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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第30章「新たなる始まり」30-3本文
第30章30-3 あらゆる偶像を超えて
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偶像は極めて具体的なものです。
しかし、あなたの意志は、無限かつ普遍です。
したがって、それは形を持たず、形態によって表現されることに満足することもありません。
偶像とは限定です。
それは幸せをもたらしてくれる形態が存在し、限定することによって全てがが達成されるという信念です。
それはまるであなたはこう言っているかのようです。
「私には一切なるものなど必要としていない。この小さなものの方が私の望むものであり、それが私にとっては一切と同じになる。」と。
しかし、これは決してあなたを満足させることは出来ません。
なぜなら、一切が自分のものであることが、あなたの意志だからです。
偶像を求める決断をすれば、あなたは損失を求めていることになります。
真実を求める決断をすれば、一切があなたのものです。
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あなたが追求しているのは形態ではありません。
いったいどんな形態が、父なる神の愛の代替となり得るでしょうか。
いったいどんな形態が、子なる神の神性の中にある全ての愛の座を奪えるでしょう。
どんな偶像が、一なるものを二つにすることができるというのでしょう。
無限であるものを限定できるでしょうか。
あなたは偶像を望んではいません。
それを持つことはあなたの意志ではありません。
それはあなたが求めている贈り物をあなたに授けてはくれません。
自分で望むものの形態を自分で決める時、あなたはそれが目的としているものについての理解を失います。
したがって、あなたは自分の意志を偶像の中に見ることにより、特定の形態へと減じてしまいます。
しかし、これは決してあなたの意志ではあり得ません。
なぜなら、全ての創造に参与するものが、些細な考えや卑小な物事で満足できるはずがないからです。
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あらゆる偶像の探求の背後には、完成への憧憬が潜んでいます。
全一性は無限であるため、形態を持ちません。
自分自身を完成させようとして、自分につけ加えるための特別の人や物を追求するということは、あなたは自分には何らかの形態が欠けていると信じていることを意味しているだけです。
そして、それを見つければ、あなたは自分が好む形態において、完全性を達成するということになります。
これが偶像の目的です。
すなわち、あなた偶像の向こうにある「自分は不完全だ」という信念の源を見ないようにさせることです。
もしあなたが罪を犯した場合のみ、その信念は正しいという事になります。
なぜなら、罪とは、あなたが全一なるものから切り離されている単独なものだという考えだからです。
こうして、全一性の探求は、あなた自身に課せられた限界の境界線を越えたところで為されることが必要ということになります。
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あなたが望んでいるのは偶像などではありません。
しかし、偶像が与えてくれるとあなたが思っているものは、まさにあなたが望んでいるものであり、あなたはそれを求める権利があります。
また、それが拒否されることも有り得ません。
完全であろうとするあなたの意志は、神の意志に他ならず、それは神の意志であることによって、あなたに与えられています。
神は形態を知りません。
神は意味のない言葉によってあなたに答えることは出来ません。
そして、あなたの意志は、存在してもいない隔たりをただ埋めるためだけに作られた空虚な形態によって満足することはあり得ません。
あなたが望んでいるのはこれではありません。
創造は、神の子を完成させる力を分離した人や物には与えません。
どんな偶像に頼めば、神の子が既に持っているものを神の子に与えられるというのでしょうか。
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完成こそが神の子の機能です。
神の子がそれを探し求める必要は全くありません。
全ての偶像を超えたところに、ただ自分の本性のままにあろうとする神の子の神聖な意志があります。
なぜなら、全一以上のものであることは無意味だからです。
もし神の子に変化があったなら、また、もし神の子を何らかの形態に減じることができ、神の子の中に存在しない何かへと限定できたとするならば、神の子は神によって創造されたままのものではないことになります。
神の子が自分自身であるために、一体どんな偶像が必要だというのでしょう。
神の子には自分の一部を与えてしまう、ということが出来るのでしょうか。
全一でないものは、全一にならしめることは出来ません。
しかし、真に求められているものは決して拒否されることがありません。
あなたの意志は叶えられています。
あなたを満足させることのない形態というものにおいてではなく、神があなたに対して抱いている全一にして完全に麗しい想念において、叶えられているのです。
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神が知らないものは何一つ存在しません。
そして、神が知っているものは永遠に変わることなく存在します。
なぜなら、想念はそれを思考した心が存在する限りあり続けるからです。
そして、神の心の中には、終わりというものはなく、神の想念が不在であったり、変化を被ることが出来るような時間というものもありません。
想念とは、生まれるものではなく、死ぬこともあり得ません。
それらは、それらを創造した者の属性を分かち合っていて、それから離れた別個の生命を持ちません。
あなたが思考する想念はあなたの心の中にあり、同様に、あなたはあなたを思考した心の中に居ます。
したがって、神の心の内側に存在するものの中には、分離した複数の部分というものはありません。
それは永遠に一なるものであって、永遠に統一されている平安です。
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想念は訪れては去っていくように見えます。
しかし、このことが意味しているのは、あなたはそれらを意識している時もあれば、意識していない時もあるというだけのことです。
思い出されなかった想念は、それがあなたの自覚に戻ってくれば、あなたにとって再び生まれることになります。
しかしそれは、あなたが忘れていた時に、死にはしませんでした。
それはいつもそこにありましたが、あなたはそれに気が付きませんでした。
神があなたについて抱いている想念は、あなたに忘れられても全く変わることはありません。
それは、常に、あなたが忘れる以前の状態と全く同じ様態であり続け、あなたが思い出した後も、全く同じものであり続けます。
そして、あなたが忘れていた間も、それは全く同一のものです。
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神の想念は、あらゆる変化を遥かに超越していて、永遠に輝いています。
それらは誕生を待っているのではありません。
歓迎され、思い出されるのを待っています。
神があなたに対して抱いている想念は、永遠の天穹に変わることなく輝く星のようです。
それは天のいと高きところに置かれているので、天国の外にいる者たちは、それがそこにあることを知りません。
それでも、それはじっと静かに、白く美しく、永遠を貫いて輝き続けます。
それがそこに存在しなかった時は一度もなく、その光が薄れたり、その完璧さが少しでも減じられるような瞬間も一度もありませんでした。
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父を知る者は、この光を知ります。
というのも、父こそが、その光を安全に保ちつつ、永遠にその高みにしっかりと抱き続ける天穹だからです。
その完璧な清らかさは、それが地上から見られようと見られまいと、変わることはありません。
天穹はそれを抱擁し、完璧にそれに相応しい場所にやさしくそれを保っています。
それは、天国が地上から遠くはなれていると同じく、地上から遠く離れた場所です。
この星を地上から見えないものにしているのは、その間の距離でもなければ時間でもありません。
ただ偶像を追求する者たちだけが、その星がそこあることを知ることが出来ません。
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全ての偶像を超えたところに、神があなたに対して抱いている想念があります。
それは、世界の混迷と恐怖や、世界で夢見られる生と死の夢や、無数の形をとって表れる恐れといったものを前にしても、完全に超然としています。
微塵の動揺もなく神があなたについて抱いている想念は、これまでも常にそうであったままに在り続けます。
戦闘の音がわずかでも近づくことすらない完璧な静けさに囲まれて、それは確かさと完璧な平安の内に休らいでいます。
ここにあるのは、安全に保たれているあなたの一なる実相であり、それは偶像を崇拝する世界や神を知らない世界の全てが、全く気づいていないものです。
神があなたに対して抱いている想念は、自らの不変性と永遠なる我が家における安息を完全に確信していて、創造主の心を決して離れことはありません。
そして創造主が、それがそこに存在することを知っているのと同じように、それも創造主を知っています。
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あなたがいる場所以外のどこに、神があなたに対して抱いている想念が存在できるでしょうか。
あなたの実相は、あなたから離れているものでしょうか。
そして、それはそれ自体が何も知らない世界の中に存在するようなものでしょうか。
あなたの外側には、永遠の天穹はなく、不変なる星も、実相も存在しません。
天の子の心は、天国の中に存在します。
そこでは、父の心と子の心が、終わりなき創造においてつながっています。
あなたには、二つの実相はなく、ただ一つの実相があるだけです。
それに、あなたが一つ以上の実相を自覚することもあり得ません。
偶像か、さもなければ、神があなたに対して抱いている想念か、そのどちらかがあなたの実相です。
それならば、忘れてはなりません。
偶像はあなたの本性を、神の心からではなく、あなた自身の心から、隠し続ることになるということを。
星は今も輝いており、天穹は一度も変わったことはありません。
それにも関わらず、神ご自身の聖なる子たるあなたが、自分の実相を自覚していないのです。
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