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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第28章「恐れの取り消し」28-7本文
第28章28-7 安全な箱舟
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神は何も求めません。
そして、神の子も神と同様に、何も求める必要はありません。
神の子の中にはいかなる欠乏もないからです。
何も無い空間や僅かな隔たりとは、一つの欠陥です。
そしてそこでのみ、彼は自分の持っていない何かを求める事があり得ます。
神が存在しない空間とか、父と子との間の隔たりというものは、一なるものである事を約束した父と子のどちらの意志でもありません。
神の約束はご自身に対する約束であり、神の本質の一部である者としてとして、誰一人として神が意志すること対して不実にはなれません。
神ご自身と神の本質との間にはいかなる隔たりもないという約束が、偽りであるはずがありません。
一つでなければならないものと、いかなる隔たりも含まない全一性を持つものとの間に、一体どのような意志が割り込む事が出来るでしょう。
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あなたとあなたの兄弟全員との美しい関係は、神ご自身の一部であるがゆえにあなたの一部です。
もしあなたが自分に全一性や健康を拒み、助けの源や癒しへの呼び掛けや癒そうという呼び掛けを拒否するとすれば、あなたは病気なのではないでしょうか。
あなたの 救済者は癒しを待っており、世界もその人と一緒に待っています。
それに、あなたもそこから離れていません。
なぜなら、その一体性こそが癒しの在処であるため、癒しは一なるものであるか、全く存在しないか、そのどちらかでしかないからです。
分離を訂正できるのは、分離の反対のもの以外の何でしょう。
救済のどの側面にも、その中間の場というものはありません。
それを全一に受け入れるか、それとも全く受け入れないか、そのどちらかです。
分離していないものは必ず一つにつながっています。
そして、つながっているものが分離している事はあり得ません。
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あなたと兄弟の間に隔たりがあるか、それとも、あなた達は一なるものであるか、そのどちらかです。
その中間はなく、他の選択肢もなく、この二つの間で分割して捧げられるような忠誠はありません。
二つに分割された忠誠は、ただ両方に対する不信に他ならず、それによりあなたは確信のないまま、安心を与えてくれそうなものならどんな藁くずでも掴もうとして、空回りするだけです。
しかし、いったい誰が藁の上に自分の家を建てて、それを暴風から身を守ってくれる避難所として頼りに出来るでしょうか。
身体をそのような家にすることはできます。
なぜなら、 身体には真理における土台がないからです。
とはいえ、そうであるからこそ、それはあなたの住む家ではなく、ただ神の住む家にあなたが達するのを助けるものでしかないと見なすことが出来ます。
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これが目的となる時、 身体は癒されます。
それは、分離と病気の夢を証明するためには使われません。
また、それがしなかった事ついて、意味もなく責められたりしません。
それは、神の子の癒しを手伝うために働きます。
この目的のためであれば、 身体が病気になる事はあり得ません。
身体はあなた自身のものではない目的に加わる事もないものであり、しかもあなたはそれが病気にならないことという選択を下しています。
全ての奇跡はこの選択に基づいており、この選択がなされた瞬間にあなたに与えられます。
どういった形をした病気であっても、これを免れる事は出来ません。
なぜなら、その選択は形という観点から下される事はあり得ないものだからです。
病気の選択は形の選択のように見えますが、病気もその反対のものと同じように、ひとつのものです。
そしてあなたは、選択に応じて、病気か健康かのどちらかとなります。
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しかし、決してあなたは一人でそうなるのではありません。
この世界は、あなたが一人で居る事ができ、自分から離れている者たちに何の影響も及ぼしたりすることなく思考できるという、夢に過ぎません。
あなたは病気である以外にありません。
このことは、あなたが離れているに違いないとということを証明するかのように見えます。
しかし、それが意味している事は、ただあなたが不信に対して忠実でいるという約束を守ろうとしたという事だけです。
しかし、不信とは病気です。
それは、藁の上に建てられた家のようなものです。
それ自体は極めて頑丈で実体のあるものに見えます。
しかし、その安定性は、その土台を抜きにして判断することは出来ません。
もしそれが藁の上に立っているのなら、扉にかんぬきをかけたり、窓の鍵をかけたり、ねじ釘を固く締めたりする必要はありません。
それは風が吹けば倒壊し、雨が降れば流されて忘れ去られるでしょう。
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危険や恐れのために作り出されたものの中で安全を求める事に、何の意味があるのでしょうか。
その家の弱さが、それ自体にではなく、それが立脚している虚無という小さな隔たりの虚弱さにあるという時に、どうしてわざわざ錠前や重たい支えをもっと取り付けたりするのでしょう。
影の上に立っていて安全なものなどあるでしょうか。
あなたは一枚の羽の重みで潰れてしまうようなものの上に、自分の家を建てたいでしょうか。
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あなたの家は、あなたの兄弟の健やかさと幸福と、無罪性と、そして父がその人に約束したもの全てに基づいて建っています。
その代わりにあなたが交わした秘密の約束は、どれ一つとしてその人の家の土台を揺るがしたことはありません。
風が揺さぶられ、どしゃ降りの雨にたたきつけられても、びくともしません。
たとえ世界が押し流されたとしても、この家は永久に立ち続けます。
なぜなら、その強さはその中にだけあるのではないからです。
それは安全の箱舟であり、神の子は神ご自身の中で永遠に安全であるという神の約束に支えられています。
この避難所の安全性とその源との間に、いったいどんな隔たりが入り込めるでしょうか。
ここからなら、 身体をその本質の通りに見る事が出来ます。
すなわち、神の子を自由にして家に帰らせるために使用できる度合いに応じた価値があり、それ以下でもそれ以上でもないものとして眺められます。
そして、この神聖な目的を持つ時、 身体は父の意志をあなたと分かち合うので、しばらくの間、聖性の住む家となります。
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