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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編「11章 神か、 自我か」より
11章11-3 闇から光へ
ACIM-Text- chapter11-3-1
あなたが疲れているなら、自分で自分を傷つけたのだと思い出しなさい。
慰め主があなたに安らぎを与えてはくれますが、自分ではそれができません。
自分ではどうすればいいのか分かってはいません。
もし分かっていたなら、疲れるようなことは絶対なかったでしょう。
自分で自分を傷つけない限り、決してどのようにも苦しむはずなどありません。
それは神の子に対する神の意志ではないからです。
苦痛は神からのものではありません。
神は攻撃すること自体を知らなく、自らの平安であなたを静かに囲んでくれるからです。
神は本当に穏やかであるというのも、自身の中に葛藤はないからです。
葛藤が全ての邪悪の元です。
盲目的なので、だれを攻撃しているのか見もしないからです。
けれども、それはいつも神の子を攻撃するのであり、その神の子こそあなたです。
ACIM-Text- chapter11-3-2
神の子は確かに慰められる必要があります。
自分で何をしているのか分かっておらず、自分の意志も自分のではないと信じたりしているのであるから。
神の国は自分のものであるというのに、自国を失いでもしたように彷徨っています。
神と共にわが家にいるのに、孤独であるうえ、兄弟全ての人に囲まれていながら親しみを持てる相手がいません。
神はこのような姿が本当であるかのように、そのままにしておくでしょうか。
神自身、一人でいること意図しなかったというのに。
そして、あなたの意志は神の意志だとするなら、そのような姿はあなたにとって真実では有り得ません。
それは神にとって真実ではないからです。
ACIM-Text- chapter11-3-3
嗚呼、我が子よ、神が何を自分のために意図しているのか分かりさえすれば、あなたは全き喜びに満たされるでしょう。
そして、神が意図していることはすでに起こっています。それは常に真実だったからです。
光が達した時、「神の意志は自分のである」と言ったなら、あなたはあまりにも美しいものを目にするようになるので、それは自分からのものではないと分かるでしょう。
あなたは、喜びのあまり神の名によって美しいものを創造するようになります。
それは、神の喜びは抑えられないのと同様、自分の喜びは抑えられないからです。
荒涼とした取るに足らないこの世界は、瞬く間に無に帰することになり、あなたの胸は喜びに満ち満たされて天国へ、神が在るところへと思いを馳せるでしょう。
私には、あなたにこうしたことを何かにたとえて言おうにもそれができません。
あなたの胸の中でその準備ができていないからです。
しかし、神は、自身のために意図することをあなたのためにも意図し、神があなたのために意図することはあなたのものだということは、何度でもあなたに言って、思い出させることはできます。
ACIM-Text- chapter11-3-4
そのための道は難しいものではありませんが、かなり異なることは確かでしょう。
あなたの道には苦痛を伴います。
しかし、そのような苦痛を神は少しも知りません。
そのような道は、実に難しいし、極めて孤独です。
恐れと悲しみは自分で招いたことであり、その道を歩む間はそのような思いを抱きつづけ、それに甘んずることになります。
しかし、闇路は神の子の道ではありません。
光の中を歩み、暗闇にいる連中を見ないでいることです。
そのような連中は神の子に相応しい仲間とは言えません。
神の子は光から創造され光の中で創造されたからです。
偉大な光がいつもあなたを囲み、あなたから輝き出るのです。
これほどの光の中にいるのに、どうして暗闇にいる連中が見えるのでしょうか。
もし見えるとすれば、それはただあなたが光を否定しているからに過ぎません。
しかし、光ではなくて、そのような連中を否定することです。
その光はここにあり、神の子の道は、はっきりしているからです。
ACIM-Text- chapter11-3-5
たとえ神の子が自分を隠そうとしようとも、神は、何一つ神の子から隠そうとはしません。
けれども、神の子は自分の栄光を隠せはしない、神は神の子が栄光に満つる者であることを意図し、自分の中で輝く光を与えられたからです。
神があなたを導いてくれるので、決して道に迷うことはありません。
自分で彷徨うときには、ただ真実ではない旅路に足を向けているだけのことです。
暗闇にいる連中や、闇に包まれた道など全て幻想です。
光の方に振り向きなさい。
あなたの中にある小さな火花はすごく大きな光の一部なので、あなたを永遠に全ての暗闇から即運び去れるからです。
あなたの父こそが、あなたの創造主あり、あなたは確かに父に似たものです。
ACIM-Text- chapter11-3-6
光の子供たちは暗闇に留まることはできません。
その子供たちの中に暗闇はないからです。
暗闇にいる慰め役たちに欺かれないことです。
そのうえ、絶対にそのような者たちを神の子の心に入り込ませないようにしなさい。神の 聖霊の宮には何の用もないからです。
神を否定したいような誘惑を感じるときには、神より他の神々を優先させようにも、そのようなものは存在しないということを思い出すことです。
そして、あなたに対する神の意志を平安の内に受け入れてほしいのです。
なぜなら、他の状態では受け入れられるはずがないからです。
ACIM-Text- chapter11-3-7
神の慰め主だけがあなたを慰めることができます。
聖霊の宮の静けさの内に、その存在はあなたのものである平安を与えるために待っています。
神の平安を与えなさい。
そうすれば、あなたはその宮に入り、神の平安が自分を待ちうけていると分かるでしょう。
しかし、神が在るところでは聖なるものらしくあるように、さもないと自分がそこにいるのが分からないでしょう。
というのも、神に似ていないものは神の御心に入れず、そうしたものは神の思いではなかったので、神に属さないからです。
何が自分に属するのか分かろうとするなら、あなたの心は神のと同じように純粋でなければなりません。
神の 聖霊の宮を注意深く守りなさい。
神自らそこに住み平安の内に留まっているからです。
神が在るところには、暗闇にいる連中を連れては入れませんが、自分一人だけ入るということもできません。
あなたの兄弟全ての人と共に入らなければなりません。
全ての人を受け入れるまでは自分が入れないからです。
自分が完全でない限り、完全さというものを理解できないので、神の子が父の完全な姿を知ろうとするのなら、神の子のどの部分も除外することはできないのです。
ACIM-Text- chapter11-3-8
あなたは自分の心の中で神の子としての身分全体を受け入れられるし、父がその身分に与えた光で全ての人を祝福できます。
その後、あなたは父と共に 聖霊の宮に住むのに相応しいものとなります。
一人にならないでいようと意図しているからです。
神は神の子を永遠に祝福してくれています。
もしあなたが神の子を時間の中にて祝福するつもりなら、あなたは永遠の内にあるものとなります。
もし、時間を永遠なるもののために使うなら、時間があなたを神から引き離すこと有り得ないのです。
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