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奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編24 本文
24. 輪廻転生はあるのでしょうか
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究極的な意味では、輪廻転生は不可能です。
過去も未来も存在しないのであり、一度であれ何度も繰り返してであれ、 身体を持って産まれてくるという概念には何の意味もありません。
それならば、真の意味では、輪廻転生は真実では有り得ません。
私たちが一つだけ質問すべきことは、「その概念は役に立つかどうか」ということです。
そして、そのことはもちろん、それが何の目的に使われるのかにかかっています。
もしそれが、生命の永遠であることの認識を強めるために使われるのなら、それは確かに役に立ちます。
輪廻転生に関する他のどんな質問であれ、行く手を照らすのに本当に役立つでしょうか。
他の多くの信じられていることと同様に、それも酷く間違って使われる可能性があります。
少なくとも、そのように間違って使われることは、過去への没入をもたらし、さらに過去にまつわるプライドさえもたらすかもしれません。
最悪の場合、現在に無気力を引き起こします。
その中間でも、おびただしい種類の愚かなことが起こり得ます。
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輪廻転生は、いかなる状況下にあっても、「今」対処すべき問題とはなりません。
たとえそれが、誰かが今直面しているいくつかの困難の原因であるとしても、その人の課題は依然として、今そうした困難から脱出することだけです。
もし、その人が将来の人生のための基礎を築きつつあるのだとしても、その人は自分の 救済のために何かを為し得るのは、やはり今だけです。
ある人たちにとっては、その概念が慰めになることもあるかもしれません。
そして、もしそれでその人たちが元気づけられるなら、そこに価値があることは自明です。
いずれにせよ、 救済への道は、輪廻転生を信じる人によっても信じない人とっても見いだされることは確かです。
したがって、この概念をこのカリキュラムに欠かせないものと見なすことは出来ません。
現在を過去の観点から見ることには、必ず何らかの程度の危険が伴います。
どのような思いであれ、それが生命と 身体は同じものではないという考えを強めるなら、それは、常に何らかの善を含んでいます。
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私たちの目的のためには、輪廻転生に関してどんな明確な立場をとることも助けになりません。
神の教師は、そのことを信じる人たちにも信じない人たちにも同じように助けにならなくてはなりません。
もし、どちらかに限定された立場を取ることがその人に義務付けられていたとしたら、それは単に、その人の有用性のみならず、その人自身による決断も制限することになってしまうだけです。
私たちのこのコースは、誰であれ、その人の正式な信念に関わりなく受け入れることの出来るもの以外は、関心の対象としていません。
神の教師は、自分の 自我に対処するだけで精一杯であり、分派的論争を加えてその人の負荷を重くするということは、叡智の為すことではありません。
それに、単に自分が長い間信じてきたことを同じく提唱しているからといって、このコースを時期尚早に受け入れるということも、その人のためにはなりません。
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このコースが、思考の完全な逆転を目指しているということはいくら強調しても強調し過ぎるということはありません。
これが最終的に達成された時には、輪廻転生の妥当性といった議論は意味が無くなります。
それまでの間は、それらは単に論争の的になるだけのものになりがちです。
したがって、神の教師はそうした質問の全てから離れているほうが賢明です。
なぜなら、そうした問題とは別に、その人には教え、学ぶべきことが沢山あるからです。
理論的な論争に時間を使うのは無駄であり、時間をその本来の目的から逸脱して浪費することになるのだということを、その人は学び、かつ教えなくてはなりません。
どのような概念や信念であれ、それに役に立つ面があるとすれば、その人はそれについては教えてもらえるでしょう。
その上、それをどのように使うべきかも教えられるでしょう。
それ以上の何を、その人が知る必要があるでしょうか。
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これは、神の教師が、輪廻転生ということを信じたり、そのことを信じる人たちとそれについて論じるべきではない、という意味でしょうか。
答えは、もちろんそうではありません!
もし、その人が輪廻転生を信じているのなら、内なる教師が助言したのでなければ、その信念を放棄するのは間違いです。
そして、そのようなことはまずないでしょう。
もしかすると、その人がその信念を、生徒や自分自身の進歩にとって有害な形で誤って使っていると忠告されることはあるかもしれません。
その場合には、再解釈が必要であり、それを勧められるでしょう。
しかし、認識されるべきことの全ては、誕生が始まりだったのではなく死が終わりなのではない、ということだけです。
しかし、この認識さえも初心者には要求されていません。
その人はただ、自分が知っていることは必ずしも学ぶべきことの全てではない、という考えを受け入れる必要があるだけです。
その人の旅は始まったばかりです。
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このコースが強調することはいつでも同じです。
すなわち、今この瞬間、完全な 救済があなたに差し出されていて、今この瞬間にあなたはそれを受け入れることが出来る、ということです。
今でもこれが、あなたの唯一の責務です。
贖罪とは、過去から完全な脱出や未来への完全な無関心と同一視できるものです。
天国は、ここにあります。
それ以外の場所は存在しません。
天国は、今です。
それ以外の時間は存在しません。
こうしたことに導かない教えは、神の教師たちの関心の対象ではありません。
全ての信念は、正しく解釈されさえすれば、このことを指し示すでしょう。
この意味においては、あらゆる信念を真理とするのはそれが役立つかどうかであると言えます。
進歩へと導く信念は、全て尊ばなければなりません。
これが、このコースが要求する唯一の評価基準です。
これ以上は必要ありません。
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