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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第8章 「帰還への旅」8-4本文
第8章 8-4 自由という贈り物
8-4 自由という贈り物
ACIM-Text- chapter8-4-1
あなたのための神の意志が全き平安と喜びであるとすれば、もし、あなたがそれだけを経験していないとすれば、あなたは神の意志を認めることを拒否しているに違いありません。
神の意志は永遠に不変であるので、揺らぐことありません。
あなたが平安を欠いている時、その唯一の理由は、自分が神の中に在ると信じていないからです。
しかし、神は全ての者の中に在る全てのものです。
神の平安は完全なものなのであり、あなたもその中に含まれているに違いありません。
神の法則は、あらゆるものを司っているので、あなたをも司っています。
あなたはその法則に従わずにいることは出来ても、その法則を免れることは出来ません。
しかし、もしそれに従わないとすると、そして、それに従わない時のみ、あなたは孤独で寄る辺がない気持ちになります
なぜなら、あなたはそうした時は自分自身にあらゆるものを拒んでいるからです。
ACIM-Text- chapter8-4-2
私は、あらゆるものが拒まれているこの世界に、光としてやって来ました。
この世界は、ただそれ自体をあらゆるものから解離させることによって、自らにあらゆるものを拒んでいます。
したがって、この世界とは孤立という幻想であり、それは同様に幻想である孤独感を恐れることにより維持されています。
私は、世の終りまでも常にあなたたちと共に在ると述べました。
だからこそ、私がこの世界の光なのです。
もし、この世界の孤独の中でも、私があなたと共に在るなら、孤独感は消え去ります。
もし、あなたがひとりではないのであれば、孤独感という幻想に維持出来ません。
ということであれば、私の目的はやはり依然として、世に勝つことです。
私はこの世界を攻撃しませんが、この世界の本質ゆえに、それを私の光が必ず一帰します。
光は闇を攻撃することはありませんが、その輝きは闇を消滅させます。
もし、私の光があなたと共にいかなるところにも行くなら、あなたは私と共に光を輝かせ、闇を消滅させます。
その光は私達のものとなり、あなたが行くところには闇が留まれなくなり、あなたも闇に留まることは出来なくなります。
私を思い出すことは、あなた自身を思い出すことであり、そして、私をあなたに遣わした存在を思い出すということです。
ACIM-Text- chapter8-4-3
神の意志が一なる子の一部分によって完全に果たされるまで、あなたは闇の中に居ました。
これが果たされたときは、それは全員によって完全に為し遂げられたのです。
それより他に、どのようにしてそれが完全に為し遂げらるでしょう。
私の使命は、単にわたし自身が父の意志を自覚することにより、ただ一なる子のと父の意志とを一つに結びつけることでした。
私はこうした自覚をあなたに与えるために来ました。
そして、それを受け入れられないというあなたの問題は、この世界の問題です。
それを一帰することが救済であり、この意味において、私は確かに世界の救済です。
したがって、この世界が私を蔑み拒絶せずにはいません。
なぜなら、まさしくこの世界は、愛が不可能であるという信念そのものだからです。
もし、あなたが、私はあなたと共に在るという事実を受け入れるなら、あなたはこの世界を否定し、神を受け入れています。
私の意志は神の意志であり、私に耳を傾けるというあなたの決断は、すなわち神の声を聞き、神の意志の中に留まるとの決断です。
神が私をあなたに遣わしたように、私もあなたを他の者たちへと送り出します。
そして、私はあなたと共にその人たちのもとへ行きます。
そうすれば、私たちはその人たちに平安と融合について教えることが出来るようになります。
ACIM-Text- chapter8-4-4
あなたは自分も平安が必要であるのと同じくらい、この世界にも平安が必要だと思わないでしょうか。
自分に受け取りたいと望むのと同じくらい、その平安をこの世界に与えたいと望まないでしょうか。
というのも、もしそう思わないのでなければ、あなたがそれを受け取ることもないからです。
もし、あなたが私からそれを受け取りたいなら、あなたはそれを与えなければなりません。
癒しとは、他の誰から訪れるのでもありません。
あなたは内なる導きを受け入れなくてはなりません。
その導きは、あなたが望んでいるものでなければなりません。
そうでなければ、それはあなたにとって無意味です。
それ故に、癒しとは共同作業なのです。
私はあなたに何をすべきかを教えることが出来ますが、あなたは、私があなたは何をすべきなのかを知っていると信じて協力しなければなりません。
その時のみ、あなたの心は私に従うことを選びます。
この選択をしていないなら、あなたは癒しに抗う決断をした事になり、私があなたのために決断したことを拒絶する事で癒しが不可能になるので、癒されることは有り得ません。
ACIM-Text- chapter8-4-5
癒しは、私達の意志の共同の意志を反映します。
癒しは何のためのものなのかを考えれば、これは明らかです。
癒しとは分離が克服される方法です。
分離は融合によって克服されます。
分け隔てることによって克服はされません。
一つに結びつこうというこの決断は、迷いの無い決断でなければなりません。
そうでなければ、心そのものが分割されていて、全一でないことになります。
あなたの心は、あなた自身の状況をあなたが決定する際の手段です。
なぜなら、心は決断のメカニズムだからです。
それは、あなたが分離したり一つになったするための力であり、それに伴って苦痛や喜びを経験することになります。
あなたの決断とは、私の決断と同じく強力なものであり、それ故に、私の決断はあなたの決断を覆すことは出来ません。
もし、そうでなければ、神の子たちは対等ではないことになってしまいます。
私達が共同で決断すれば、全てのことは可能ですが、私の決断だけではあなたを助けることは出来ません。
あなたの意志は私の意志と同様に自由であり、そして神自身さえあなたの意志に逆らうことはしません。
神が意志しないこと私が意志することは出来ません。
私は、私の力を差し出して、私はあなたの強さを不屈のものにすることは出来でも、あなたの決断に対抗することは出来ません。
それをすれば、あなたの決断と競り合うことになり、その上、あなたのための神の意志を侵害することになるからです。
ACIM-Text- chapter8-4-6
神の創造されたものであるあなたの決断に対抗できるものは何もなく、同様に神に想像されたもので神の意志に対抗できるものは何もありません。
神があなたの意志にその力を授けたのであり、私に出来ることはただ神の意志を尊重し、その力を認めることだけです。
もし、あなたが私のようでありたいなら、私たちは同じだと知っている私は、あなたを手助けしましょう。
もし、あなたが違ったものになりたいのなら、あなたが心を変えるまで私は待っていましょう。
私はあなたに教えることは出来ますが、私の教えに耳を傾ける選択をするのは、ただあなただけです。
もし、神の王国が自由そのものであるというなら、これ以外の他のことが有り得るでしょうか。
自由は、何らかの圧政によっては学ばれるということは有り得ません。
そして、全ての神の子たちの完全な平等性が、一つの心による他の心の支配を通して認識されることも有り得ません。
神の子たちは全て意志において対等です。
全ての人は、父の意志そのものだからです。
この唯一のものが、私がここに来て教えようとしているレッスンです。
ACIM-Text- chapter8-4-7
もし、あなたの意志が私の意志でないとすれば、あなたの意志は私達の父の意志でもないことになります。
これは、あなたは自分の意志を幽閉してしまって、それを自由にさせていないことを意味します。
あなたは自分だけではまさしく無であり、自分から何もすることは出来ません。
私は父なしには無であり、あなたは私なしには無です。
というのも、父を否定することで、あなたは自分自身を拒否するからです。
私はこれからもいつもあなたを憶えていて、あなたについての私の記憶の中に、あなた自身についてのあなたの記憶があります。
互いついての私たちの記憶の中に、神についての私たちの記憶があります。
そして、この記憶の中に、あなたの自由があります。
なぜなら、あなたの自由は神の中にあるからです。
そうであるなら、私と一緒に、神を賛美し、神に創造されたあなたを賛美しなさい。
こうすることが、神に捧げる私たちの感謝の贈り物です。
神自身にとって好ましいものであれば何でも平等に創造したものたちに与える神は、その贈り物をその全員と分かち合います。
それが神にとって好ましいものであるので、自由という贈り物であり、それが全ての神の子たちのための神の意志です。
自由を差し出すことによって、あなたは自由になるでしょう。
ACIM-Text- chapter8-4-8
自由とは、神の子たの本性と神の本性を認めることであり、神の子たちにあなたが差し出せる唯一の贈り物です。
自由とは愛であるので、それはすなわち創造です。
あなたが誰かを幽閉するなら、あなたはその人を愛してはいません。
したがって、あなたは、自分自身を含む誰かを幽閉しようとする時、愛することは出来ず、一体感を持つことは出来ません。
自分自身を幽閉する時、あなたは自分が私と同一であり、また父とも同一であるという真の自己認識を見失っています。
あなたの自己認識は父と子の同一性の認識です。
一方と同一化し、もう一方とは同一化しないということは有り得ません。
両者は一なる者であるから、あなたは一方の一部なら、もう一方の一部でもあるはずです。
聖なる三位一体が聖なるものであるのは、まさしくそれが一なるものだからです。
もし、あなたがこの融合からあなた自身を除外すると、あなたは聖なる三位一体を分離したものだと知覚していることになります。
聖なる三位一体は全てであるので、あなたはその三位一体の中に含まれているに違いありません。
あなたがそれの中で自分の持ち場を引き受けて、それの一部としての自分の機能を果たさない限り、聖なる三位一体の何かが欠けたものとなります。
聖なる三位一体の真理を知られるためには、それのどの部分も幽閉されてはならないのです。
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