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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第1章「奇跡の意味」より1-7 本文
第1章 1-7 奇跡衝動の歪曲
ACIM-Text- chapter1-7-1
あなたの歪んだ知覚は、奇跡を行うのに役立つ衝動を密度の高いベールで包み込み、その衝動を自覚し難くしています。
奇跡への衝動を 身体的衝動とを混同することは、知覚に伴う主な歪みです。
身体的衝動は、奇跡への衝動が誤って指図されたものです。
真の喜びは全て、神の意志を行うことから起こります。
というのも、それを行わないでおくことは本来の自己を否認することになるからです。
本来の自己を否認すれば、幻想を引き起こします。
しかし、そうした誤りを訂正することで幻想から解放されます。
外面的な物事で、神や兄弟たちと平安の内に心を通わせることができると、自分を欺き信じ込まないようにしなさい。
ACIM-Text- chapter1-7-2
神の子よ、あなたが創造されたのは、善なるもの、美しいもの、聖なるものを創造するためです。
これを忘れてはなりません。
神の愛は今しばらく、 身体と 身体を通じて表現されなければなりません。
心眼ではまだよく見えないからです。
あなたは自分の知覚を広げるのを助けるために 身体を使うのが一番良く、そうすることで 身体の目では不可能な本当の心眼による心像を観ることができるようになります。
こうすることを学ぶためにのみ、 身体は本当に役立つのです。
ACIM-Text- chapter1-7-3
空想は心眼の歪んだ形です。
どんな種類であれ、空想されたことは歪められています。
それは、実在しないものを見ようと必然的に歪曲して知覚しようとするのが常だからです。
歪んだものを原因に行動することは、文字通り自分では何をしているのか分かっていない者たちがする反応の仕方です。
空想とは、間違った必要性に従って実在を制御しようとする試みです。
どのようにであれ、実在を歪曲するなら、破壊的に知覚していることになります。
空想は間違った連想をしておいて、それから快感を得ようとする手段です。
しかし、間違って連想したことを知覚できるとはいえ、それは自分自身にだけ真実にしておけるに過ぎません。
あなたは自分で作るものを信じます。
もし、あなたが奇跡を差し出すとすれば、あなたの奇跡に対する信念も同様に強いものとなるでしょう。
そして、あなたの確信の強さが、奇跡を受け取る人の信念を支えることになるでしょう。
実在の本質が全面的に満足できるものだということが、与える者と受けとる者、その両方に明白になるにつれ、空想はことごとく必要ではなくなります。
実在を「失った」のは権利を奪ったからであり、それがまた暴政を生み出すのです。
一人でも「奴隷」が取り残されて地上を歩む限り、あなたは完全に解放されたとは言えません。
一なる子としての身分に属する者たち全ての人を復帰させること、これこそが奇跡を行う気がある者にとっての唯一のゴールです。
ACIM-Text- chapter1-7-4
この奇跡のコースの教えは心を訓練するためのものです。
これを学ぶことは、ある程度の注意力と絶えざる努力を要します。
この学びのプロセスにおいて、後に出てくる部分は、最初の何節かに非常に関係するので、ここを注意深く学ばなくてはなりません。
準備するためにもこれらの部分が必要です。
それなしでは、後に出てくる部分で言わんとすることが余りにも強い恐れを抱いてしまい、前向きな気持ちでは受け入れられないかもしれません。
しかし、最初の何節かを学ぶにつれて、後で詳しく説明されることを示唆する点がいくつか目につきはじめるでしょう。
ACIM-Text- chapter1-7-5
しっかりした基礎が必要です。
それなしでは、私が既に言及した恐れと畏敬の念を混同してしまうことがよくあるからです。
私が既に述べたことですが、神の子たちの繋りにおいて畏敬の念を抱くのは適切ではありません。
なぜなら、自分と等しいものの面前では畏敬の念を覚えるべきではないからです。
しかし、あなたの創造主の前で畏敬の念を抱くことは相応しいことだとも強調しました。
私の贖罪における機能を大げさに言ったり控え目に言ったりすることなく、明らかにするように心がけてきました。
また、あなたの機能についても同じようにしようと努めています。
私達は本来、平等であり、私に対して畏敬の念を持つのは適当な反応ではないということを力説しておきました。
しかし、この奇跡のコースの教えの後半に出てくる段階では、もっと直に神自身に近づくことが必然的となります。
注意深く準備せずにこうした段階へと歩み始めることは賢明とは言えません。
さもないと、畏敬の念を恐れと混同してしまい、そうした経験は至福に満ちた経験となるよりも精神的に傷を与えるものとなります。
最終的に、癒しは神に属するものです。
そのための手段が、あなたのために念入りに説明されていきす。
最後に行き着くところを、時には啓示が見せてくれるかもしれません。
しかし、そこへ到達するには手段というものを必要とするのです。
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