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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第8章 「帰還への旅」8-8本文
第8章8-8 手段もしくは目的としての身体
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身体に対する態度は、攻撃に対する態度でもあります。
何ごとにつけ、自我による定義は、常に幼稚なうえに、自我がそれを何のためものもだと信じているかに基づいています。
この理由は、自我には真に普遍化するための能力がなく、自分が見るものを自分がそれに付与する機能そのものと同一視するからです。
自我は、それをその本質と同一視することはありません。
自我にとっては、身体とは攻撃のための手段です。
あなたを身体と同一視している自我は、あなた自身がまさしく攻撃の手段だと教えます。
ということは、身体の健康の原因は身体ではないということになります。
身体の状態は、身体の機能についてあなたがどう解釈するかにかかっています。
機能というものは実在から生じるため実在の一部ではありますが、その関係の逆は成り立ちません。
全体は部分を定義しますが、その部分が全体を定義することはありません。
けれども、叡智と知覚の間にある根本的な違い故に、一部分が分かるとは全部分かるということです。
知覚においては、全体は様々な部分から成り立っており、それらは分離したり、様々な異なった配置で再編成されたりすることが可能です。
しかし、叡智は決して変わることがなく、したがってその配置は永久不変です。
部分と全体の関係についての考えが意味を持つのは、ただ変化が可能な知覚のレベルにおいてだけです。
それ以外のレベルでは、部分と全体との間に何の相違もありません。
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身体は、それを所有しようと戦う二つの声を含んでいるかに見える世界の中に存在しています。
このように知覚されている配置においては、身体は一つのものから別のものへと忠誠を移し変える能力のあるものと見られており、それによって健康と病気という概念が意味あるものなっています。
自我は、常に手段と目的とを根本的に混同しています。
身体を目的と見なしてはいる自我には、身体は目的ではないので、肉体の真の使い道がありません。
自我が受け入れた目的には、そのどれをもが顕著に示しているひとつの特徴について、あなたはすでに認識しているに違いありません。
すなわち、あなたがそうした目的を達成した時、その目的はあなたを満足させてくれなかった、という特長です。
それ故に、あなたが「自我が自分にまだ何かを差し出してくれるかもしれいない」と望み続けられるように、自我は絶えず、あるゴールから次のゴールへと移行することを余儀なくされています。
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今まで、身体が目的だと信じる自我の信念を乗り越えることは、特に難しいことでした。
というのも、それは攻撃を目的だと信じる信念と同じことを意味するからです。
自我は、病気に多大なる思い入れを与えています。
もし、あなたが病気だったら、「あなたは傷つき得ないものではない」という自我の断乎たる信念に、あなたが意義を唱えることが出来るはずがありません。
これは自我の観点からは、魅力的な論証です。
なぜなら、それは病気の根底に潜んだあからさまな攻撃を覆い隠してしてくれるからです。
もし、あなたがこれに気付いてしまい、さらに攻撃に反対すると決断してしまったなら、あなたは自我の証人席にこの偽りの証人を立たせることは出来なくなります。
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病気を偽りの証人だと知覚するのは困難です。
というのも、病気とは自分の望んでいるものには全然一致していないということに、あなたが気づいてないからです。
したがって、このような証人は純真無垢で信頼できるように見えますが、それはあなたが真剣にその証人に反対質問を行なったことがないからです。
もしそうしていたならば、あなたが病気を、自我の見解を代表する力強い証人とは見なさないでしょう。
さらに正直に言えば、自我を望む者たちはあらかじめ自我を防衛しようとする傾向があります。
したがって、その者たちが選ぶ証人は最初から疑わしいのです。
自我は、自らの言い分に同意しない証人は喚問ぜず、それは聖霊も同様です。
私が既に述べた通り、審判は聖霊の機能であり、それは聖霊が完璧に果たす用意が出来ている機能です。
裁判官として自我が下す判決は、公平な判決とはほど遠いものです。
自我は、証人を喚問する時には、既にその証人を自分の同盟者にしてしまっているからです。
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身体にはそれ自体では何の機能もないというのは、依然として真実です。
身体が目的ではないからです。
しかし、自我は肉体を目的として確立します。
なぜなら、そうゆうことにしておけば、身体の真の機能は覆い隠されるからです。
これが自我が行うあらゆることの目的です。
それの唯一の狙いは、全てのものの機能を見失うことです。
病気の身体は何の意味もなしません。
それが意味をなすはずがない理由は、身体とは病気のためにあるものではないからです。
病気が意味をなすのは、身体についての自我の解釈の土台となる二つの基本的な前提が真実である場合のみです。
その前提とは、身体は攻撃のためにあるという事と、あなたは身体であるということです。
このような前提なしには、病気は思いつくことさえ出来ないものです。
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病気は、あなたが傷つけられることが可能であるという事を実証する一つの方法です。
それは、あなたの脆弱さや傷つきやすさを証明し、あなたが外側からの導きに頼ることを極度に必要としている事を証言するものです。
自我はこれを、あなたが自我の導きを必要としていることを最高の論証として使います。
自我は、破滅的な結末を避けるための無数の処方箋を口述します。
聖霊は、その同じ状況を完全に自覚しながら、それをわざわざ分析するようなことは一切しません。
もし、データー自体が無意味なら、そのようなものを分析しても無駄です。
真理の機能とは、真実の情報を集めることです。
誤りに対処するどんな方法も、それが行きつく結果は何にもなりません。
そのような結果が複雑になればなるほど、その虚無性を認識する事は困難になるでしょう。
しかし、それらを真に判断するためには、そうした前提から導き出される可能性のある全ての結果を検討する必要はありません。
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学びの手段は教師ではありません。
それは、あなたがどう感じているかを、あなたに教えることは出来ません。
あなたは、自我の混乱を受け入れてしまったので、自分がどう感じているのかが分からなくなっています。
したがって、あなたは自分がどう感じているかを学びの手段が自分に教えることが可能だと信じています。
病気とは単に、あなたが答を知らない教師に執拗に導きを求めていることを示す、もう一つの実例に過ぎません。
自我にはあなたがどのように感じているかを知る能力はありません。
私が自我は何一つ知らないと言った時、私は自我について全面的に真実である唯一のことを言ったのです。
しかし、このことから導き出される当然の結論が一つあります。
それは、もし叡智にのみ実存があり、自我には叡智がないとすれば、自我には実存はない、という結論です。
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存在しない何かの声が、どうしてそのように執拗で有り得るのかと、あなたが尋ねるのも無理はありません。
あなたは、たとえその何かが実在しないものでも何か自分望んでいるものには歪曲する力を伴っている、ということについて考えたことはないでしょうか。
あなたが望んでいるものがいかに知覚を歪めるかについては多くの実例があります。
虚偽の申し立てを構築する自我の手腕については、誰も疑いようがありません。
その上、それに耳を傾けようとするあなたの意欲について、あなたが真理以外のものは何も受け入れないことを選択するまでは、誰も疑うことは出来ません。
あなたが自我を脇に退ける時、そのようなものは消えてなくなります。
聖霊の声の大きさは、それに耳を傾けようとするあなたの意欲に比例しています。
その声があなたの選択の自由を無視してまで大きくなることは有り得ません。
聖霊はその自由を回復させようと努めているのであり、決してそれを損なおうとしているのではありません。
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聖霊があなたに教えているのは、ただ兄弟たちに到達するという目的のためにのみ、自分の身体を使うということです。
そうすれば、あなたを通して聖霊がそのメッセージを教えることが出来るようになります。
こうすることがその人たちを癒すことになり、したがって、あなたをも癒すことにもなります。
何であれ聖霊がそこに見ている通りの機能に従った形で使われたなら、それが病気になることは有り得ません。
それ以外の形で使われたものは、ことごとく病気です。
身体は、分裂した心を映し出す鏡としてはなりません。
身体は、あなた自身が知覚している卑小さを表す形象としてはなりません。
攻撃しようというあなたの決断を、その身体に反映させてはなりません。
健康があらゆるものの自然な状態と見なされるのは、聖霊に解釈を任されている時であり、健康はいかなるものにも攻撃を知覚しません。
健康とは、愛のないまま身体を使おうとする全ての試みを放棄したことの結果です。
健康であるとは、生命についての正しい見方の始まりであり、自らが生命そのものを代弁する声として生命とは何かを分かっている唯一の教師によって導かれる見方です。
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