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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第1章「奇跡の意味」より1-4 本文
第1章 1-4 闇からの脱出
ACIM-Text- chapter1-4-1
闇から逃れるには二つの段階を必要とします。
第一に、闇は隠すことはできないと認めることです。
普通これには恐れが必然的に伴います。
第二に、もし、それができるとしても、隠したいと思うものは何も無いと認めることです。
このようにすれば恐れから逃れることができます。
自ら進んで何も隠さないようになれば、霊(Spirit)としての交わりへと快く入るようになるのみならず、平安や喜びを理解するようにもなるでしょう。
ACIM-Text- chapter1-4-2
神聖なるものは決して実際に闇に隠されることはありません。
しかし、それについて自分自身を欺くことはできます。
こうして、欺こうとすると恐れを抱くのは、胸の中では確かに誤魔化しだと認識しているからであり、その実在性を確立しようとして途方もないほど努力をします。
奇跡は実在をそれに相応しいところへ据えます。
実在は、霊(Spirit)にのみ相応しく、奇跡は真理だけを承認します。
こうして、自分自身についての幻想を拭い去り、あなたを神との霊(Spirit)としての的交わりの内に置きます。
奇跡は贖罪に加わりますが、それは心を 聖霊に仕えさせることによって行います。
こうすることが心の適切な機能を確立し、その上、心の誤りを正す訳ですが、その誤りとは単に愛が欠如していることに過ぎません。
あなたの心は幻想の虜となり得ますが、霊(Spirit)は永遠に自由です。
もし、心が愛なしに知覚すれば、殻の中には何も無いと知覚してしまい、その中にある霊(Spirit)には気付きません。
しかし、贖罪が霊(Spirit)をそれ相応のところへと戻します。
霊(Spirit)に意識を合わせる心こそ不死身だと言えます。
ACIM-Text- chapter1-4-3
闇とは光が欠如していることであり、それと同様に罪とは愛が欠如していることです。
闇自体には、それだけにあるといえる特性など何もありません。
それは、「欠乏」を信じるという一例であり、この信念からはただ誤りが生じるだけです。
真理は常に満ち溢れています。
あらゆるものを持っていると知覚し、承認する者たちは何をも必要としません。
贖罪の目的はあらゆるものをあなたに戻すことです。
もっと正確に言えば、あらゆるものをあなたが自覚できるようにすることです。
あなたが創造された時に、誰もがそうであったように、あらゆるものを与えられたのです。
ACIM-Text- chapter1-4-4
恐れのために生じた空しさを、 赦しと取り替えなければなりません。
「死はない」と聖書にあるのはそうした意味であり、死は存在しないと私が実証できた理由でもあります。
私が来たのも、律法そのものを解釈し直して、それを完成するためです。
そうした律法自体は、もし、正しく理解されれば、ただ保護することを提案していると分かります。
これに「ゲヘンナの火」という概念を持ち込んだのは、自分の心をまだ変えていない者たちです。
私は、誰であろうと私に証明させ、また許可してくれる範囲で、その人のために証明すると請け合います。
証明するとは、自分が信じることを実証するのであり、したがって、そうした信念を強めることになります。
私のために証明する者たちが奇跡によって現しているのは、『自分は満たされている』と分かり、そうした状態は自分たちのものだということに同意して、『恵まれていない』と信じるのはやめたということです。
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