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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第30章「新たなる始まり」30-4本文
第30章30-4 幻想の背後にある真実
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あなたは自分に満足をもたらさないものを攻撃します。
そうすることで、自分でそれを作り出したということを見ないことになります。
あなたはいつも幻想と戦います。
というのも、その向こうにある真理はあまりに美しく、愛に満ちた優しさの中であまりに静かなので、もしあなたがそれを自覚したら、自分を守ろうとすることなどすっかり忘れて、その抱擁の中に駆け込んでしまうことになるからです。
真理を攻撃すること出来ません。
偶像を作り出した時、あなたはこのことを知っていました。
このことが忘れ去られるようにと、偶像が作り出されたのです。
あなたが攻撃するのは偽りの想念だけであり、決して真実の想念ではありません。
全ての偶像は、あなたが自分と真実なるものとの間に生じたと思っている隔たりを埋めるために、あなたの作り出した偽りの想念です。
そして、あなたはそれらの偶像が表象していると思っているもののゆえに、偶像を攻撃します。
それらを越えたところにあるものは、決して攻撃できません。
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あなたが作り出したうんざりするほど失望させられる神々は、子供の玩具が大きくなったようなものです。
閉じられていた箱が突然開いて木製の頭が飛び出してきたり、何も言わないはずの柔らかな熊の縫いぐるみが、手に取ったとたんにキーキーと声を出し始めたりしたら、子供は驚いて怖がります。
その子供が箱や熊に設定していたルールがその子自身を裏切って、身の回りのものに対するその子の「制御」を破壊したのです。
そして、自分がそのルールに守られていたと思っていたので、その子は怖くなります。
今、その子は、箱や熊のぬいぐるみがその子を騙したのでも、ルールを破ったのでもないこと、また、これはその子の世界が混沌とした危険なものになった訳でもないことを学はなけばなりません。
その人は間違っていたのです。
自分を安全に守っていたものについて誤解していた上に、それがなくなってしまったと考えたのです。
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存在してない隔たりは、無数の形をした玩具で埋められています。
そして、その一つひとつが、あなたがそれに定めたルールを破るかのように見えます。
それはどれも決してあなたが思っていたものではありませんでした。
あなたが作った安全のためのルールは間違っていたので、それらのルールを破っているように見えざるを得ないのです。
しかし、あなた自身は決して危機にさらされてなどいません。
飛び出してきた頭やキーキー音を立てる玩具が自分にとって脅威ではないと分かった子供がするように、あなたもそれらを見て笑うことが出来ます。
とはいえ、子供は、そのような玩具で遊ぶことを楽しんでいる間は、依然として、それらが自分の楽しみのために作ったルールに従っているものと知覚します。
したがって、そこにはまだに守るべきルールがあって、玩具がそれらに違反してその子を脅かせるように見えることになります。
しかし、その子は実際に玩具に翻弄されているのでしょうか。
そして、玩具はその子にとって脅威を表象するものであり得るでしょうか。
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実相は、あなたの設定したルールではなく、神の法則に従います。
あなたの安全を保証するのは、神の法則です。
あなたが信じている自分自身についての幻想はどれも、いかなる法則にも従いません。
幻想は、あなたがそれらに定めたルールに従って踊り続けているように見えます。
しかし、その後それらは崩れ落ちて、二度と起き上がることは出来ません。
私の幼子よ、そのようなものは玩具に過ぎないのだから、それらのために嘆き悲しむことはありません。
幻想の舞踏があなたに喜びをもたらしたことは一度もありません。
しかし、幻想はあなたを恐れさせるようなものであったことはなく、たとえあなたのルールに従ったとしても、あなたに安全をもたらしてくれるものではありませんでした。
幻想は大切にされたり、攻撃されたりすべきものではなく、ただそれ自体には何一つ意味のない単なる子供の玩具と見なれされるべきものだけです。
幻想の中の一つでも意味を見れば、あなたは全ての幻想を見ることになります。
幻想の中に何の意味も見なければ、幻想があなたに触れることは出来ません。
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外観は外観であって実相ではないがゆえに欺くのです。
どんな形であっても、外観にいつまでもこだわってはなりません。
それらは実相に曖昧にするだけであり、それらは真理を隠すからこそ、恐れをもたらすのです。
どんな形であれ、外観にいつまでもこだわってはなりません。
それらは実相を曖昧にするだけであり、それらは真理を隠すからこそ、恐れをもたらすのです。
自分が欺かれるようにと自分で作り出したものを攻撃してはなりません。
そうすることで、あなたは自分が欺かれたことを証明するだけだからです。
攻撃には、幻想を実在のものとして作り出す力があります。
しかし、それが作り出すものは無です。
実在する結果を全く生み出せない力によって、いったい誰が脅かされたりするでしょう。
それは、見せかけている幻想以外の何であり得るでしょう。
その玩具を静かに見てみて、それらは空しい欲望に合わせて踊るだけの偶像たちであることを理解しなさい。
そのようなものを崇拝してはなりません。
それらは、そこには存在していないからです。
ところが、攻撃の中ではこうしたことも等しく忘れられます。
神の子は、自分の夢に対して防衛など必要としていません。
その人の偶像たちは、その人を脅かすことはしません。
その人の唯一の間違いは、そのようなものが実在すると思っていることです。
幻想の力に何ができるというのでしょうか。
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外観は、欺かれることを望んでいる心しか欺けません。
そしてあなたは、永遠に欺瞞を遥かに越えたところに自分を置くことになる単純な選択をすることが出来ます。
どのようにしてこうしたことが為されるのか、あなたが気にする必要はありません。
というのは、それはあなたには理解が出来ないことだからです。
とはいえ、あなたが一つの非常に単純な決断をする時、すなわち、「偶像が与えてくれると信じているいかなるものも、自分はもう欲しいとは思わないことにする」という決断をする時、あなたは力強い変化が速やかに引き起こされたことを理解するでしょう。
なぜなら、こうすることで、神の子は自分が偶像たちから自由であることを宣言するからです。
そして、そのようにしてこそ、その人は自由なのです。
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救済とは、まさしく逆説です!
それは、幸せな夢以外の何でもあり得るでしょう。
救済があなたに求めることは、もとより誰も行なっていないことの全てを赦すことであり、つまり存在していないものを看過し、実在していないものを実在のものとは見なさないというだけのことです。
あなたが求められているのは、ただ、自分の意志が行なわれるに任せること、そして自分が望まないものをこれ以上追求しないようにすることです。
そして、一度もあなたであったことのないものについての夢の全てから自分自身を自由にさせ、もうこれ以上、無為な願望の力を神の意志の代用にしないことです。
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ここにおいて、分離の夢が色あせ、姿を消し始めます。
なぜなら、ここにおいて、存在していない隔たりが、あなたが作り出した恐怖の玩具を抜きにして知覚され始めるからです。
これ以上のことは何も求められてはいません。
救済がほんの僅かしか求めず、多くを要求しないことを喜びなさい。
実相においては、 救済は何一つ求めません。
幻想においてすら、 救済が求めるのは、恐れの代わりに 赦しを選ぶということだけです。
これが、幸せな夢を見るための唯一のルールです。
隔たりから恐怖の玩具が取り除かれて空になれば、それが実在しないことは明白です。
夢は、無のためのものです。
そして、神の子が夢を必要とすることはあり得ません。
夢はその人が望み得るものを何一つ提供しません。
その人を 救済するための神の計画とは、その人を神ご自身に与えるための手段以外の何でしょうか。
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