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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第28章「恐れの取り消し」28-5本文
第28章28-5 恐れの夢に代わるもの
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病気の感覚とは、制限の感覚以外の何でしょうか。
分裂し、分離するという感覚以外の何でしょうか。
そして、またそれは、あなたと兄弟の間、およびあなたと今は健康と見なされている状態との間に知覚されている隔たり以外の、何でしょうか。
それゆえに、善なるものは外側にあるように見え、邪悪なものは内側にあるように見えています。
こうして、病気は善なるものから自己を分離させ、邪悪なもの内側に保持します。
神は恐れの夢に代わる存在です。
恐れの夢を分かち合う者は、決して神を分かち合うことは出来ません。
しかし、恐れの夢を分かち合うことから自分の心を退ける者は、神を分かち合います。
これ以外の選択肢はありません。
どのようなものであれ、あなたがそれを分かち合わなければ、存在出来ません。
そして、あなたが存在するのは、神がご自身の被造物にも創造する事が出来るようにと、ご自身の意志をあなたと分かち合ったからです。
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憎悪や悪意、苦渋や死、罪や苦しみ、それに苦痛や損失といったものについての邪悪な夢は、それらを分かち合う事で実在化されます。
分かち合われなければ、それらは無意味なものとして知覚されます。
あなたがそれらのものを支えなかったので、恐れはそれらのものから去っています。
恐れが消えた場所には、必ず愛が生じます。
この二つの選択肢だけしか存在していないからです。
一方が現われると、もう一方は消え去ります。
そして、あなたが分かち合うものだけが、あなたが所有するものとなります。
あなたは、自分が受け入れるものを所有します。
なぜなら、それだけがあなたが持っていたいと願うものだからです。
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もし夢見る者を 赦し、その人はその人自身が作り出した夢そのものではないと知覚るならば、あなたが邪悪な夢を分かち合うことはありません。
したがって、その人はあなたの夢の一部になる事は出来ず、あなた達二人ともあなたの夢から自由になります。
赦しは、夢見る者を邪悪な夢から引き離し、そうすることによってその人を解放します。
覚えておくべき事は、もしあなたが邪悪な夢を分かち合うなら、あなたは自分が自分の分かち合っているその夢そのものだと信じる事になるということです。
そして、その夢を恐れて、あなたは自分自身のアイデンティティーを知りたいとは思わなくなります。
なぜなら、あなたはそれが恐ろしいものだと考えるからです。
そうして、あなたは自分の自己を否定します。
そして、あなたの創造主が創ったのではない異国で、あなたはあなたではない何かに見える場所を歩く事になります。
あなたは、自分の敵のように見える自らの自己に戦いを挑もうとし、自分が憎んでいるものの一部であるとして、自分の兄弟を攻撃するでしょう。
妥協は存在しません。
あなたはあなたの自己か、それとも一個の幻想か、そのどちらか一方でしかありません。
幻想と真実の中間に、何があり得るでしょうか。
あなたがあなたではない何かであり得る中間の場とは、夢であるに違いなく、真実であるはずがないのです。
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あなたは自分の安全の全てがある場所として、また、自分の自己が自分の作り出したもので安全に隠される場所として、幻想と真実の間の小さな隔たりというものを思いつきました。
ここに病んでいる世界が築かれていて、これが 身体の眼が知覚する世界です。
ここに 身体に聞こえる音があり、 身体の耳が聞くようにと作り出された声があります。
しかし、 身体が知覚できる光景や音など無意味です。
身体には、見ることも聞くことも出来ません。
そもそも見るとはどういうことか知らず、聞くとは一体何のためのものなのかも分ってはいません。
身体は判断したり理解したり知ったりする事ができないのと同様、ほとんど知覚する事も出来ません。
その目は見えなくなっていて、その耳は聞こえません。
それは考える事も出来ず、したがって結果をもたらす事も出来ません。
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神が創造したもので、病気になるものなどあるでしょうか。
そして、神が創造しなかったもので、存在できるものなどあるでしょうか。
あなたの目に夢を見させてはなりません。
あなたの耳に幻想を証明させてはなりません。
それらは、存在していない世界を見たり、音を出せない声を聞いたりするように作り出されたからです。
しかし、見る事も、聞く事も、理解する事も出来る別な音や光景が存在します。
なぜなら、目や耳は判断力を持たない感覚であり、見るもの、聞くものをただ報告するだけだからです。
聞いたり見たりするのは耳や眼ではなくあなたであり、あなたが不揃いな断片や、無意味な証拠の破片や切れ端を一つひと集めて、自分が望む世界を証明するものを作り上げるのです。
身体の耳や目に、あなたが想像した隔たりの中に見える無数の破片を知覚させてはなりません。
そして、それらの断片が、それらの作り主に対抗し、その人が想像したものは実在すると説得するような事をさせてはなりません。
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被造物は、全ての被造物が分かち合う機能を分かち合っているがゆえに、実相を証明します。
というのも、それは、真実性を説明するために寄せ集められた小さなガラスの破片や材木の切れ端や何本かの糸で出来ているようなものでありません。
実相は、こうしたものに依存してはいません。
真理を夢や幻想から分離させる隔たりというものは存在しません。
真理は、いかなる場にも、いかなる時にも、夢や幻想のための余地を残してはいません。
なぜなら、真理はありとあらゆる場所とありとあらゆる時間を満たし、それらを完全に不可分なものにするからです。
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自分と兄弟の間に僅かな隔たりがあると信じているあなたは、自分達がこの隔たりにおいて、ここに確かに存在しているように知覚される世界の中の囚人となっているという事が見えていません。
あなたの見ている世界は存在しません。
それは、あなたが世界を知覚している場所が実在していないからです。
その隔たりは霧の中に注意深く隠蔽され、そこにおぼろげな映像が浮かび上がり、永遠に実質がなく不確かなつかみどころのない形態や変わりゆく形状をもって被い尽します。
しかし、隔たりの中には何も存在しません。
そこには、恐ろしい秘密や、死骸から恐怖が立ちのぼるような暗い墓穴もありません。
その僅かな隔たりを見据えなさい。
そうすればあなたは、愛を認識することを恐れなくなった時に自分自身の中に見えてくる無垢性と罪の空虚さを、そこに見る事になります。
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