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奇跡講座(奇跡のコース)テキスト編12章 「聖霊のカリキュラム」より
12-7 内面を見る (その2)
ACIM-Text- chapter12-7-8
あなたが愛だけを望むのなら、他には何も見ないでしょう。
証明となるはずのものなどに、つじつまの合わないところがあるようにあなたが知覚するのは、単に自分で矛盾したものを招来しているということの反映に過ぎません。
自分の心を見て、そこに反対するものを受け入れています。
それを、そこにあるものとして捜していたからです。
しかし、だからといって、反対するものの証明などが真実だとは信じてはなりません。
というのも、そうしたものはただあなたが実在について決めたことを立証するだけであり、いわば自分で与えたメッセージを戻してくれるからです。
愛もまた、愛の使者たちによって気づくことになります。
もしあなたが愛をあきらかに現すなら、その使者たちがあなたのもとに来てくれるというのも、あなたが招いたからです。
ACIM-Text- chapter12-7-9
決断力はこの世界で囚われの身となったあなたに一つ残っている自由です。
あなたにはこの世界を正しく見ようと決断することができます。
この世界とは、このようなものだと自分で見なしていることはそれの実相ではありません。
この世界の実体は、ただあなたが与えるに過ぎないからです。
実際、あなたは誰に対してもまた何に対しても、愛以外には何一つ与えることはできないばかりか、他の人やものからも愛以外には何も受け取ることはできません。
もし、あなたが何か他のものを受け取ったと思うのなら、それは自ら内面をのぞいて、自分自身の中にほかの何かを与える力を見たと思ったからです。
ただ、こうした決断が、何をあなたが見つけるかを決定したに過ぎません。
それが、何を自分が求めるかを決めたわけだからです。
ACIM-Text- chapter12-7-10
あなたが私に恐れを抱いているのは、自分の内面を覗きそこに見たものを恐れるからです。
けれども、真実の姿を見たといえるはずがありません。
あなたの心の真実の姿は、神が創造したもののうちで最もすばらしいものです。
もし、あなたが自分の心を本当によく見てみるなら、その心の力と崇高さは神のみからくるので、あなたに平安をもたらすことができるだけです。
もし、恐れを抱いているとすれば、そこには無い何かを見たからです。
けれども、その同じ場所に私とあなたの兄弟全員の姿を、それも私達を創造してくれた御心の中で全く安全な状態にある姿を、見ることもできたはずです。
私達は、父の平安のうちにその場にいる訳であり、その父はあなたを通して、神自らの平安を拡張する意図をもっているのです。
ACIM-Text- chapter12-7-11
あなたは、平安を拡張するという自分の使命を受け入れたときにこそ、平安を見出すでしょう。
それを明かにさせようとすれば、自らがそれを見ることになるからです。
その平安の聖なる証人たちは、あなたが呼んだのだから、あなたを取り囲んであなたのところへ来てくれます。
私はあなたの呼びかけを聞いて、それに答えましたが、あなたは私のほうに目を向けないばかりか、自ら求めていた答えに耳を傾けようともしません。
そのわけは、あなたがまだそれだけを望んではいないからです。
けれども、私がもっとあなたにとって真実だと思えるようになるにつれて、あなたは確かにそれだけを望んでいると分かるようになります。
そして、あなたが内面を見つめるにしたがって私を見るようになり、二人で一緒に実相の世界を眺めるようになるでしょう。
キリストの目を通しては、実相の世界のみ存在するのであり、ただその実相の世界だけが見えます。
あなたは自分で決めたとおりに見るようになります。
そして、あなたが見るものは全て自分の決断したことを証明してくれるだけです。
ACIM-Text- chapter12-7-12
あなたが自分の内面を見つめて私を見るなら、それはあなたが真理を明かにすると決断したからだと言えます。
そして、その真理を明かにするにつれて、それを自分の外と内に見るようになります。
あなたがまずそれを内側に見たので、外にも見るようになります。
自分の外に見るものはどれもみな、自分の内に見たものについて判断したことが現れたものです。
それがあなたの判断なら間違っています。
判断するのはあなたの機能ではないからです。
もし、それが聖霊の判断であるなら正しいものでしょう。
判断するのは確かに聖霊の機能だからです。
自分自身で判断しようとなど少しもしないで、ただ聖霊がするように判断することによって、あなたはその聖霊の機能を分かち合うことになります。
あなたは自分自身に不利な判断をしても、聖霊はあなたに有利な判断をするでしょう。
ACIM-Text- chapter12-7-13
では、あなたが自分の外に目を向けて、そこに見るものに対して好感をもてないとの反応をしめす度に、「自分自身には価値がない」という判断をし、自らに死の宣告をしたのだということを覚えておきなさい。
死刑こそ自我の究極的な目標だというのも、自我はあなたが犯罪人なので死は当然の報いだと完全に信じるからです。
それにひきかえ、神はあなたが生命を受けるに値すると分かっています。
死刑が自我の心から離れることは絶対にありません。
自我はそれを必ずあなたが最後に行き着くところとして取っておくからです。
自らのあなたに対する気持ちを最終的に表現するために、あなたを殺したいという思いがあるので、自我はただ死を待たせるためにあなたを生かしておこうとします。
あなたが生きている間中ひどい苦痛を味合わさせますが、それがいだく憎しみはあなたが死ぬまで満足することはありません。
というのも、自我はあなたが破壊されることになる結末に向かって働いているからで、そのような結末に達した時にのみ自我は満足感を得ることでしょう。
ACIM-Text- chapter12-7-14
神を裏切ることなど不可能なので、自我が神を裏切ることはありません。
しかし、自分の父に反逆しつづけていると信じる者にとっては、自我は裏切りものとなります。
だからこそ、罪悪感を取り消すことは、聖霊の教えの中で極めて重要な部分だと言えます。
あなたが罪悪感を抱く鍵りは自我の声に耳を傾けているのであり、その自我があなたは神に背きつづけているので、死んで当然だと言うわけだからです。
あなたは、死は自我からではなくて神からくるものと思っていますが、それは自分自身を自我と混同してしまい、自分は死を望んでいると信じているからです。
それに神はあなたが望むことを止めたりしません。
ACIM-Text- chapter12-7-15
死にたいという強い願いに従いたいような気持ちになるときには、私は死ななかったということを思い出しなさい。
あなたが自分の内面に目を向けて確かに私を見るなら、こうしたことが真実だと悟るでしょう。
私が自分一人のために死を乗り越えようとなどしたでしょうか。
それに、もし父が永遠の生命をあなたにも与えられたのでなければ、私にそれを与えて下さっていたでしょうか。
あなたが私をはっきり現せるようになれば、あなたは決して死ぬことはありません。
自分自身の中に不滅のものを見たことになるからです。
そして死ぬはずのない世界に目を向けるにつれて、永遠なるものだけを見るようになるでしょう。
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