奇跡講座テキスト編 第2章2-1 分離の起源

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第2章「分離と贖罪」より2-1本文

 

第2章 2-1 分離の起源

ACIM-Text- chapter2-1-1

拡張するということが神の根本的な心の在り方を表しており、神は神の子にもこうあるようにと望んでいます。

創造するに当たり、神は自らを創造するものへと拡張し、自分と同じように愛に満ちて創造するようにと意志を吹き込みました。

あなたは満ち足りた姿に創造されたのみならず、完全に創造されています。

あなたには空虚さなどありません。

あなたは創造主に似ているので、創造的です。

神の子のこの能力は生まれながらのものであり、誰一人これを失うことはあり得ませんが、それを投影することによって不適当な使い方をすることはできます。

適当とは言えない形で拡張したり投影したりすることが起きるとすれば、それは「自分はなぜか空しくて何かが欠けている」と感じます。

しかし、それは真理の代わりに自分自身の想念でそうした不足を満たせると信じる時なのです。

このようなプロセスは次に述べる段階を必然的に含みます。

 

第一、神が創造されたものを、自分の心で変えられると信じる。

第二、完全であるものを不完全とし、欠けたものだと為し得ると信じる。

第三、神が創造したものを歪めることができると信じ、これには自分自身も含まれる。

第四、自分で自分を創造することができ、その創造の傾向は自分の思い通りにできると信じる。

 

ACIM-Text- chapter2-1-2

このように関連した歪みは、分離した時、すなわち「恐れへの回り道」において実際に何が起きたのかを表している光景と言えます。

それは分離する前には存在せず、実際に今も存在してはいません。

神が創造したものは何もかもみな神に似ています。

神からの拡張は、父から子供たちに受け継がれている内面的な輝きに類似しています。

その本当の源は内在するものです。

これは、神の子についての真実であり、同じことが父についても言えます。

この意味において、創造とは神が創造した神の子と、心が癒された神の子が創造するものの両方を含みます。

これには、神が神の子に自由意志を与えられることを要します。

なぜなら、愛に満ちて創造されるものはみな一つに連なって惜しみなく与えられているからであり、そこでは全ての側面が同じ階級にあるからです。

 

ACIM-Text- chapter2-1-3

エデンの園、または分離以前の状況は、心は何も必要としない状態でした。

アダムが「蛇の虚言」に耳を傾けた時、そこで聞いたことは全て偽りでした。

あなたがそうすることを選ぶのなら別ですが、真実ではないことを信じ続ける必要などありません。

そうしたことは、単に全て誤って知覚したことに過ぎないので、文字通り、瞬く間に消え失せます。

夢の中での出来事は極めて真実のように思えるものです。

依然として聖書には、アダムが深い眠りについた、とあります。

しかし、アダムが目覚めたことを言及するところはどこにもありません。

この世界はまだ、包括的な目覚めや再生を少しも経験してはいないということになります。

ここでいう再生は、誤った投影を誤創造し続ける限り不可能なことです。

しかしながら、神が自分の霊(Spirit)をあなたに拡張したのと同じように、拡張するための性質はあなたの内に今も存続します。

実在においては、ただこうすることが選べるだけです。

なぜなら、あなたの自由意志は、完全なものを創造するという喜びのために与えられているからです。

 

ACIM-Text- chapter2-1-4

恐れというものは全て、結局のところ自分は神の力さえ奪う能力を持っていると基本的に誤って知覚することから来ると集約できます。

もちろん、あなたにはそれは不可能であり、為し得てもいません。

これこそが恐れから脱出するための本当の根拠となります。

贖罪を受け入れることによって恐れから脱出することができ、この贖罪が自分の誤りは決して実際には起こっていなかったのだと悟ることができます。

アダムはぐっすりと寝込んでいる間に、悪夢を経験することになります。

もし、誰かが恐ろしい夢を見ている中で突然明りが付いたとしたら、咄嗟にその明り自体も夢の部分だと判断して怖がるかもしれません。

しかし、その人が目覚めたときには、その光が恐ろしい夢からの解放であったのだと正しく知覚して、もはやそのような夢を実在だとは認めることはありません。

こうして解放されることは幻想に左右されることではありません。

光明を投ずる叡智があなたを自由にするだけでなく、確かに自由であるということをあなたにはっきりと見せてくれます。

 

ACIM-Text- chapter2-1-5

あなたがどのような嘘や偽りごとを信じていても、それは奇跡にとって問題ではなく、どれも同じように容易に癒すことができます。

奇跡は誤って知覚された物事を区別しようとはしません。

ただ関心があることは、対立している真理と誤りとを見分けることだけです。

ある奇跡は他の奇跡よりもその規模が大きいように思えるかもしれません。

しかし、この奇跡のコースが説く第一の原理を忘れてはなりません。

『奇跡に難しさの順序はない』のです。

実在において、あなたは愛を欠いているどのような表現にも、全く影響されることはありません。

こうした表現は、自分と他の人たちからの表現だったり、自分から他の人たちへの表現だったり、他の人たちから自分への表現だったりします。

平安はあなたの中にある属性です。

それを外に見出すことできません。

病気になることは何かを外に捜し求めようとしている姿とも言えます。

健康であるとは、心が平安であるということです。

それは、あなたが外面の愛に欠けた物事によって動揺させられることも無く、その上あなたが奇跡を受け入れるということなので、他の人たちに愛が欠けているために生ずる状況なども本来の姿に戻せるようになるのです。

 

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編 第2章「分離と贖罪」目次

2-1   分離の起源

2-2   防衛としての贖罪

2-3   神の祭壇

2-4   恐れからの解放としての癒し

2-5   奇跡を行う者の機能

2-5-A   奇跡を行う者たちの特別の原則

2-6   恐れと葛藤

2-7   原因と結果

2-8    最後の審判の意義

 

奇跡講座(奇跡のコース) テキスト編、ワークブック編、マニュアル編 各目次

テキスト編 1章~31章 目次

ワークブック編 レッスン1~365 目次

教師のためのマニュアル編 1~29 目次

 

スポンサーリンク

関連記事

目次

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る Top