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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編11章 「神か、 自我か」より
11章11-1 父性という贈り物
ACIM-Text- chapter11-1-1
あなたは、自分が癒しを必要だという事を学んてきました。
自分自身のために癒しが必要だと認識していたあなたは、癒し以外のものを一なる子にもたらしたいなどと思うのでしょうか。
こうしたことを気づくうちにこそ、いわば叡知へと戻るための足掛かりが見いだされるからです。
そして、これを土台として、神は、あなたが神と共に分かち合う思考体系を立て直す手助けをしてくれることでしょう。
あなたがその土台のうえに置く石を一つ残らず神が祝福してくれます。
あなたは神の子の聖なる住み処を再建することになり、そこにこそ神の子に住むようにと神が意図するのは、それが神の子が居るところだからです。
神の子の心のどの部分にこうした実在を回復させるにせよ、それを自分自身に回復させることになります。
あなたは神の御心の中に自分の兄弟と共に住んでいます。
神自身ひとりでいることを意図しなかったからです。
ACIM-Text- chapter11-1-2
一人で居るということは、無限から分離しているということです。
しかし、もし無限には終わりがないとすれば、どうしてそのようなことが有り得るでしょうか。
限界のないものを越えたところに存在する事は誰にも出来ません。
なぜなら、限界を持たないものはあらゆるところに在るはずだからです。
神の中には始まりもなければ、終わりもありません。
神の宇宙とか神ご自身です。
あなたは自分自身をその宇宙から除外したり、その宇宙そのものである神から除外したりできるでしょうか。
私と父とはあなたと一つです。あなたは父と私の大切な部分だからです。
その神の部分が欠けていたり、神にとっていないも同然となったりできると、あなたは本気で信じるでしょうか。
ACIM-Text- chapter11-1-3
もしあなたが神の部分ではないとすれば、神の意志は統一されないことになってしまいます。
これが考えられるでしょうか。
神の御心の一部が何も含んでいないということ有り得るでしょうか。
その御心の中で、あなたが本来いるべき場を満たせるものは、あなたをおいて他に無く、そこを満たすことはすなわちあなたが創造することだとするなら、あなたがいなければ神の御心の中に空ろな所があることになります。
拡張が遮られることは有り得なく、それには空所などありません。
そうした拡張は、どれほど否定されようとも、永久に続いています。
その実在性は、あなたが否認するならば、時間においては拡張するのを止めてれているかもしれませんが、永遠においてはそうではありません。
だから、あなたの創造したものが拡張されなくなってはおらず、あなたの帰りを待っているものがたくさんあります。
ACIM-Text- chapter11-1-3
待つことができるのは時間の中だけですが、時間そのものには何の意義もありません。
手間取らせるようにした者は、永遠である存在は始まりも終わりも創造しなかったと気づくだけで、時間をあとにできるのであり、その存在は自らの創造を制限せず、自分のように創造する者たちにも何の制限もしありませんでした。
あなたには、単に自分でその存在が創造したものを制限しようとしたので、こうしたことが分らないだけであり、そのために創造されたものは全て制限されているとも信じています。
では、無限を否定しておいて、どうして自分の創造したものが分かるでしょうか。
ACIM-Text- chapter11-1-4
宇宙の法則は矛盾を許しません。
何であれ神に当てはまることはあなたにも当てはまるのです。
もし、あなたが自分は神のもとにいないと信じるなら、神が自分のそばにいないものと信じるでしょう。
あなたがいないと無限は無意味なものであり、神が在るという事がなければあなたは無意味なものとなります。
神と神の子にとって終わりはありません。
なぜなら、私達こそが宇宙そのものだからです。
神は不完全ではなく、子供をなくしたのでもありません。
一人でいることを意図しなかったからこそ、自分に似た子を創造したのです。
神に対して神の子を拒んではなりません。
あなたが神の父権を受け入れる気になれないために、自分の父権も否定していることになるからです。
神の創造したものを神の子として見なさい。
あなたの創造したものは、その神に敬意を表して創造したからです。
愛の宇宙は、あなたに見えないからといって止まる訳ではありません。
あなたが目を閉じているからといって見る能力そのものを失ったわけでもありません。
神の創造の栄光を見れば、神があなたのために何を取っておいてくれていたか分かってくるでしょう。
ACIM-Text- chapter11-1-5
神はあなたに御心の中で占めるべき場を与えてくれており、そこは永遠にあなたの場です。
けれども、それはあなたに与えられたものなので、あなたもその場をただ与えることによって保つことができます。
その場が与えられたのは、神が一人になりたくないと意図したとすれば、そこであなたが一人ぽっちになることがあるでしょうか。
神の御心が減ることは有り得ません。
ただ増していくだけです。
神が創造するものはどれにもみな、創造するという役目があるからです。
愛は制限しなく、それが創造するものは制限されてはいません。
限りなく与えることが、あなたに対する神の意志です。
それはただこうすることだけがあなたに喜びをもたらせるし、そうした喜びは神の喜びでもあり、それをあなたと分かち合おうと意図しているからです。
あなたの愛は、神のと同じように限りないものであるというのは、それこそまさに神の愛だからです。
ACIM-Text- chapter11-1-6
神の部分のどれかに神の愛が伴わないことがあったり、その愛のどの部分にせよ、それがとじ込められたりすることがあるでしょうか。
あなたが神を受け継ぐことになります。
なぜなら神の一つの贈り物とは神ご自身だからです。
自分に対する神の贈り物を知ろうとするのなら、あなたも神と同じように与えるしかありません。
では限りなく永遠に与えなさい。
そうすれば神がどれほど与えてくれているか分かってきます。
神を受け入れる能力は、神が与えられるように与えたいという気持ちが、あなたにあるかどうかに左右されます。
あなたの父権とあなたの父とは一つです。
神は創造することを意図し、あなたの意志は神の意志です。
それなら、あなたも創造を意図するということになります。
あなたの意志は、神の意志に当然従うからです。
そして、神の意志を拡張するものとして、あなたの意志もそれと同じであるに違いありません。
ACIM-Text- chapter11-1-7
しかし、あなたは自分が何を意図するのか分かってはいません。
これは、否定するとは「分かろうとしない」ということだと気づきさえすれば、奇妙なことではありません。
神の意志とは、あなたが神の子であるということです。
これを否定することならば、あなたは自分自身の意志を否定しており、したがってそれが何か分かりません。
全てにおいて何が神の意志であるか、聞いてみる必要があります。
それがあなたの意志だからです。
自分ではそれが分かっていませんが、 聖霊があなたのために覚えていてくれます。
だから、何が自分に対する神の意志なのか 聖霊に尋ねなさい。
そうすれば、あなたの意志が何なのか教えてくれるでしょう。
あなたにはそれが分かっていないと、何度繰り返しても言いすぎではありません。
聖霊が何か言うたびに強制的だと思えるとすれば、それはただあなたが自分の意志に認識していないからです。
ACIM-Text- chapter11-1-8
自我は投影するので、あたかも神の意志はあなた自身の外にあるように見せかけ、したがって自分の意思ではないように思わせます。
このような解釈によれば、神の意志と自分の意志とが矛盾することがあるように思えます。
すると神が、あなたが渡したくないものを強要しているような感じがし、このようにして自分が望むものを奪っているように思えるかもしれません。
神はあなたが意図することだけを望んでいます。
その神に、強要したり奪ったりすることができるでしょうか。
あなたの意志こそ神の生命であり、その生命をあなたに与えてくれたのです。
時間の中にいる時でさえ、神から離れて生きることできません。
眠りにつくことは死ではありません。
神が創造したものは眠ることはできますが、死ぬことはできません。
不滅であることこそ、神の子に対する神の意志であり、神の子の自分自身に対する意志。
神の子は自分の死を意図することできません。
自分の父は生命そのものであり、神の子は父に似ているからです。
創造こそ神の意志なのだから、それがあなたの意志でもあります。
ACIM-Text- chapter11-1-9
あなたは本当に自分の意図することをしない鍵り幸せになれず、こうしたことは不変のことなので、あなたが変えることもできません。
それは、神の意志とあなたの意志によって不変となりました。
そうでなければ、その意志は拡張しないだからです。
あなたが神の意志を知ることに恐れを抱くのは、そうした意志はあなたの意志ではないと信じるからです。
このような信念こそが病気の全容であり、恐れの全容です。
どんな病気の症状や恐れにせよ、どれも皆これから生じます。
なぜなら、これこそがあなたに知りたくないと思わせてしまう信念だからです。
それを信じるので、暗闇に隠れ、光が自分の中にあることを否定しようとします。
あなたは 聖霊を信用するようにと勧められていますが、それは 聖霊がただあなたのために話すだけだからです。
聖霊は神に代わって話す声ではありますが、神は一人になることを意図しなかったということを決して忘れれはなりません。
神は、自らの意志をあなたと分かち合おうとしていますが、それをむりやり押し付けるようなことはしません。
神が与えるものは自分でも持っておくので、与えてくれるものは何一つ、自分と矛盾するはずがないということをいつも覚えておきなさい。
神の生命を分かつものは、それを知るにために分かち合わなければなりません。
分かち合うことこそ知るということだからです。
父の意志を聞くとは自分自身の意志を知ることだ、と分かってくる者は幸いです。
父に似たものとなるのがあなたの意志だからです。
そうなることを父は意図しています。
神の意志は神の子が一つとなった上で、自分が一つである姿と結ばれることです。
だから、癒しこそ自分の意志は神の意志であると再認識するための最初の段階です。
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