二つは、この世界について違ったことを言っていて、それらはあまりに真反対なので、それを和解させようとするのは無益です。
神はこの世界に救いを差し出していますが、あなたの判断はこの世界を非難しようとします。
神は、死は存在しないと言いますが、あなたの判断によると、死は生命あるものの避けられない最後としてのみ見ています。
神の言葉は、神がこの世界を愛しているとあなたに保証していますが、あなたの判断では世界は愛しがたいものだと言います。
誰が正しいのでしょうか。
両者のうちどちらかが間違っているはずです。
きっとそうであるに違いません。
ACIM-Manual 11-3
奇跡のコースのテキストでは、 聖霊こそがあなたの作り出した全ての問題に対する答えそのものである、と説明しています。
こうした問題は、実在するものではないのですが、このことはそれを信じている者たちにはいくら言っても無意味です。
そして、誰もがみな自分の作ったものを信じているというのも、それはその人が信じることによって作り出されたものだからです。
この奇妙で逆説的な状況の中に、― すなわち、意味がないし道理に欠いているし、しかもそこから抜け出す道はなさそうに思える中に ― 神はあなたの判断に答えるためにご自身の審判を送りました。
穏やかに、神の審判があなたのものに取って代わります。
そして、これの代替がなされることによって、理解不可能なものが理解できるようになります。
どうすればこの世界において平安が可能となるのでしょうか。
あなたの判断によると、それは不可能で、それが可能となることは絶対に有り得ません。
しかし、神の審判によると、ここに反映されているのは平安のみです。
ACIM-Manual 11-4
争いを眺めている者たちには、平安は有り得ません。
平安を差し出す者たちにとっては、平安は必然です。
とすれば、いかに簡単に、あなたのこの世界に対する判断から逃れられるでしょうか。
世界が平安は不可能だと見せているのではありません。
あなたの見ている世界こそが、存在不可能なのです。
しかし、この歪んだ世界に対する神の審判がこの世界を救い、それが平安を迎えるにふさわしいものにしてくれました。
そして、それに喜ばしく応えて、平安が降りてきます。
今こそ平安はあるべきところにあります。
神の想念が入ってきたからです。
ただそれそのものとして存在するだけで、地獄を天国に変えるのは、神の想念でしかないでしょうか。
地はその恵みあふれる臨在を前にして跪き、神の想念はそれに答えて腰をかがめ、再び地を立ち上がらせます。
今や聞くことは変わっています。
もはや、「この世界において平安は可能でしょうか」と聞くのではなくて、「ここに平安がないというのは不可能なことではないでしょうか」と聞くべきでしょう。
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