奇跡講座テキスト編11章11-2 癒しへの招待

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編11章 「神か、 自我か」より

 

11章11-2 癒しへの招待

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病気とは分離していることであるとするなら、癒し癒されると決断することこそ、何を自分が本当に望むのかを気づくための第一歩です。

攻撃するたびに望みのものから一歩ずつ後ずさりし、癒しの思いを持つたびに近づくことになります。

神の子には父と神の子との二人があります。

神の子はまさに父であり神の子でもあるからです。

「持つこと」と「実在すること」を結びつけるとは、自分の意志を父のと結びつけるということです。

なぜなら、父は自らをあなたが受け継ぐようにと贈られたからです。

そして、あなたも自分自身を父に贈ることになります。

あなたが父を完全に理解すると、一つの意志があるだけだと分かるからです。

しかし、あなたがどの部分にせよ神とその王国を攻撃するなら、完全には理解していないということになり、したがってあなたが本当に望むものはもはや自分のものではなくなります。

 

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かくして、癒しは理解できるようになるためのレッスンともいえ、自分でそれを実践すればするほど、よりよい教師となり、よりよい生徒となれます。

もしあなたが真理を否定しているとすれば、それの実在性について証言させるには、その真理によって癒された者たちほど良い証人となれるものはいないのではないでしょうか。

ただしあなた自身も必ず証人の一人になることです。

自分でその人たちに加わろうとする気持ちになればこそ、あなた自身完全に癒されるからです。

あなたが奇跡を為し遂げる度に、それがあなたに神の父権について伝えてくれます。

癒すという思いを受け入れる度に、それがあなたの兄弟からか、自分自身の心の中からか、そのいずれにせよ、そうした思いがあなたは神の子であると教えてくれます。

傷つけるような思いをあなたが抱き、それをどこに知覚するにせよ、その一つ一つに神の父権と自分の神の子としての身分を否認するという思いが含まれています。

 

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そして、否認するときは、愛するのと同じで、全面的にすることになります。

自分自身の一部を否定するということはできません。

それは、残りの部分は分離しているように思え、意義がなくなるからです。

そして、自分にとって意義がなくなるので、その部分を理解できなくなります。

意義を否定するとは理解しそこなうということです。

あなたはただ自分自身だけを癒せます。

神の子だけが癒しを要するからです。

それを必要とするというのは、あなたが自分自身を理解していないので、何を自分でしているか分かっていないからです。

自分の意志を忘れてしまい、自分が何を本当に望むのか分からなくなっています。

 

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癒しはあなたが完全になりたいと望んでいるというしるしです。

そして、こうした気持ちがあなたに 聖霊の声に耳を傾けようとさせるし、その 聖霊は完全な姿について伝えてくれます。

聖霊はあなたに、自分で引き受けようとする癒しを遥かに越えて癒すことができるようにしてくれます。

というのも、あなたには完全になろうとする気が少しあるので、それに 聖霊は自らの完全な意志を添えて、あなたの意志を完全なものにしてくれるからです。

その 聖霊の内なる神の父権をもってすれば、神の子に為し遂げられないことあるでしょうか。

ただし、そのための招待はあなたから来なければなりません。

自分でもきっと分かっているでしょうが、自分の客として招く人があなたと居ることになるのです

 

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聖霊は客を喜んでもてなそうとしない主人には話しかけることはできません。

しても聞き入れてはもらえないからです。

永遠なる賓客は、そこに留まってはいますが、その声は、なじみのない人々の中でだんだん聞こえなくなってしまいます。

その存在は、あなたの保護を必要としていますが、それはただあなたが気にかけるというのは、その存在いて欲しいと思っているということを表すからです。

ほんのごく僅かその存在と同じように考えると、小さな火花は燃え盛る灯火となってあなたの心を満たしてくれるので、その存在が自分にとって唯一の賓客となるでしょう。

自分で 自我に入り込むようにと頼む度に、その存在を歓迎する気持ちが薄らいできます。

その存在はそのまま留まってくれるとはいえ、あなたはその存在の反対側についてしまっています。

あなたがどのような旅路を選ぼうと、その存在は一緒に行くつもりでおり、あなたを待っていてくれます。

その存在の辛抱強さを信用するのは差し支えないでしょう。

その存在は、神の大切な部分を置き去りにするわけにはいかないからです。

しかし、あなたには辛抱強さ以上のものをさらに必要とします。

 

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あなたは自分の役目を知り、それを果たすまで決して安心しないでしょう。

自らの役目を果たすうちにこそ、自分の意志と父の意志が完全に一つに結ばれるからです。

父を迎え入れるとは、その父に似たものになるということなので、父は自身をあなたのために与えて下さっています。

神を迎え入れる者は、神と同じでなければいけません。

神の役目は自らの贈り物と共に自分のものとなるからです。

こうした叡知が、自分の心に戻るようにと招き、それを不明瞭にするようなものは何一つ入り込ませないことです。

神があなたに遣わされた賓客が、それをどのようにすればいいか教えてくれるでしょう。

ただ、あなたが小さな火花に気づき、それを大きなともし火にさせる気が有りさえすれば。

あなたのそうしようとする意欲が完全である必要はありません。

その存在のが完全だからです。

単に小さな場所をその存在に差しだしさえすれば、そこを本当に明るくしてくれるので、あなたは喜んでそうした場を増やしてもらうでしょう。

そして、このように増えていくことなので、あなたは創造を思い出し始めるでしょう。

 

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あなたは、 自我の人質になりたいでしょうか。

それとも、神を迎えてもてなす主人になりたいのでしょうか。

人は自ら招く者だけを受け入れようとするものです。

誰が招待され、どれくらいの間一緒に過ごすことになるか、あなたが自由に決められます。

けれども、これは本当の自由ではありません。

それを、自分でどう見るかで左右されるわけだからです。

聖霊は確かにあります。

とはいえ、あなたからの招待なしには手助けすることできません。

そして 自我は、あなたが招き入れようが入れまいが、実在しません。

本当の自由は、喜んで実在を迎え入れるかどうかに懸かっており、あなたが招く客のうち 聖霊のみが真実です。

では、単にそこにすでにあるものに認識して、どんな存在があなたと一緒にいるのか、それを知ることです。

そして、慰め役をしてくれると想像したもので満足してはなりません。

神からの慰め主はあなたの中にこそあります。 

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編11章 「神か、 自我か」目次

11-0  序論

11-1  父性という贈り物

11-2  癒しへの招待

11-3  闇から光へ

11-4  神の子が受け継いでる賜物

11-5   自我の「力動論」

11-6  救いへの目覚め

 11-7  実在の状況

11-8    問題と答え

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

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目次

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