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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編11章「神か、 自我か」より
11-4 神の子が受け継いでいる賜物
ACIM-Text- chapter11-4-1
神の子としての身分があなたの 救済であるということを決して忘れないようにしなさい。その身分こそ、あなたの真の自己だからです。
神が創造したものなので、その真の自己はあなたのものであり、あなたに属しているということは神のものでもあります。
あなたの真の自己は 救済を必要としません。
しかし、あなたの心は 救済とは何なのか、それを学ぶ必要があります。
あなたは何からも救われるわけではなくて、栄光のために救われています。
栄光はあなたが継承したものですが、創造主はそれを、あなたが拡張することを願って、与えてくれました。
ですが、もしあなたが自分の真の自己の一部を憎んだりするなら、自分の理解力を全て失うことになります。
神があなた自身として創造したものを、愛を持たずに見ていることになるからです。
そのうえ、神が創造したものは自らの部分なのだから、あなたは神自身の祭壇で自らに属する場を神に拒んでいることになってしまいます。
ACIM-Text- chapter11-4-2
神の住まいを取り上げようとしておいて自分は我が家にいます、とあなたに分かるでしょうか。
神の子は自分が父から否定されているものと信じないで、父を否定することがあるでしょうか。
神の法則はあなたを護るために効力があり、それの効力が無駄になることは絶対にありません。
あなたが父を否定しようとするときに体験する思いでさえ、自分を護るのに役立ちます。
というのも、あなたの意志の力は、神がそれに反対しようとして介入しない限り、減らされることは有り得なく、どのようにだろうとあなたの力を制限するのは神の意志ではないからです。
したがって、神があなたを救うために与えられた力だけを頼りにし、その力は神の力なのであなたの力でもあるということを覚えておき、神の平安の内に自分の兄弟たちと心を一つにすることです。
ACIM-Text- chapter11-4-3
平安には限りがないということにこそあなたの平安は見いだされます。
自分で分かち合う平安を制限すると、あなたの真の自己は自分にとって分からないものになるに違いありません。
神への祭壇は一つ残らずあなたの部分です。
神が創造した光は自身と一つになっているからです。
あなたのものであるそうした光から、兄弟を切り離したりする気でしょうか。
それをすると、ただ自分自身の心を暗くすることになりかねないと悟りさえすれば、敢えてそれはしないでしょう。
その兄弟を連れ戻すことなので、自分も戻ることになります。
それが神の子の完全な姿を護るための神の法則です。
ACIM-Text- chapter11-4-4
自分自身から何かを奪えるのは自分だけです。
これが実感できたら、それに反抗しないことです。
それこそ、本当に光の兆しが見え始めたときだからです。
もう一つ覚えておくべきことは、こうした簡単な事実を否認しようとする思いが色々な形で出てくるということです。
そして、あなたはそのようなものをちゃんと見分けて、一つ残さず断乎として反対するようにならなければいけません。
これは再び目覚めるために、非常に重要な一歩です。
今までのことを逆にするにつれて、その最初の段階ではかなりの苦痛を伴うことが多くなります。
それは、何につけ廻りの者のせいにしていたのを止めると共に、そうした責任を自分自身の心に潜ませる傾向が強くなるからです。
最初はなかなか気づくのが難しいのですが、いま述べたことは全く同じことです。
なぜな、ら外側と内側、つまり自分の廻りと自分の心には何の相違もないからです。
ACIM-Text- chapter11-4-5
あなたの兄弟たちはあなたの一部だとするなら、自分が何かを奪われている責任は兄弟にあるとして責めるのは、自分自身を責めることになります。
それに、兄弟を責めずに自分自身を責めることはできません。
だから、責めるということをやめなければなりません。
どこか他にその責任があると見ようとせずに。
自分自身を責めれば、自分のことが分からなくなります。
少しでも責めたりするのは 自我だけだからです。
したがって、自己自責は自分を 自我と同一視することであり、他のものを責めたりするのと同様、 自我を防衛しているとも言えます。
あなたが神の子を攻撃するなら、神が在るところには入れません。
神の子が、声を上げて自分の創造主を賛えるなら、父に代わって話す声が聞こえるようになります。
しかし、創造主は神の子がいなければ称賛を受けることはできません。
創造主と神の子は栄光を分かち合い、一緒にその栄光に輝くことになるからです。
ACIM-Text- chapter11-4-6
キリストは神の祭壇で、神の子を歓迎しようと待ち受けています。
ただ非難することを完全にやめてから来るようにしなさい。
そうしないと、あなたは扉にかんぬきがかけてあって、入れないものと信じてしまうからです。
扉にかんぬきなどかけられていません。
神があなたに居らせてくれるところに、あなたが入れないということ有り得ません。
ただ自分を キリストの愛をもって愛しなさい。
父もあなたを愛しているのは確かなのです。
あなたは入るのを拒否できても、 キリストが開いておく扉にかんぬきをかけることできません。
その扉をあなたのために開いている私のもとへ来なさい。
私が生きているうちは、それが閉められることは有り得なく、私は永遠に生きるのです。神は私の生命であり、あなたの生命でもあります。
それに神は神の子に何一つ拒んだりしません。
ACIM-Text- chapter11-4-7
神の祭壇で、 キリストはあなたの内に自ら復帰するために待っています。
神は神の子が自身と同じように、全く咎めるべきところのないものと分かっており、その神には神の子の真価を認めることによって近寄ることができます。
キリストは、あなたが キリストを自分自身として受け入れ、 キリストの完全さを自分のものとして受け入れるのを待っています。
キリストは神の子なのだから、自らの創造主の内に生き、自らの栄光に輝いています。
その キリストこそ神の愛と神のすばらしさとを拡張するものであって、自らの創造主と同じように完全であり、その創造主と平安を保っているのです。
ACIM-Text- chapter11-4-8
祝福されたる神の子は、自分の輝きは父からのであるとし、自分の栄光を、父が自分と分かち合われるがごとくに分かち合おうと意図するものです。
神の子には非難される理由などないというのも、父には非難をうける理由などないからです。
父の完全な愛を分かち合っているので、神の子は父に属するものを分かち合わなければなりません。
そうしないと父も神の子も分からなくなるからです。
神の内に安らいでいるあなたに平安あれ。そしてそのあなたの内に、神の子としての身分にあるものも全ての人が安らげます。
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