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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第1章「奇跡の意味」より1-6 本文
第1章 1-6 必要という幻想
ACIM-Text- chapter1-6-1
平安を得たいと望むなら、ただ完全に赦すことによってのみ、それを見い出すことができます。
何を学ぶにしても、それを学びたいと望み、また自分にとって必要だと信じない限り、何も自分のものには出来ません。
神の創造するものに不足するものは無いにも関らず、あなたが作り出したものには不足するものがあることは極めて明白です。
実のところ、これこそ本質的な違いです。
何かに不足しているということは、現状から抜け出して自分を他の状態に置いてこそ、幸せになれるということを暗に示しています。
「人類の堕落」を意味する「分離」が生じるまでは、何も不足していませんでした。
必要なものは全く無かったのです。
必要に迫られるのは、ただ自分で自分のものを拒む時だけです。
あなたは自分にとって必要なものを特定の順序に設けておいて、それに従って行動しようとします。
そうすることは、自分のことを何であるかと知覚することによって左右されるのです。
ACIM-Text- chapter1-6-2
神から分離しているという想念は、自分は不足していると思わせる元であり、あなたが正す必要があるのは、ただこの想念だけです。
こうした分離感は、あなたが真理について知覚したことを自分で歪め、自分には何かが欠けていると知覚しなかったのなら、決して生じなかったはずです。
必要なものに順序があるという想念が生じたのも、そうした基本的な誤りをしたことから、既に自分を異なることを必要とする段階へとばらばらにしていたからです。
そのような自分を統合するに従って一つになるのであり、そうすることによって必要だと思うものも一つになります。
必要なものが一様となれば、行動も統一されたものになります。
なぜなら、そうすることが葛藤の無い状態を生み出すからです。
ACIM-Text- chapter1-6-3
必要なものに順序があるという想念自体は、人は神から分離できるという最初の誤りの結果により引き続いて起こります。
それは、そうした想念自体のある段階において訂正する必要があり、その後で複数の段階を知覚するという誤りを正すことができます。
あなたが異なった段階で機能を果たしているうちは、効果的に振る舞うことはできません。
しかしながら、そう機能している間は、まず一番下から上に向かって訂正を始めなければなりません。
それというのも、あなたが「上」や「下」といった概念に意味があるとし、その空間に生きていると思っているからです。
究極的には、空間も時間と同じく意味がありません。
両方とも単に、信じ込んでいるに過ぎないからです。
ACIM-Text- chapter1-6-4
この世界の本当の目的は、あなたの真実に対する恐れと疑いを正すために使うことです。
あなたは恐れが及ぼす影響を自分で抑制することは決してできません。
というのも、恐れを作り出したのは自分であり、その上自分で作り出したものを信じているからです。
とすれば、内容は違っていてもあなたの態度は創造主に似ています。
それというのも、創造主は創造したものに対して、自らが創造したが故に、完全な信頼を持っています。
信じることが、存在するということを受け入れさせます。
それは、他に誰も真実だと思わないことでも信じられるのです。
それが自分にとって真実になるのは、それを作り出したのが自分だからです。
ACIM-Text- chapter1-6-5
恐れに関して心に映ることは、創造の段階では全て存在しないものであり、真実ではありません。
したがって、それは全く存在しません。
この評価の仕方を自分でどの程度まで信じる気になるにせよ、その範囲内で自分がどう知覚するかを正せます。
奇跡は真実であるものから間違ったものを、次に述べることに基づいて選り分けます。
完全な愛は恐れを取り除きます。
もし、恐れが存在すれば、完全な愛はないことになります。
しかしながら、完全な愛だけが存在します。
もし、恐れがあれば、それは存在しない状態を生み出します。
これを信じれば、あなたは自由になるでしょう。
こうした解決法を設けることができるのは神だけであり、これを信じる心こそ神の贈り物なのです。
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