奇跡講座マニュアル編23. 癒しにおいてイエスには特別な役割があるでしょうか

奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編23 本文

 

23. 癒しにおいてイエスには特別な役割があるでしょうか

ACIM-Manual-23-1

神の贈り物が、直に受け取られることは稀です。

神の教師たちの中で最も進んだ人たちでさえ、この世界では誘惑に屈することがあります。

このために、その人たちの生徒たちに癒しが拒まれるとしたなら、それは公平でしょうか。

聖書には、「イエス キリストの名によって求めなさい」と述べられています。

これは、単に魔術を求める懇願でしょうか。

名前が癒すわけはなく、祈願も何らかの特別な力を生じさせるのでもありません。

イエス キリストに願うとは、どういう意味でしょうか。

その名に呼びかけることで、何が与えられるのでしょうか。

なぜ、イエスへの懇願が癒しの一部なのでしょうか。

 

ACIM-Manual-23-2

自分自身に贖罪を完全に受け入れた一人が世界を癒すことが出来る、と私達はこれまで何度も繰り返してきました。

まさしく、イエスは既にそのように受け入れたのです。

誘惑は、他の人たちはとっては繰り返されるかもしれません。

しかし、このイエスには、決してこのようなことはありません。

彼は、復活した神の子となりました。

彼は、生命を受け入れたので、死に打ち勝ちました。

彼は、神が彼を創造したままに自分自身を認識しました。

そして、そうすることにおいて、命ある全てのものを自分の一部だと認識しました。

今や、彼の力には限界がありません。

なぜなら、それは神の力だからです。

こうして、彼の名も神の名となりました。

なぜなら、彼はもう自分自身を神から分離したものとは見ていないからです。

 

ACIM-Manual-23-3

こうしたことは、あなたにとって何を意味するのでしょうか。

それは、あなたがイエスを思い出すことで神を思い出すことになるという意味です。

神の子と神との関係全体は、イエスのうちに見いだせます。

一なる子としての身分におけるイエスの役割は、あなたの役割でもあるし、彼の完了した学びが、あなたの成功を保証しています。

彼は、今でも助けてくれるでしょうか。

彼は、これについて何と言ったでしょう。

彼の約束を思い出しなさい。

そして、彼がそうした約束を守りそこなう可能性があるかどうか、正直に自問してみなさい。

神が、神の子を見捨てるようなことがあるでしょうか。

そして、神と一つである人が、神とは違うということがあるでしょうか。

身体を超越する人は、限界を超越したのです。

最も偉大な教師が、自分についてくる人たちの助けにならずにいられるでしょうか。

 

ACIM-Manual-23-4

このようなイエス・ キリストという名は象徴に過ぎません。

しかしそれは、この世のものではない愛を表しています。

それは、あなたが祈りを捧げている全ての神々の様々な名の代わりとして、安全に使うことのできる象徴。

それは、神の言葉の輝かしい象徴となります。

しかも、それが表しているものにとても近いので、その名を心に思い浮かべられた瞬間、その二つの間の僅かな隔たりが失われるほどのものです。

イエス・ キリストの名を思い出すということは、神があなたに授けた全ての贈り物に感謝を捧げるということです。

そして、神に対する感謝は、神を思い出す方法となります。

愛は、有り難いと思う気持ちや感謝に満ちた心から、遠くは離れてはいられないからです。

これが、あなたが帰郷するのに必要な真の条件なので、そこに神は難なく入ってきます。

 

ACIM-Manual-23-5

イエスは、道を先導してきました。

あなたが、そのイエスに対して有り難いと思わないはずがありません。

彼は、愛を求めましたが、それはただあなたにそれを与えるためです。

あなたは、自分自身を愛してはいません。

しかし、彼の目にはあなたの麗しさは実に完全で非の打ち所が無く、その中に彼は父の姿を見ています。

あなたが、この地上において、父の象徴となるのです。

彼はあなたに希望を抱いています。

それというのも、彼はあなたの中に、あなたの美しい完全無欠性を損なう限界や汚点を一つも見ていないからです。

彼の目には、常に全く変わることなく、 キリストの心眼が輝いています。

彼は、あなたと共に留まり続けていました。

あなたは、彼の学びを通して、 救済のレッスンを学びたくはないでしょうか。

彼があなたのためにその旅路を終えてくれているというのに、なぜあなたは再び最初から始めることを選ぶのでしょうか。

 

ACIM-Manual-23-6

地上にいるものは誰一人、天国とは何か、また、その唯一の創造主とは何を意味するのかを把握できる人はいません。

とはいえ、私たちには証人がいます。

分別があるなら、頼るべき相手は彼らです。

私たちが学べることを遥かに越えて、学んだ人たちもいます。

また私たちは、自分で自分に負わせた限界について教えるのでもありません。

真の献身的な神の教師になった人は、誰一人自分の兄弟たちを忘れはしません。

しかし、その教師が兄弟たちに差し出すことが出来るのは、その教師自身が自分で学んだことに限定されます。

それならば、全ての限界を退け学びの最大限の域を越えていった人に頼りなさい。

彼は、あなたを一緒に連れて行くでしょう。

なぜなら、彼ひとりで越えていったのではないからです。

そしてその時も、あなたは、今と同じように彼と共にいたのです。

 

ACIM-Manual-23-7

この奇跡のコースの教えは彼からもたらされましたが、それは、あなたに愛し理解できる言語で彼の言葉があなたに届いたからです。

他の言語を話し、異なる象徴に訴える人たちにも、道を導く他の教師たちが存在するのでしょうか。

それはもちろん存在します。

神が、苦境の時にすぐ間に合う助力や、神自身を象徴できる救い主を与えずに、誰かを放っておいたりしておくでしょうか。

確かに、私たちには色々な側面のあるカリキュラムが必要です。

しかし、その理由は、内容が違うからではなくて、象徴というものは必要に合わせて入れ換わり、変化させたりしなければならないものだからです。

イエスは、あなたの必要に応えるために来ました。

彼の中に、あなたは神の答えを見いだすでしょう。

だから、その彼と共に教えなさい。

彼は、あなたと共にいて、彼はいつもここにいます。

 

奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編の目次

マニュアル編(教師のためのマニュアル)目次

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

スポンサーリンク

関連記事

目次

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る Top