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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第1章「奇跡の意味」より1-1 本文
第1章 1-1 奇跡の原理
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奇跡に難しさの順序はありません。
ある奇跡が他の奇跡よりも「難しい」とか「大きい」ということはありません。
全て同じだと言えます。
愛の表現は全て最高のものです。
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どんな奇跡でも、それ自体が重要なのではありません。
ただひとつ重要なことは「その源がどのようなものであるか」ですが、それは評価できる範囲を遥かに越えています。
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奇跡は愛の表現として自然に起こります。
本当の奇跡とは、そうした奇跡を思い起こさせる愛そのものです。
この意味においては、愛によって生ずるあらゆるものが奇跡です。
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全ての奇跡は「生命」を意味し、神が生命を与える存在です。
神の声があなたを極めて明確に導くでしょう。
知らなければならないことは全て告げられます。
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『奇跡とは習慣』であり、知らず知らずの内に生ずべきものです。
意識に左右されるべきものではありません。
意識的に選ばれた奇跡は誤って導かれることが有り得ます。
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奇跡は当然の成り行きです。
それが起こらないときは、何かが思わしく行かなかったということになります。
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奇跡は誰もが持つ権利ですが、しかし、まず清めが必要です。
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奇跡は不足するものを補うので癒しであり、それは一時的に不足している人のために、その時点で余裕のある人によって成されます。
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奇跡は一種の取り交わしです。
愛の表現はみな真の意味で常に奇跡的なものですが、それと同じように、取り交わすこと自体が物質の法則と言われるものを覆します。
奇跡は、より多くの愛を与え手と受け手の両者にもたらすと言えます。
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信心を引き起こす見世物として奇跡を使うことは、その目的を誤解してのことです。
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祈りとは、奇跡の仲立ちをするものです。
創造されたものと創造主とが意志の疎通をするための手段と言えます。
祈りによって愛を受け取り、奇跡によって愛を表現します。
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奇跡とは思考です。
思考というものは『下等または 身体的な段階での経験』と、『高等またはスピリチュアル的な段階での経験』を表すことができます。
前者は『物質的なもの』を作り、後者は『スピリチュアル的なもの』を創造します。
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『奇跡は始めでありまた終りでもあります』
したがって、時間的な順序を変えます。
再生、つまり生まれ変わるということを肯定するのが常であり、こうすることは後退するように思えるけれど本当は前進することだと言えます。
そうした奇跡は現在において「過去を元通りにする」のであり、したがって「未来を解き放つ」ことになります。
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奇跡は真理を証明します。
『確信』から起こるので奇跡には説得力があります。
確信なしでは、魔術に成り下がってしまい、そのような魔術は心を伴わないので破壊的であり、またむしろ心の非創造的な使い方だと言えます。
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一日一日を奇跡に捧げるべきです。
時間の目的は、いかにそれを建設的に使うかをあなたが学べるようにすることです。
したがってそれは教えの手立てであり、目的を達するための手段でもあります。
時間は学びを促すことに役立たなくなったときに止みます。
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奇跡は教えの手立てですが、これが実証するのは「与えることは受け取ることと同じように幸せである」ということです。
「与え手の力を増す」と同時に、「受け手にも力を供給する」のです。
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奇跡は 身体というものを超越します。
身体的な段階から離れて、目に見えないものへと突然に移行することを言います。
それ故に奇跡は癒すのです。
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奇跡とは奉仕です。
それも誰かのためにできる最高の奉仕です。
隣人を我身のごとく愛する方法と言えます。
自分自身の真価と隣人の真価とを同時に認めるということです。
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奇跡は神の内で心を一つにします。
奇跡が協同をあてにするというのは、一なる子としての身分は、神が創造したもの全ての和ともいうものです。
したがって、奇跡は時間の法則ではなく、永遠の法則を反映します。
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奇跡が自覚することを再び目覚めさせるのですが、それは 身体ではなく、霊(Spirit)こそ真理の祭壇だと自覚することです。
このような再認識こそが、奇跡のもつ癒す力へと導くのです。
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奇跡は 赦しに伴う当然のしるしです。
奇跡を通して、神の 赦しを他の人たちに差し出すことにより、自分がその 赦しを受け入れることになります。
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奇跡が恐れを連想させるのは、ただ暗闇は隠すことができるという確信のためです。
あなたは、 身体の目で見ることができないものは存在しないと信じています。
こう信じることがスピリチュアル的に見えるものを否認させるのです。
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奇跡は知覚を並べ直して、全ての段階を真実に適った釣り合いに置きます。
こうすることが癒しとなります。
というのは、病気になるのはそのような段階を混同することによるからです。
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奇跡はあなたに病人を癒し、死人をよみがえらせることを可能にします。
なぜなら自分で病気や死というものを作り出したので、両方とも完全になくせるのです。
あなたは奇跡そのものであって、創造主に似て創造することができます。
他のものは何もかもことごとく自分自身の悪夢であって、存在しません。
ただ光によって創造されたものだけが実在的なものであると言えます。
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奇跡はいわば 赦しが連動するような鎖の部分で、それが完了されたとき贖罪となります。
贖罪はいつでも、そして時間の全ての次元において作用するのです。
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奇跡は恐れから解放された状態を表します。
「償うこと」とは「元通りにすること」を意味します。
恐れを元通りにするということは、奇跡がもつ贖罪的価値の極めて重要な役割です。
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奇跡は普遍的な恵みといえるものですが、それは神から私を通じて兄弟皆に注がれるのです。
赦された者にとっては赦せるということは、いわば特別な名誉だとさえ思えます。
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奇跡は恐れからの解放を受けるに値するとみなす方法です。
啓示は恐れが既に全く無くなった状態を誘い出します。
したがって、奇跡は手段であり啓示は結果です。
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奇跡はあなたを通じて神を賛美します。
神が創造したものに対して敬意を払い、またその完全さを肯定することによって神を讃えます。
身体と同一ではないと否定し、霊(Spirit)と同一であることを肯定するが故に癒すのです。
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霊(Spirit)を認めることによって、奇跡は知覚の段階を調整し、相応しい配列にし直して見せます。
こうすることが霊(Spirit)を中心に置くことになり、そこでは直に意志の疎通をすることができます。
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奇跡は畏敬の念ではなく、感謝の気持ちを起こさせるはずです。
あなたは自分が本当はどんな存在であるか、神に感謝することが当たり前になるはずです。
神の子供たちは神聖そのものであって、奇跡はその神聖さを尊ぶのですが、そうした神聖さは隠されることはあっても決して失われるものではありません。
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私が励まして奇跡を皆起こさせるのですが、そうした奇跡は実際には人のために祈って取りなすということです。
あなたの神聖さのために取りなしたうえで、知覚を神聖なものとするのです。
あなたを物質的な法則を越えたところに置き、天界という階級の域へと引き上げます。
この階級の内でこそ、あなたは完全なものとなるのです。
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あなたの愛される価値が本来ある存在故に奇跡はあなたを尊びます。
そうした奇跡はあなた自身についての幻想を拭い去ったうえで、内なる光というものを知覚します。
したがって悪夢からあなたを自由にし、そうした誤りを償うのです。
いわば心を幻想という監禁状態から解放することによって、奇跡はあなたに正気を取り戻させます。
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奇跡は心をそれが満たされた姿へと戻します。
不足しているものを償うことによって、申し分のない擁護を確かなものともします。
霊(Spirit)の力は侵入しようとするものに、その余地を残さないのです。
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奇跡は愛の表現です。
しかし、必ずしも目に見える結果を伴うとは限りません。
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奇跡は正しい考え方の実例であり、あなたが知覚することを神が創造したままの真理と同調させます。
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奇跡は間違った考え方に対して私が採り入れた訂正です。
それは触媒の働きを努め、まず誤った知覚を解体した上で、再びまとめて適切なものに仕上げます。
こうすることがあなたを贖罪の原理のもとに置き、そこで知覚は癒されることになります。
これが起こるまでは、神が授けた階級について認識することは不可能です。
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聖霊は奇跡が起こるために必要な心理過程と言えるものです。
聖霊は神が創造したものとあなたの幻想とを両方とも見分けます。
真実のものを間違ったものから分離させますが、選択的にというより、むしろ全体的に知覚する能力によって分けるのです。
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奇跡は誤りを無いものとします。
なぜなら 聖霊は誤りを間違い、または真実ではないと見なすからです。
これは光を知覚することによって暗闇が自動的に消滅することと同じです。
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奇跡は全ての人があなたの兄弟であり、また私の兄弟であると承認します。
神の普遍的な印というものを知覚する方法だと言えます。
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完全である姿こそ奇跡が知覚する内容です。
したがって、奇跡は欠けていると間違って知覚することを訂正したり、または償ったりするのです。
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奇跡が主に貢献できるのは、奇跡にある力そのものですが、それはあなたを孤立感や喪失感や欠乏感のような間違った思いから解放する力のことです。
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奇跡が生じるのは奇跡的な心の状態、または奇跡への心構えを持った状態においてです。
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奇跡が表現するのは キリストを内心自覚していることや、 キリストの贖罪を受け入れるということです。
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奇跡は決して失われることはありません。
会ったこともない多くの人々に影響を及ぼしたり、自分で認識してもいない状況において、夢にも思わない変化を生み出したりする可能性などもあります。
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聖霊は最高の意志の疎通をするための仲立ちです。
奇跡はこのような意志の疎通を含みません。
それは一時的な意志の疎通の手立てだからです。
あなたが最初にそうであったように、直に受ける啓示によって神と意志の疎通を行う形態へ戻れば、奇跡の必要はなくなります。
ACIM-Text-chapter1-1-47
奇跡は時間の必要性を少なくするための学びの手立てと言えます。
普通の時間についての法則には従わず、型にはまらない時間的隔たりを確立します。
この意味において奇跡は時間に限定されないものです。
ACIM-Text-chapter1-1-48
奇跡は時間を制御するために、いますぐあなたの意のままになるただ一つの手立てと言えます。
ただ啓示だけが時間とは全く関係ないので時間を超越します。
ACIM-Text-chapter1-1-49
奇跡は誤った知覚をその度合いによって区別しません。
知覚を訂正するための手立てとして、そうした誤り自体の度合または傾向のどちらにも全く関係なく効果的です。
奇跡のもつ真の無差別性とはこのことです。
ACIM-Text-chapter1-1-50
奇跡はあなたが作り出したものを創造と比べて、それと一致するものは真実として受け入れ、一致しないものは間違いだとして拒絶するのです。
奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第1章「奇跡の意味」目次