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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第28章「恐れの取り消し」28-4本文
第28章28-4 大いなる結び付き
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贖罪を自分自身に受け入れるとは、誰かが見ている病気や死の夢を支持しないという事を意味します。
それは、分離し、幻想を自分自身に敵対させようとするその人の願望を、あなたが分かち合わない、という意味です。
しかも、それらの幻想がその人の代わりにあなたに敵対するようになる事も望まない、という事でもあります
したがってそれらの幻想にはいかなる影響も及ぼしません。
そして、あなたがその人を苦痛の夢から自由にしたからこそ、自分もそのような夢から自由になるのです。
その人を助けなければ、あなたはその人と一緒に苦痛を味合うことになります。
それがあなたの願望だからです。
そして、あなたがその人の苦痛の夢の中の人影となり、その人もあなたの夢の中の人影となります。
そして、あなたも兄弟も共に幻想となり、アイデンティティーを持たないものとなります。
あなたは、誰の邪悪な夢を分かち合いによって、誰にでも何にでもなる事が出来ます。
あなたが確実にできることは一つだけであり、それは自分は恐れの夢を分かち合っているのであるから邪悪だということです。
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今、ここで確かさを見出す道があります。
恐ろしい夢がどんな形で現れようとも、そうした夢の一部になる事は拒否しなさい。
それらの夢の中では、あなたはアイデンティティーを失う事になるからです。
それらを、自分の原因になっていて自分に結果を与えているものとして受け入れないことにより、あなた自分自身を発見します。
そのような夢からは離れて立っていますが、夢を見ている者からは離れない、という事です。
そのようにして、あなたは夢を見ている者を夢から引き離し、一方に加わっても、もう一方は去らせます。
その夢は、心の中の幻想に過ぎません。
そして、あなたはその心とひとつに結びつきたいのであり、決して夢とは結びつきたいのではありません。
あなたが恐れているのは、夢であって、心を恐れているのではありません。
あなたは、それらを同一のものだと見ています。
なぜなら、自分自身を単なる夢に過ぎないと考えているからです。
そしてあなたは、自分自身の中の何が実在するもので、何がただの幻想に過ぎないのかを知らず、それらを見分ける事が出来ません。
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あなたと同じように、兄弟も自分を単なる夢だと考えています。
その人自身についてのその人の幻想を分かち合ってはなりません。
なぜなら、あなたのアイデンティティーはその人の実相に懸かっているからです。
それよりむしろ、その人のことを、依然として幻想を持続させている心ではあっても、あなたにとって兄弟である心として考えなさい。
その人が夢に見ているものによってその人が兄弟となったのではなく、また、夢の「主人公」であるその人の 身体があなたの兄弟なのでもありません。
あなたの兄弟であるのは、その人の実相であり、同様にあなたの実相がその人にとっての兄弟です。
あなたの心とその人の心は、兄弟愛の中でつながっています。
その人の 身体と夢は、僅かな隔たりを作るように見えるだけであり、そこではあなたの 身体と夢とがその人のそれとつながっています。
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しかし、あなた達の心の間に隔たりはありません。
したがって、その人の夢とつながるということは、すなわちその人と出会わないということです。
なぜなら、その人の夢は、あなたから分離するものだからです。
それゆえに、恐れの夢ではなく兄弟愛のみを自分のものと宣言することによって、その人を解放しなさい。
その人の幻想をあなたの信で支えない事によって、その人に自分が誰であるかを認めさせなさい。
もしその人の幻想を支持すれば、あなたは自分自身の幻想に信を置く事になります。
あなたが自分の幻想に信を抱いていれば、その人は解放されず、あなたはその人の夢に束縛され続けます。
そして、あなたが兄弟の心の中で支持してきた幻想だけが住むその小さな隔たりには、恐れの夢がつきまとうでしょう。
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もしあなたが自分の役目を果せば、その人もその人自身の役目を果たすという事に確信を持ちなさい。
その人は、あなたが立っているいるところで、あなたとつながるからです。
あなた達の間の隔たりの中であなたに会うようにと、その人に呼びかけてはなりません。
もしそのような事をすれば、隔たりがその人の実相であるだけでなく、あなたの実相でもあると信じざるを得なくなります。
あなたにはその人の役割を演じることは出来ないのですが、あなた自身が夢を見る者ではなくその人の夢の中の受動的な登場人物になる時、あなたはそれをするのです。
夢を見る者と夢自体は一つなので、夢の中におけるアイデンティティーというものは無意味です。
夢を分かち合う者は、自分で分かち合っている夢そのものとならざるを得ません。
分かち合うことによって原因が生み出されるからです。
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混乱を分かち合えば、あなたは確かに混乱します。
その隔たりの中に、安定した自己は存在しないからです。
同じであるものが同じではないかのように見えているので、同じであるものが異なって見えます。
あなたがその人の夢を存在させているので、それらの夢があなたの夢となっています。
しかし、もしあなたが自分自身の夢を取り去ったなら、その人もそれらの夢から解放され、その人自身の夢からも解放されるでしょう。
あなたの夢はその人の夢の証人たちであり、その人の夢はあなたの夢が真実性を証言します。
しかし、もしあなたが自分の夢にどのような真実性もない事を見抜けば、その人の夢は消え去り、その人は何がその夢を作り出していたのか理解するでしょう。
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聖霊はあなたたち双方の心の中に存在しています。
聖霊の一体性をそれ自体から分離させるような隔たりは存在しないので、 聖霊は一なるものです。
なぜなら、 聖霊の中でつながっているものは常に一つのものだからです。
誰であれ、もし誰か他の人がその人との一体性を受け入れているなら、病気ではありません。
病んで分離した心になりたいというその人の欲求は、証明もしくは原因がなければ存続できません。
そして、もし誰かがその人と一体になる事を意志するなら、その欲求と原因のどちらも共に消え去ります。
その人は、兄弟から分離したという夢を見ますが、その兄弟はその人の夢を分かち合わないことによって、二人の間の空間を空にしておきました。
そして父は、 聖霊がひとつにつないだ神の子とつながるために訪れます。
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聖霊の機能は、ばらばらになった神の子の絵を取り上げて、それぞれの断片をもとの場所に戻す事です。
聖霊は、それぞれがそれ自体で一枚の絵になっていると考えている分離した断片の一つひとつに対して、この完全に癒された神聖な絵を差し出します。
その一つひとつは、 聖霊はその人のアイデンティティーを差し出します。
それは、その人が自分だと言い張っていた小さな断片ではなく、その絵の全体に表象されるその人のアイデンティティーです。
そして、この絵を見る時、その人が自分自身を認識するでしょう。
もし、あなたが兄弟の邪悪な夢を分かち合わずにいれば、病気や罪の種が一掃されて綺麗になった小さな隔たりに、奇跡がこの絵を置くでしょう。
そして、ここで父は我が子を受け取るでしょう。
神の子が自分自身に対して慈悲深かったからです。
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父よ、私はあなた感謝します。
あなたの神聖な子のばらばらになった断片の間の小さな隔たりの一つひとつを閉じるために、あなたが来てくれると私は知っています。
完全かつ完璧なあなたの聖性は、彼らの一人ひとりの内に宿っています。
そして、一人の中にあるものは彼ら全ての人の中にもあるがゆえに、彼らはつながっています。
一番小さな一粒の砂でさえ、それが神の子の完全な絵の一部だと認識される時、それはなんと神聖なものでしょう!
断片の見掛け上の形態は、何の意味もありません
なぜなら、その一つひとつの中に全体が宿っているからです。
神の子の一つひとつの側面は、他の全ての部分と全く同じです。
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兄弟の夢ではなく、兄弟自身とつながりなさい。
そうして、あなたが父の子とつながる場所には、父がいます。
自分は何も失ってはいないと知覚している時、誰が代替を捜し求めたりするでしょう。
健康という素朴な幸せを受け取った時、いったい誰が病気の「恩恵」にあずかりたいと望んだりするでしょう。
神が与えたものは損失ではあり得ず、神からではないものにはどのような結果ももたらしません。
そうだとすれば、あなたは隔たりの中に何を知覚するというのでしょう。
病気の種は、分離には喜びがあり、分離を放棄することは犠牲があるという信念からやってきます。
しかし、あなたがその隔たりの中に、そこに存在していたいものを見ようと固執しなければ、奇跡がその結果となるのです。
幻想を去らせようとするあなたの意欲だけが、神の子を癒す存在が必要とする全てです。
その存在は、病気の種があった場所に癒しの奇跡を置くでしょう。
そして、そこには、どのような損失もなく、ただ利益だけがあるでしょう。
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