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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第28章「恐れの取り消し」28-2本文
第28章28-2 結果と原因の逆転
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原因がなければ結果は有り得ません。
しかし、結果がなければ原因は存在しません。
原因が原因となるのはその結果によります。
父は子がいるが故に父なのです。
結果は自らの原因を創造することはありませんが、その因果関係を確立します。
すなわち、子は創造主に父性を与え、自らが創造主に与えた贈り物を自分にも受け取ります。
その人は神の子であるからこそ、自らもまた、神が神の子を創造したように創造する父とならずにはいません。
創造の輪に終わりはありません。
その始まりと終りは同一です。
しかし、その輪はそれ自体の内に全ての被造物からなる宇宙を保持していて、それには始まりもなければ終わりもありません。
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父性とはすなわち創造です。
愛は拡張されずにはいません。
清らかさは封じ込められません。
防御も制限も持たず、永遠に封じ込められずにいる事が無垢なる者たちの性質です。
従って、清らかさは 身体に属するものではありません。
また、制限のあるところに見出されるものでもありません。
身体は、清らかさの結果によって癒され得ます。
そして、清らかさの結果は、清らかさそのものと同じく制限のないものです。
しかし、全ての癒しが起こるのは、心は 身体の中にあるのではなく、心の無垢性は 身体とは全く別のところ、すなわち、全ての癒しが存在するところにあると認識される事に因ります。
では、癒しはどこにあるのでしょうか。
それは、その原因にその結果が与えられるところだけにあります。
というのも、病気とは、原因のないものに結果を与え、それを原因にとしようとする無意味な企みだからです。
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病気になっている時は常に、神の子は自分自身を原因にしようとしていて、父の子として存在する事を自分に容認していません。
この不可能な願望の為に、その人は自分が愛の結果であり、自らの本性故にその人自身が原因であるはずだという事を信じません。
癒しの原因は、あらゆるものの唯一の原因でもあります。
それには一なる結果があるだけです。
そして、それが認識される時には、無因性には何の結果も与えられず、何一つ結果が見られなくなります。
身体の中に存在する心や、分離した心を持ついくつもの他の 身体からなる世界というものはあなたの「被造物」であり、そこでは、「他の」心となっているあなたが、自分とは異質の結果を生むような創造をしています。
そして、そうしたものの「父」として、あなたもそれらと同質のものにならざるを得ません。
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あなたは自分自身を眠らせて、自分が自分自身に対して異邦人となり、誰か別な者の夢の一部に過ぎないものになったという夢を見たのであり、それ以外には全く何も起こっていません。
奇跡はあなたを目覚めさせるのではなく、夢を見ている者とは誰なのかをあなたに教えるに過ぎません。
あなたがまだ眠っている間でも、何を目的として夢を見るかで夢を選択できるという事を奇跡は教えてくれます。
癒しの夢か、それとも死の夢か、あなたはどちらの夢を望むでしょうか。
夢は、あなたが見せて欲しいと思っているものを描き出すという点において、記憶と同じです。
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扉が開け放たれた空っぽの蔵が、あなたの記憶や夢の断片が収められている場所です。
それでも、あなたが夢を見ている者であるなら、少なくともあなたは次の事だけは知覚します。
すなわち、自分がその夢を引き起こしたのだから、自分は別の夢を受け入れる事も出来る、ということです。
しかし、夢の内容をこのように変える為には、気に入らない夢を見ていたのは他でもなく自分だという事を理解しなくてはなりません。
それはあなたが引き起こした結果に過ぎません。
それでいて、あなたはこの結果の原因にはなりたくないと思っています。
殺害と攻撃の夢の中では、あなたは殺されて死んでいく 身体の中にいる犠牲者です。
しかし、 赦しの夢の中では、誰一人として犠牲者や受難者となる事を求められません。
こうした夢が、奇跡があなた自身の夢と交換してくれる幸せな夢です。
奇跡はあなたに別の夢を作り出すように求めはしません。
ただ、この幸せな夢と交換したいと思うような夢を作り出したのはあなた自身だという事を理解するように求めるだけです。
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この世界は無因のものであり、世界の中で誰が見たどの夢も全て、同様に無因のものです。
どのような計画も不可能であり、見出され理解され得るような構想も全く存在しません。
何の原因もないものから、これ以外の何を期待できるでしょう。
しかし、それに何の原因もないとすれば、それには何の目的もない事になります。
あなたは夢を引き起こす事はあるかもしれませんが、決してその夢に実在性のある結果を与えることはありません。
なぜなら、そうする事はその原因を変化させるということであり、それはあなたに出来る事ではないからです。
夢を見ている者は目を覚ましてはいませんが、自分が眠っている事も知りません。
その人は自分が病気だったり健康だったり、あるいは落胆していたり幸福だったりする夢を見ますが、それには結果が保証される安定した原因はありません。
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奇跡は、あなたが夢を見ているという事、そして、その内容は真実ではないということを確立します。
これは、幻想に対処するにあたっての決定的な一歩です。
自分で幻想を作り出したと知覚している時、誰もそれを恐れません。
恐れがしっかりと保持されていた理由は、自分が夢の作者であって夢の中の登場人物ではないという事が、その人には分からなかったからです。
その人は、自分が兄弟に与えたと夢の中で思っている結果を、自分自身に与えています。
そしてこれこそが、その人の願いが叶えられたという事を示す為に、その夢が寄せ集めてその人に差し出したものに他なりません。
こうして、その人は自分自身からの攻撃を恐れているのですが、それを他者の手の内に見ています。
その人は犠牲者として、その結果に苦しんでいますが、それの原因には苦しみません。
その人は自分自身に対する攻撃の作者ではなかったので、自分が引き起こしたものに関して無罪潔白という事になります。
奇跡は、その人が何もしなかったということをその人に明示する以外には何もしません。
その人が恐れているのは、原因を原因とする事になる結果をもたないような原因です。
従って、それは一度も存在した事のないものです。
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分離は、父がご自身の結果たちを奪われたという夢と共に始まりました。
そしてそれは、もはや神の子の創造主ではなくなった為に、父はその人たちを保持する力を持たなくなったという夢でした。
この夢の中では、夢を見る者が自分自身を作り出しました。
しかし、夢を見る者自身がしたのと同じように、その人が作り出したものはその人に反旗をを翻し、自らの創造者としての役割を果たすようになりました。
そして、その人が自分の創造主を憎んだように、その夢の中の人影たちはその人を憎みました。
その人の 身体はその人たちの奴隷であり、それをその人は虐待します。
なぜなら、その人が 身体に与えた動機を、その人たちも自分自身のものとして採用したからです。
そして、その人の 身体がその人たちにもたらす報復の為に、その人たちはその人の 身体を憎みます。
その人の 身体に対してその人たちが与える報復が、夢を見ている者が夢の作り主ではあり得ないと証明するかのように見えます。
結果と原因がまず切り離され、そのあと逆転させられ、こうして結果が原因となり、原因が結果となるのです。
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これが分離の最後の段階であり、ここから、それとは逆方向に進む 救済が始まります。
この最後の段階は、それに先行した事柄の結果であるが、それが原因のように見えています。
奇跡は、原因となるという機能を、結果ではなく原因に変換する事における最初の段階です。
というのも、この混乱が夢を作り出したからであり、それが続く間は、目覚めが恐れられるからです。
また、目を覚ますようにとの呼びかけも聞かれる事はないでしょう。
それが、恐れよという呼びかけのように思えるからです。
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聖霊があなたに学ぶように薦めるレッスンがどれもそうであるように、奇跡も明確なものです。
奇跡は、 聖霊があなたに学ばせようとしていることを実際にやって見せ、その結果があなたが望んでいるものである事をあなたに示します。
聖霊の 赦しの夢の中で、あなたの夢の結果は取り消され、憎んでいた敵が厚意ある友と知覚されます。
その人の敵意は今や無因のものと見なされます。
なぜなら、その人たちはそれを作り出さなかったからです。
そして、あなたはその人たちの憎しみの作り主という役割を受け入れる事が出来ます。
なぜなら、それが何の結果も生んでいないという事が分かるからです。
今や、あなたは次の部分だけは夢から自由になっています。
すなわち、この世界は中庸となり、未だに個別のものとして行動するかのように見えている 身体は恐れる必要のないものとなっています。
従って、 身体は病気ではなくなっています。
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奇跡は、恐れの原因を、恐れを作り出したあなたのもとに返還します。
しかし、奇跡はまた、それは結果を生んでいないが故に原因ではないことも示します。
なぜなら、原因となる機能とは、結果を生む事だからです。
そして、結果がなくなっているところには、原因は存在しません。
こうして、 身体は奇跡によって癒されます。
それは、心が病気を作り出した事、そして 身体を、心自身が作り出したものにより被害を被るもの、すなわち結果とすべく用いたという事を、奇跡が教えるからです。
しかし、レッスンの半分がその全体を教える事は出来ません。
もし、あなたが、 身体が癒され得るという事だけを学ぶのであれば、奇跡は無益です。
なぜならそのようなレッスンを教える為に奇跡が送り出されたわけではないからです。
レッスンは、 身体が病気になり得ると考えた心こそが病んでいたという事、そしてその心による罪悪の投影は何かの原因になったことはなく、何の結果ももたらさなかったという事です。
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この世界は奇跡に満ちています。
一つひとつの痛みと苦しみの夢や罪と罪悪の夢のすぐ傍らには、奇跡が静けさの中で輝いています。
奇跡は夢に代わるもう一方の選択肢であり、自分が夢を作り出す上で果たしている積極的な役割を否定するのではなく、夢を見る者でいるという選択をする事です。
奇跡は、病気という結果を、その原因のもとに返還することによって得られる喜ばしい結果です。
心が「こうしたことは私に対してなされているのではなく、私自身がこれをしている」と認めるからこそ、 身体は解放されます。
このようにして心は、代わりに別な選択をする自由を得ます。
ここに始まった 救済は、分離へと下降してきた一段一段のプロセスを変更していき、ついには全ての段階を溯って梯子を消し去り、世界の全ての夢を取り消すでしょう。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編第28章「恐れの取り消し」目次