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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第30章「新たなる始まり」30-7本文
第30章30-7 新しい解釈
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神は、世界の意味をあなたの解釈に任せたりしたでしょうか。
もし、神がそのようなことをしていたとすれば、世界に意味はありません。
なぜなら、意味というものは、絶え間なく変化していながら真実だということはあり得ないからです。
聖霊は、世界を変わらぬものとして確立された一なる目的を持つもの、として見なしています。
そして、どのような状況もその目的に影響を及ぼすことなく、全ての状況が必ずそれに即したものとなります。
ただ、もし世界の目的が状況に応じて変化し得るという場合にのみ、その一つ一つの状況には解釈の余地があることになり、そうした解釈はあなたがそれについて考える度に違ったものになります。
あなたがその日のために書く分刻みの脚本に、一つ要素をつけ加えれば、今や生起する全てが何か別な事を意味します。
他の要素を一つ取り去ると、それに応じて全ての意味もことごとく変わってしまいます。
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あなたの脚本は、その日がどのようなものになるべきかというあなたの計画以外の何を反映するでしょうか。
あなたはそのようにして、失敗とか成功だとか判断したり、進歩だとか後退だと判断したり、得をしたとか損をしたと判断したりします。
こうした判断は全て、その脚本が割り当てる役割に従って下されます。
そうした判断そのものには何の意味もないという事実は、それらのレッテルが、ある経験の中の異なった側面について別の判断が下されると共に、いとも容易に移り変わるということにおいて実証されています。
そして、その後、あなたは振り返ってみて、以前起こったことの中に別の意味が見えると考えたりします。
あなたが実際にしたことは、そこには何の意味もなかったと示したことだけではないでしょうか。
それにも関わらず、あなたはそれ自体が変化するに伴って全ての意味が変わる事になる移ろいゆくゴールに照らして、意味を割り当てたのです。
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一つの不変の目的だけが、出来事に安定した意味を授けることが出来ます。
ただし、それは全ての出来事に一なる意味だけを授けるものでなくてはなりません。
もしそれぞれの出来事に異なった意味が与えられるとしたなら、それらはただ異なった目的を反映しているということになります。
そして、このことが、それらの出来事がもつ意味の全てです。
これが意味と言えるでしょうか。
意味が意味しているものが、混乱ということがあり得るでしょうか。
知覚は、絶え間なく変化しつつ、安定した意味をどこかに受け入れることなど出来ません。
恐れとは、決して正当化されない判断です。
恐れが存在しているということは、あなたが恐ろしい脚本を書いておいて、それに即して恐れているということを教えているだけであり、他には何の意味もありません。
しかし、それは、あなたが恐れているものそれ自体に恐ろしい意味があるからではありません。
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一つの共通の目的だけが、知覚を安定させ、この世界に対して、またここにおける全ての体験に対して、ただ一なる解釈を与えることの出来る唯一の手段です。
この共有された目的の中で、一なる判断が、あなたが見るあらゆる人や、あらゆるものによって分かち合われます。
あなたは判断する必要はありません。
なぜなら、あなたはあらゆるものに一なる意味が与えられたことを学んだからであり、それが到るところに見られることを嬉しく思っているからです。
あなたがそれを、状況によって変わることなく、あらゆるところに知覚したいと思うからこそ、それが変わることはあり得ません。
それゆえに、あなたはその意味を全ての出来事に与え、それらの出来事から、自分に安定をもたらしてもらうのです。
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裁きからの脱出は、単に次のことにあります。
すなわち、全てのものにはただ一なる目的だけを持っており、あなたはそれを全世界と分かち合っているということです。
そして、それはあなたに属しているのと同様に、あらゆるものにも属しているので、世界のいかなるものもそれに対立することは出来ません。
たった一つの目的の中に、犠牲についての全ての考えの終わりがあります。
犠牲は、得る者と失う者に個別の目的を想定しなければならないからです。
この考えを離れて、いかなる犠牲の想念もあり得ません。
そして、複数の異なったゴールというこの考えが、知覚を移り変わらせ、意味を変化させるのです。
統一された一なるゴールにおいては、こうしたことは不可能となります。
あなたの同意が解釈を安定させ、存続させるからです。
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使われている象徴同士が異なることを意味している時に、どのようにしてコミュニケーションが真に確立され得るでしょう。
聖霊のゴールは、あなたにも兄弟にも意味のある一つの解釈を与えてくれます。
このようにして、あなたはその人とコミュニケーションを行なえるようになります。
あなた達が共に理解できる象徴において、意味の犠牲が取り消されます。
全ての犠牲は、出来事同士の間にある関係を見るあなたの能力の喪失をもたらしています。
別々に見られたなら、これらの出来事には何の意味もありません。
なぜなら、それらを見て理解するための光がないからです。
それらには、何の目的もありません。
そして、それらが何のためのものかが見えません。
いかなる損失の想念の中にも、意味は存在しません。
それが何を意味するのかについて、誰一人あなたに同意してはいません。
それは、歪められた脚本の一部であり、意味のある解釈は不可能です。
それは、永久に意味の分からないままのものとならざるを得ません。
これはコミュニケーションではありません。
あなたの暗い夢の数々は、あなたの眠りの中で書く意味の通らない孤立した脚本です。
分離した夢に意味を期待してはなりません。
それらは、あなた達双方に対して同じことを意味しています。
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孤独の中から解釈してはなりません。
そのようにしてあなたに見えるものは、何も意味しないからです。
それが表しているものの中でそれは変化し、あなたはこの世界は不確かな場所で自分はその中を危険に囲まれながら半信半疑で歩いていると信じることになります。
安定性を欠いているのはあなたの解釈だけであり、それは、あなたの解釈があなたの真の本性と整合していないからです。
これは、一見すると非常に安全性を欠いた状態なので、どうしても恐れが生じることになります。
私の兄弟よ、そうしたことを続けてはなりません。
私達には一なる解釈者がいます。
聖霊の象徴の使い方を通して、私達は繫がり合い、象徴が私たち全員にとって同じことを意味するようになります。
共通の言語によって私達は兄弟全員に語りかけ、私達全員に 赦しが与えられていることが共に理解できるようになり、そうして私達は再びコミュニケーションを行なえるようになるのです。
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