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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編11章 「神か、 自我か」より
11章11-0 序論
ACIM-Text- chapter11-0-1
神もしくは 自我、そのどちらかが狂っています。
両方についての証拠をそれぞれ公正に調べてみれば、こうしたことが確かに違いないと分かるでしょう。
神も 自我も、不完全な思考体系を提案してはいません。
それぞれの思考体系は、内面的にみれば首尾一貫していますが、双方は全ての点で全く相入れないので、生半可な忠誠を誓おうとしてもそれは不可能です。
そのうえ、双方がもたらす結果は、その土台と同じように、異なるということと、そうした思考体系にある根本的に両立しない本質というものは、どちらに揺れ動いても一致させられないということも思い出しなさい。
生きているもので父親のいないものは何一つありません。
生命あるものは創造されたものだからです。
したがって、「誰が自分の父だろうか」、という疑問に対する答はいつもあなたが決めることです。
そして、自分で選ぶ父親に忠実になるでしょう。
ACIM-Text- chapter11-0-2
ここで、ある疑問をかかげてそれには本当に矛盾があると信じる者がいるとすれば、あなたはその人に何と言うでしょうか。
もし、自分で 自我を作ったとすれば、どうして 自我があなたを作れたのだろうか、とその人は問うでしょう。
権威問題が、今でも葛藤の唯一の源です。
自我は、神の子が神の生みの親になりたいと願望したことから生じたからです。
では、 自我とは妄想的体系に他ならず、その中で自ら自分の父親を作ったということです。
このことについて間違えないようにしなさい。
全く正直にはっきり言うなら、それは正気の沙汰ではないと思えますが、 自我は決して自らのなせるわざを全く正直に見ようとはしません。
けれども、それこそが 自我の気違いじみた前提であり、それは 自我の思考体系が基づく、暗闇に包まれた礎石ともいえるもののなかに注意深く隠されています。
そして、自ら作った 自我を確かに自分の父親だとするかどうかですが、しないとなれば 自我の全思考体系は成り立たなくなってしまうでしょう。
ACIM-Text- chapter11-0-3
あなたは投影することで作るのですが、神は拡張することで創造します。
神が創造するためにその礎石となるのがあなたです。
神の思考体系は光そのものだからです。
見えてはいなくても、在ることは確かなあの光線を思い出しなさい。
神の思考体系の中心に接近すればするほど、そうした光がよりはっきりしてきます。
自我の思考体系の土台に近づけば近づくほど、まわりは一段と暗くなり、さらに見えにくくなってきます。
けれども、あなたの心の内にある、ほんの小さな火花でさえ、行く手を明るくするには十分です。
この光を恐れずに持ってきて、勇敢に 自我の思考体系の土台が見えるように掲げなさい。
自我の思考体系に対して全く正直に裁断を下す気になって欲しいのです。
その体系は、恐怖の元となる暗闇に包まれた礎石に基づきます。
そのような礎石を砕き、その体系を明るみに持ち出しなさい。
そこでなら、それが意義の無いものに基づいていたのが見えるようになり、自分が恐れを抱き続けてきたことは一つ残らず、実在しないものがその根拠だったということも分かってきます。
ACIM-Text- chapter11-0-4
兄弟よ、あなたは神の大切な部分であり私の大切な部分でもあります。
あなたが、ついに尻込みせずに 自我の土台を見てみたなら、私達の土台をも見たということになります。
私が父のもとからあなたのところへ来るのは、もう一度全てをあなたに差し出すためです。
そうしたものを、暗闇に包まれた礎石を隠し続けようとして、拒否してはなりません。
そのような礎石など護っても、それがあなたを救ってはくれないからです。
私が、あなたに明りを与え、あなたと一緒に行くつもりでいます。
あなた一人でこの旅路をたどるのではありません。
私があなたの本当の父のもとへと導くつもりであり、父は私と同様、あなたを必要としています。
愛の呼びかけに、喜んで答えずにいられるものでしょうか。
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