
Contents
奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編25 本文
25. 「心霊的」能力は望ましいことでしょうか
ACIM-Manual-25-1
この質問に対する答えは、すぐ前の質問と非常によく似ています。
もちろん、「不自然な」力といったものはないのであり、存在しない力を作り出そうとすることは明らかに魔術を頼ることです。
しかし、またそれと同じように、誰にでも自分でも気づいていない多くの能力が備わっていることも、同様に明白です。
その人の自覚が増していくにつれて、自分でも驚くような能力を発現させていくこともあります。
しかし、その人に出来ることのどれをとってみても、その人自身が誰であるかを思い出した時の光に満ちた驚きに少しも比べられるようなものではありません。
その人の学びや努力の全てをこの一つの大いなる最後の驚きへと向かわせるなら、その人は、その途中で出会う諸々の小さな驚きによって遅れを取ることに甘んじたりすることはないでしょう。
ACIM-Manual-25-2
もちろん、このコースと明らかに調和している「心霊的」能力も数多くあります。
コミュニケーションとは、世界が認識しているような狭い範囲の伝達回路に限定されているものではありません。
もしそうであったなら、 救済を教えようとすることには、ほとんど意味がなくなるでしょう。
それを教えることも不可能なるでしょう。
この世界がコミュニケーションに課している制限が、 聖霊を直に体験すること阻む主要な防壁となっています。
しかし、 聖霊の臨在は常にここにあり、聞こうとさえすればその声を聞くことができます。
こうした制限は、恐れによって課されています。
それというのも、制限がなければ世界中のあらゆる分離した場所を取り囲んで壁は全て、 聖霊の声の聖なる響きの前では崩れ落ちるからです。
どんな方法によってであっても、そうした制限を超越した人は、ただもっと自然になっていくだけです。
その人は、何一つ特別なことをしているわけではなく、その人のやり遂げたことに何の魔術もありません。
ACIM-Manual-24-3
道を進んで行くうちに身につけることもあるかもしれない新しい能力のように思えるものは、とても役に立つことにもなり得ます。
それが 聖霊に渡され、 聖霊の指示のもとに使われるなら、それは価値のある道具になります。
このことと、そうした能力がどのように生じたのかという問題は、無関係なのです。
考慮すべき唯一の重要なことは、それがどう使われるかということだけです。
そうした能力そのものを最終目的とするなら、これがどのように行われるにせよ、進歩を遅らせます。
それに、そうした能力の価値は、過去に為された業績とか、「目に見えない」ものとの交信とか、神からの「特別」な寵愛などといったことを証明することの中にあるのではありません。
神は、少しも特別扱いをしません。
また誰も、全ての人が使えないような力を持っているという人は一人もいません。
ただ魔術の奇妙な力によって、特別な力が「実証」されるというだけです。
ACIM-Manual-25-4
本物のものであれば、何一つ裁く為に使わるということはありません。
聖霊には欺くという能力は無いので、真の能力しか使うことができません。
魔術のために使われるものは、 聖霊には無用です。
一方、 聖霊が使うものは、魔術のためには使えません。
とはいえ、珍しい能力には独特の魅力があり、それは不思議と魅力的なものとなることが有り得ます。
ここには、 聖霊が望み、そして必要とする強さがあります。
しかし、 自我はこうした同じ強さの中に、 自我そのものを称賛する機会を見ます。
強さが弱さに変わるなら、まさしく悲劇です。
しかし、 聖霊に捧げられなかったものは、弱さに捧げられるしかありません。
なぜなら、愛に与えられずにおかれたものは恐れに与えられ、その結果、恐ろしいものとなるからです。
ACIM-Manual-25-5
この世界の物質的な物事にはもはや価値を認めなくなった人たちでさえ、まだ「心霊的」能力には欺かれることがあるかもしれません。
世界の物質的な贈り物への執着がなくなっているので、 自我は深刻に脅かされています。
それでも、その 自我には、この新たな誘惑をもとで勢いを盛り返し、策略により取り戻されるだけの強さが残っている場合があります。
ここでの 自我の防衛が格別に巧妙というわけでもないにも関わらず、多くの人はこの 自我の防衛策を見抜いてきませんでした。
しかし、欺かれたいという願望が残っていれば、欺くことは容易となります。
そうなるとすると、その「力」はもはや真の能力ではなく、信頼して使うことは出来ません。
そのような個人は、その「力」の目的について自分の心を変えない限り、ほぼ必然的に、確かではない自分の「力」を、更に欺瞞によって支えようとするでしょう。
ACIM-Manual-25-6
誰であれ、人が発達させる能力は、それが全て良き事につながる可能性があります。
これには全く例外はありません。
そして、その力が珍しくて意外なものであればあるほど、それが潜在的に役に立つ可能性も大きくなります。
救済は、全ての能力を必要としています。
この世界が破壊しようとするものを、 聖霊は回復させるからです。
「心霊的」能力は、悪魔に呼びかけるために使われたこともありますが、それは単に、 自我を強めために使われたということを意味します。
しかし、ここにもまた、 聖霊のために働くのであれば、希望と癒しをもたらすための一つの大いなる経路となるものがあります。
「心霊的」能力を発現させた人たちは、ただ自分で自分の心に負わせていた制限のいくつかが取り除かれるままにしただけです。
もし、その人たちが増大した自由を幽閉の強化のために使うなら、その人たちは自分自身により制限を負わせることにしかなりません。
聖霊は、こうした贈り物を必要としています。
それを 聖霊に、ただ 聖霊のみに差し出す人は、 キリストの感謝を胸に抱いて進み、 キリストの神聖な視力も遠からず訪れるでしょう。
奇跡講座(奇跡のコース)マニュアル編の目次
マニュアル編(教師のためのマニュアル)目次