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奇跡講座(奇跡のコース) マニュアル編2本文
2.その生徒たちとは誰のことでしょうか
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神の教師の一人ひとりに特定の生徒が割り当てられており、その教師が呼びかけに応え答えたなら、ただちに生徒たちはその人を捜し始めます。
その生徒たちがその人のために選ばれたというのも、その人が教えることになる普遍的なカリキュラムの形態が、その人たちの理解のレベルという観点から見て最適だからです。
その人が現われるのは確実なので、生徒たちはその人をずっと待っていました。
これもまた、単に時間の問題です。
一旦その人が自分の役割を果すことを選択したら、生徒たちも自分たちの役割を果す準備が整います。
時間は、その人の選択を待っているのであって、その人が誰の役に立つことになるのか、それを待っているのではありません。
その人に学ぶ準備が出来しだい、教える機会がその人のために与えられることになるのです。
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この 救済のための「教えること即学ぶことという計画」を理解するためには、この奇跡のコースが明らかにする時間の概念を把握することが必要です。
贖罪は幻想を修正するのであって、真理を修正するのではありません。
したがって、それはもともと一度もあったためしのないものを修正するのです。
さらに、こうした訂正の計画は定めされたと同時に完了しています。
神の意志は、全面的に時間とは何の関わりもないものであるからです。
神からのものである実在のすべてについても、同じことが言えます。
というのも、それこそ神の本質だからです。
神の子の心に分離という想念が入り込んだまさにその瞬間、神の答えも与えられました。
時間のうちでは、こうしたことは遥か遠い昔に起こったことになっています。
実在においては、それは全く起こってはいません。
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時間の世界は幻想の世界です。
遥か昔に起こったことが、今、起こっているかのように思えます。
ずいぶん以前に選択したことが、まだ選択の余地があり、これから選べるかのように見えます。
既に学ばれ、理解され、遥か昔に過ぎ去った物事が、新たな考えや新鮮な発想や、それまでとは違ったアプローチであるかのように見なされます。
あなたの意志は自由であるため、あなたは既に起こったことを、いつでも自分の好きな時に受け入れられます。
そして、その時にやっと、それがいつもそこにあったことを悟るでしょう。
奇跡のコースの教えが強調しているように、あなたはカリキュラムを選べる自由はなく、どんな形態で自分がそれを学ぶことになるかを選ぶ自由さえもありません。
しかし、あなたはいつそれを学びたいかを決める自由はあります。
そして、あなたがそれを受け入れる時、それは既に学ばれています。
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すなわち、実際のところ時間は、往古の瞬間に戻っていくのです。
あまりにも遠い昔のことなので、全ての記憶が及ばず、思い出せる可能性すらない瞬間です。
ところが、その一瞬は、何度もなんども、幾度となく繰り返し追体験されるので、それが今のことのように思えてきます。
こうして、生徒と教師が、まるで以前会ったことがなかいかのように互いを見つけ、今ここで合流するかのように見えます。
生徒はちょうどいい時にちょうどいい場所にやってきます。
これは必然的です。
というのも、その人はあの往古の一瞬において、すでに正しい選択をしており、それを今、追体験しているだけだからです。
その教師も同じく、はるか過ぎ去った遠い昔に、ひとつの必然的な選択をしました。
あらゆるものにおいて、神の意志の働きが顕れるには時間がかかるように思えますが、それはそのように見えるだけです。
いったい何が、永遠なるものの力を遅らせることなどできるでしょうか。
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生徒と教師がある場で出会ったとき、「教えることで学ぶという状況」が始まります。
というのも、実際のところ、教えることを行うのはその教師ではないからです。
神の教師は、学ぶ目的のために互いにつながりあうどの二人の者に対しても語りかけます。
その関係性は、その目的ゆえに神聖なものであり、神はいかなる神聖な関係にも 聖霊を送ると約束しています。
そうした「教えることで学ぶという状況」においては、双方の者も与えることと受け取ることは同じだと学びます。
お互いの自分たちの役割とか、お互いの心や 身体や必要なものとか利害のあることとか、こうしたことの間に二人が引いていた境界線、さらには互いを分け隔てているとその人たちが思っていた様々な相違点の全ても色あせ、徐々にぼやけていき、やがては消えてしまいます。
同じコースを学ぼうとする者たちは、一なる関心事と一なるゴールを分かち合います。
こうして学ぶ者であったその人自身が神の教師となるのです。
なぜなら、その人も自分に教師を与えることになったあの一つの決断を下したからです。
つまり、その人は他者の中に、その人自身の利害と同じ利害を見たのです。
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