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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第25章「神の正義」25-2本文
第25章25-2 闇からの 救済者
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身体の目で知覚するものがあなたを恐れで満たすという事は、明白な事ではないでしょうか。
多分あなたは、そこに満足を得られるという希望を見い出せると思っているかもしれません。
そしてまた、自分の知覚している世界の中に、何らかの平和と満足を獲得する事を空想しているでしょう。
しかし、その結果は変わらないという事は明白なはずです。
あなたの希望や空想とは裏腹に、結果は常に失望に終わります。
そして、そこにはいかなる例外もなく、これからも決してないでしょう。
過去が持つ事の出来る唯一の価値があるとすれば、自分が取っておきたいと思うようないかなる報奨も過去は何一つ与えてくれなかったという事を、あなたが学ぶとい事です。
そのようにして初めて、あなたは過去を手放し、それを永遠に過ぎ去らせてもいいという気持ちになるからです。
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あなたが今でも、自分が見ている世界から何らかの満足を得られるという希望を抱き続けているのは、奇妙な事ではないでしょうか。
いかなる点についても、いかなる時や場においても、これまで恐れと罪悪感以外の報奨があなたに与えられた事はありませんでした。
こうした点において変化が起こる見込みは、もっと良い結果をもたらしそうな変化を遅らせてまで待つほどの価値はないと分るまでに、あなたにどれほどの時間が必要なのでしょう。
次の事だけは確かでです。
あなたが物事を見ている見方、そしてこれまでも長い間見てきた見方によれば、あなたの未来に希望を抱くべき拠り所となるものや、成功の兆しを示すものは全く見当たりません。何の希望もないところに希望を託せば、あなたは必ず絶望させられます。
しかし、かつて希望が見出されたためしのないところに希望を探し求めようとしている間は、この絶望感こそ、あなたが選択しているものなのです。
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しかしまた、これとは別の希望をあなたが発見したという事も、真実ではないでしょうか。
それは不安定に揺れ動き、ぼんやりと見えるだけの微かな光ですが、この世界のものではない根拠の上にその有望性が保障されています。
ところが、まだこの世界にそれがあるかもしれないという希望で、あなたが自分で設定した絶望的で報われる事のない任務を放棄する事が、依然として妨げられています。
これまで常に失敗に終わっているものを追求し続ける理由があると頑なに信じるのは、分別のある事でしょうか。
それを追求していれば、いつかは俄かに功を奏して、それまでもたらしたためしのない成果がもたらされるだろうと、当てにしているのでしょうか。
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それの過去は失敗に終わりました。
そのようなものがあなたの心から消え去っていて、そこにあるものに闇を投げかけない事を喜びなさい。
形態を内容と取り違えてはなりません。
形態は内容のための手段に過ぎないからです。
そして、額縁は中の絵が見えるように絵を飾るための単なる手段に過ぎません。
絵を隠してしまうような額縁は何の役にも立ちません。
もしあなたが見ているのが額縁だけなら、それは額縁ではありません。
絵がなければ、額縁には意味がありません。
額縁の目的は、それ自体ではなく、絵を引き立たせる事なのです。
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いったい誰が、何も入っていない額縁を壁に掛け、あたかもそこに偉大な作品を見る事が出来るかのように深い畏敬の念を持ってその前にたたずんだりするでしょう。
とはいえ、もし、あなたの兄弟を 身体として見るなら、あなたがしているのはまさしくことです。
神がこの額縁の中に納めた大作のみが、見るべきものの全てです。
身体は、それを少しも覆い隠す事もなくしばらくの間保持します。
しかし、神が創造したものに額縁は必要ありません。
なぜなら、神は創造したものをご自身で支え、ご自身をその縁取りとするからです。
神はあなたが見るようにとご自身の大作を差し出します。
あなたはこれよりも額縁の方を見たいでしょうか。
そして、その絵の方は少しも見ないのでしょうか。
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聖霊は、あなたが分離しているものと見なそうとする神の一部のまわりに、神ご自身がほどこした額縁です。
しかし、その額縁はそれを創り出した創造主とつながっていて、創造主とも、創造主の大作とも一つのものです。
これがその額縁の目的であり、あなたがその絵の代わりに額縁を見る事を選択しても、その額縁を絵とする事はしません。
神がその絵に与えた額縁は、ただ神の目的に仕えるだけであって、神の目的と離れたあなたの目的に仕える事はありません。
その絵を覆い隠し、絵の代わりに額縁の方を大切にするのはあなたの分離した目的です。
しかし、神はあなたの額縁が灰塵に帰した後も永遠に存続する額縁の中にご自身の大作を納めました。
その絵が少しでも破壊されるような事があると思ってはなりません。
神が創造するものは永遠の中にあり、あらゆる腐敗から安全で、変わることなく完璧です。
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あなたの額縁の代わりに神の額縁を受け入れなさい。
そうすれば、あなたにはその大作が見えるでしょう。
その素晴らしさを見なさい。
そして、それを肉や骨の中ではなく、その大作そのものと同じように麗しい額縁の中に思考した心を理解しなさい。
その聖性は、闇の額縁が隠している無罪性を照らし出し、そこに描かれている顔に光のベールを投げかけています。
そして、その顔は、それ自体が創造主に向かって輝く光をただ反射しています。
あなたがこの顔をかつて死の額縁の中に見たからといって、それが一度でも暗く曇った事があると考えてはなりません。
神は、あなたがそれを眺めて、ご自身がそれに与えた聖性を見る事が出来るように、それを安全に保ってきました。
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闇の中に、闇からの 救済者を見なさい。
そして、あなたの兄弟を、その人の父の心がその人をあなたに示す通りに理解しなさい。
あなたがその人を見る時、その人は闇から出てくるでしょう。
そして、あなたはもはや闇を見なくなります。
闇はその人には触れてはいなくて、その人を見ようとして闇から連れ出したあなたにも触れてはいません。
その人の無罪性は、あなたの無罪性を描き出しているに過ぎません。
その人の優しさはあなたの強さとなり、双方とも喜んで内側を見て、あなたがその人の内に見たもののゆえに、そこにあるに違いない聖性を見ます。
その人はあなたの聖性を納めた額縁であり、神がその人に与えたものは、あなたにも与えられているに違いありません。
その人がどれほど自分の中にある大作を見落としていて、闇の額縁しか見ていないとしても、それでもその人の中に、その人の見ていないものを見る事があなたの唯一の機能です。
そして、このように見る事の中で、死を見る代わりに キリストを見る心眼が分かち合われます。
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もしあなたが神の大作を賞美したなら、どうして天主が喜ばずにいられるでしょうか。
神の子を神と同じように愛するあなたに対して、どうして神が感謝を捧げないでいられるでしょう。
神が愛しているものをあなたが共に賞美するなら、神はあなたにご自身の愛を知らせずにおくでしょうか。
完全無欠な父である神は、被造物を大切にしています。
したがって、神のどの部分であれ、神と一緒に賞美し、神の喜びを分かち合う時、神の喜びは完全となります。
この兄弟は、神からあなたへの完璧な贈り物です。
あなたが神の完全無欠な子に対して、その人がその人である事を感謝する時、神は喜び、感謝します。
そして、神の感謝と喜びは、神の喜びを完成させて神を完成させるあなたの上に輝きます。
父の幸せを完全なものにして、それと共に自らの幸せも完全なものにしようと意志する者たちの目には、一筋の闇も見えません。
神ご自身の感謝が、神の目的を分かち合う全てのものに惜しみなく与えられます。
ひとりでいる事は神の意志ではありません。
そして、それはあなたの意志でもないのです。
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あなたの兄弟を 赦しなさい。
そうすれば、あなたは自分自身を兄弟からも彼の父からも分離させる事は出来なくなります。
あなたは 赦しを必要としていません。
なぜなら、完全に清らかな者は罪を犯した事は一度もないからです。
それならば、あなたが神の子を一つのものとして見る事が出来るように、神があなたに与えたものを、あなたにも与えなさい。
そして、父があなたに感謝するように、あなたも神の子の父に感謝しなさい。
また、神からの賞美の全てがあなたには与えられていないと信じてはなりません。
あなたが与えるものは神のものであり、それを与える事によって、あなたは神からあなたへの贈り物を理解できるようになるからです。
そして、 聖霊が父と子に同じように差し出しているものを、あなたも 聖霊に与えなさい。
神の意志とあなたの意志以外には、何一つあなたを左右する力を持つものはなく、あなたの意志とは父の意志を拡張させるものに他なりません。
このことのためにあなたは創造されたのであり、そしてあなたの兄弟も、あなたと共にあなたと一つのものとして、このことの為に創造されたのです。
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神ご自身が一なるものであり、自らの意志において分割されていないのと同じように、あなたとあなたの兄弟は同一の存在です。
そして、神は同じものをあなたに与えたので、あなた達は一なる目的を持っているに違いありません。
兄弟に完成を差し出す事によって自らが完全となるべくあなた達が意志を一つにする時、神の意志が一つになります。
あなたはその人の中に、その人が見ている罪深さを見てはなりません。
そうではなく、あなたが自分自身もその人も尊重できるように、その人に敬意を示しなさい。
あなたと兄弟には 救済の力が与えられています。
それは、あなた達が闇から光への脱出を分かち合えるようになる為のものであり、一度も分離したことのないもの、平等に与えられている神の愛の全てから離れた事のないものを、一つのものとして見る事が出来るようになるためのものです。
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