奇跡講座テキスト編8章8-2 幽閉と自由との違い

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第8章 「帰還への旅」8-2本文

 

第8章 8-2  幽閉と自由の違い

ACIM-Text- chapter8-2-1

選択のための理論的根拠は確かにあります。

ただ一方の教師だけが、あなたの実相が何なのか分かっています。

もし、その叡智への妨げとなるものを取り除くために学ぶことがカリキュラムの目的だとすれば、あなたはその教師からそれを学ばなくてはなりません。

自我は、自らが何を教えようとしているのか分かっていません。

自我は、あなたが何なのかを分からないのにも関わらず、それをあなたに教えようとしています。

自我が得意としているのは混乱のみです。

それ以外のことは何一つ理解していません。

したがって、教師として、自我は全く混乱しており、混乱をもたらすだけです。

聖霊を完全に無視することは不可能ですが、たとえあなたが聖霊を完全に無視できたとしても、自我は何も分かっていないので、あなたはやはり自我からは何も学ぶこと出来ません。

 

ACIM-Text- chapter8-2-2

このような教師を選ぶべき理由が何かあるでしょうか。

自我が教えることは何であれ完全に無視することこそ、理に適っているのではないでしょうか。

これが、神の子が自分自身を見いだすの頼るべき教師でしょうか。

自我はいまだかって、どんなことについても、分別のある答えをあなたに与えたためしがありません。

自我の教えについてあなた自身が経験してきたことに基づいても、自我はこれからのあなたの教師としては失格にならないでしょうか。

しかし、自我があなたの学びに及ぼしている弊害はこれだけにとどまりません。

学びというものは、あなたの自然な道に沿ってあなたを導き、あなたの持っているものの発現を助ける場合には、喜びに満ちたものになります。

しかし、あなたの本質に反することを教えられる時には、学びによってあなたが囚われの身にされてしまうので、あなたは学ぶことによっては損失さえ被ることになります。

あなたの意志はあなたの本質の中にあるのは確かであり、したがって、あなたの本質には逆らうことは出来ません。

 

ACIM-Text- chapter8-2-3

あなたの意志が自由である限り、あなたが自我に耳を貸さない以上、自我はあなたに何も教えることは出来ません。

あなたの意志は自由であるので、幽閉されることはあなたの意志ではありません。

それ故に、自我とは自由意志の否定そのものなのです。

あなたを強制する存在は、神では絶対にありません。

なぜなら、神は神自身の意志をあなたと共有しているからです。

神の声は、ただ神の意志と一致して形でしか教えることはありませんが、神の意志こそあなたの本性そのものなので、神の意志そのものは聖霊が教えることはありません。

聖霊が教えるのは、あなたの意志と神の意志とは一つのもので、それらが調和していないということは有り得ないというレッスンです。

こうしたことは、自我が教えようとする事をことごとく取り消すことに他なりません。

では、カリキュラムの方向だけでなく、その内容自体も同様に、葛藤がないものとなるべきです。

 

ACIM-Text- chapter8-2-4

自我は、あなたが神の意志に反対することを望んでいる、と教えようとしています。

この不自然なレッスンは学びようのないものです。

そして、それを学ぼうと試みは、あなた自身の自由の侵害です。

それによって、あなたは自分の意志は自由だからこそ、その意志に対して恐れを抱くようになります。

聖霊は、神の子の意志は父である神の意志でもあると分かっているため、神の子の意志をいかなる形であれ幽閉することに反対します。

聖霊は着実にあなたを自由の道に沿って導き、あなたを引き止めようとするものをことごとく無視または看過するにはどうすればいいか、それを教えてくれます。

 

ACIM-Text- chapter8-2-5

聖霊はあなたに苦痛と喜びとの違いを教える、と私たちは既に述べました。

それは、聖霊が幽閉と自由との違いをあなたに教えると言うのと同じです。

聖霊がいなければ、あなたはこの分別ができません。

というのも、あなたは幽閉状態が自由だと自分自身に教えていたからです。

両方とも同じものだと信じるなら、どうしてそれらを見分けられるでしょうか。

あなたは、それらが同一だと信じるようにとあなたに教えた自分の心のある部分に、どちらがどう違っているかを教えてくれるよう頼めるでしょうか。

 

ACIM-Text- chapter8-2-6

聖霊の教えはただ一つの方向にだけ向かい、ただ一つのゴールだけを目指します。

聖霊の方向とは自由に向かい、聖霊のゴールとは神です。

けれども、聖霊はあなたを除いた神というものは思い描くことは出来ません。

あなた無しに存在することは神の意志ではないからです。

あなたが、自分の意志は神の意志であると学んだ時には、神があなた無しで存在することを意志できないように、あなたも神無しに存在しようと意志することは出来なくなります。

これが自由であり、これが喜びです。

これを自分自身に拒むとしたなら、あなたは神に対して神の国を拒んでいることになります。

神はこの事のためにあなたを創造したからです。

 

ACIM-Text- chapter8-2-7

「全ての力と栄光はあなたのものであるのは、神の国は神のものだからです。」と私が述べた際に意味していたのは、「神の意志には限りがなく、全ての力と栄光はその中にある」ということです。

それは、強さにおいても、愛においても、平安においても、限りないものを宿しています。

その拡張に限りがないので、それに境界などなく、それがあらゆるものを創造したので、あらゆるものを包み込んでいます。

全てのものを創造することによって、それは創造された全てのものをそれ自体の一部としました。

このようにしてあなたは創造されたので、あなたが神の意志そのものなのです。

あなたの創造主はただご自身と同質なものを創造するので、あなたは創造主と同質です。

あなたは全ての力と栄光である存在の一部であり、したがって、その存在と同様に限りないものです。

 

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神の国を元通りにさせるために、聖霊は全ての力と栄光、それ以外の何に向かって訴えられるでしょうか。

では、聖霊は単に、神の国そのものに対し、それ自体の本性を認めるようにと訴えているに過ぎません。

あなたがこれを承認するなら、あなたは自動的にその認識を全ての人にもたらすことになります。

なぜなら、あなたは確かにすべての人を認めたことになるからです。

あなたは、自分の認識によってその人たちの認識も目覚めさせ、その人たちの認識を通してあなたの認識が拡張されます。

目覚めは、神を代弁する呼びかけに応えて、神の国の中に楽々と喜び勇んで駆け抜けます。

これこそ、神の子の創造主を代弁する声に対して、神の子ひとりひとりが示す自然な応じ方です。

なぜなら、それは、神の子の被造物たちと、自身の拡張を代弁する声でもあるからです。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第8章 「帰還への旅」目次

8-1  カリキュラムの方向

8-2  幽閉と自由の違い

8-3  神聖な出会い

8-4  自由という贈り物

8-5  一なる子の分割のない意志

8-6  神の宝

8-7  コミュニケーション手段としての身体

8-8  手段もしくは目的としての身体

8-9  訂正された知覚としての癒し 

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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